伏木曳山祭に密着 地震被害のなか担い手の思いは
5月18日に高岡市伏木で行われた伝統の伏木曳山祭。能登半島地震に伴う液状化の影響で、規模を大幅に縮小するなど異例尽くしの開催となりました。住民それぞれの「復興のいやさー」を追いました。
5月18日。早朝から士気が高まる山倉では、6基ある曳山でそれぞれ準備が進められていました。今年の一番山車は旧本町です。
旧本町花山車 鶴谷卓哉総代
「この伏木が復興に向かって栄えていくことを願って、いやさーいやさー、復興のいやさーを途切れさせることなく、一日よろしくお願いします」
「あ、いやさーいやさー」旧本町を先頭に、次々と山車が連なります。
伏木地区には地震の爪跡が随所に残り、今も傾斜が進んでいる家屋も。
およそ8トンの山車が通る振動を不安に思う住民もいて、祭りの開催には、賛否の声が上がっていました。
今年は、安全性が確保できないとして、去年山車が通った道路と比べて順路の規模を大幅に縮小しました。
住民の女性
「ここも通ると家が揺れますよ。いい悪いの意見はあったでしょうけれども、やってよかったと思う、みな元気もらって」
住民の男性
「いろいろな意見もあったと思うが、伏木の住民として(祭り開催を)誇りに思う」
曳山のなかには、液状化の被害が深刻な石坂町の山車もあります。
石坂町では、予定者を含めると世帯の4割が転居を余儀なくされています。住宅の解体も相次ぎ、既に空き地が広がっています。
副総代の麦谷さんは、下水道が使えず、自宅に戻れたのは地震から3か月後でした。
麦谷武宏副総代
「日常の生活がやっと落ち着いてきた。(石坂町は)引っ越しされた方もいるし、家を壊された方もおられるので(祭りは)ちょっと複雑な心境ではありますけど、お祭りをきっかけに、みんなが元気になってくれたらいいのかなと」
今年、総代を務めた近藤さんは、液状化の影響で伏木駅近くで経営していた日本料理店を閉店し、今はアルバイトをして暮らしています。
近藤朝幸総代
「ずっと仕事ばかりしていて、震災で仕事がなくなった時点で、これは総代ができると判断してくれて、今は非常にありがたいと思う」
曳山に終日関わるのは初めてです。伏木と曳山への思いはさらに強まったと話します。
近藤総代
「山車に携わっている人はこんなに苦労してやっているんだと初めて分かって、伏木への思いもより一層、こういう伝統文化は大事にしていかないといけないなと」
石坂町の山車に携わっている人の中には、自宅が傾き手放さざるをえない人や、かつて家族が営んでいた鮮魚店を既に解体した人も。
自治会長の二口さんは、地域活動を支える公民館の解体、再建にも気をもんでいます。
石坂町の山車を支えるのは、自治会費。4割の世帯が転出し、今年は山車をぶつけ合う、「かっちゃ」は費用負担が大きいため、参加を見送りました。
「一番被害の大きかった石坂町のみなさんに夢と希望を届けに行きましょう! あ、いやさーいやさー」
寶路町は賛否の意見があるなか、今年は曳き回しも「かっちゃ」もしないと決めました。総代ら役員たちは山車を従えず、連なって歩きました。
山倉に残された山車の周りでは、曳き子たちが集まっていました。
寶路町 大谷内貴志総代
「私たちは山車を出せませんでしたが、楽しく祭りができました。来年は少しでももっとお祭りに参加できるように。かっちゃ、うちら正直したいです、できるように一生懸命頑張っていきたいと思います」
伏木曳山祭と言えば「けんか山」。無観客で行われた「かっちゃ」を遠巻きに眺める住民たちと同じように、石坂町と寶路町の人たちが見つめていました。
石坂自治会 二口勇平会長
「来年は世話している者も、若い人たちが一生懸命やりたいというから(かっちゃができるよう)その方向に動かないといけない」
今年の伏木曳山祭は町によって参加の仕方は違いましたが、復興への思いは同じだと感じました。
去年までと同じ場所で山車を曳くには、上下水道の整備を含めた道路の本格復旧が不可欠で、伏木では3年かかるとされています。
5月18日。早朝から士気が高まる山倉では、6基ある曳山でそれぞれ準備が進められていました。今年の一番山車は旧本町です。
旧本町花山車 鶴谷卓哉総代
「この伏木が復興に向かって栄えていくことを願って、いやさーいやさー、復興のいやさーを途切れさせることなく、一日よろしくお願いします」
「あ、いやさーいやさー」旧本町を先頭に、次々と山車が連なります。
伏木地区には地震の爪跡が随所に残り、今も傾斜が進んでいる家屋も。
およそ8トンの山車が通る振動を不安に思う住民もいて、祭りの開催には、賛否の声が上がっていました。
今年は、安全性が確保できないとして、去年山車が通った道路と比べて順路の規模を大幅に縮小しました。
住民の女性
「ここも通ると家が揺れますよ。いい悪いの意見はあったでしょうけれども、やってよかったと思う、みな元気もらって」
住民の男性
「いろいろな意見もあったと思うが、伏木の住民として(祭り開催を)誇りに思う」
曳山のなかには、液状化の被害が深刻な石坂町の山車もあります。
石坂町では、予定者を含めると世帯の4割が転居を余儀なくされています。住宅の解体も相次ぎ、既に空き地が広がっています。
副総代の麦谷さんは、下水道が使えず、自宅に戻れたのは地震から3か月後でした。
麦谷武宏副総代
「日常の生活がやっと落ち着いてきた。(石坂町は)引っ越しされた方もいるし、家を壊された方もおられるので(祭りは)ちょっと複雑な心境ではありますけど、お祭りをきっかけに、みんなが元気になってくれたらいいのかなと」
今年、総代を務めた近藤さんは、液状化の影響で伏木駅近くで経営していた日本料理店を閉店し、今はアルバイトをして暮らしています。
近藤朝幸総代
「ずっと仕事ばかりしていて、震災で仕事がなくなった時点で、これは総代ができると判断してくれて、今は非常にありがたいと思う」
曳山に終日関わるのは初めてです。伏木と曳山への思いはさらに強まったと話します。
近藤総代
「山車に携わっている人はこんなに苦労してやっているんだと初めて分かって、伏木への思いもより一層、こういう伝統文化は大事にしていかないといけないなと」
石坂町の山車に携わっている人の中には、自宅が傾き手放さざるをえない人や、かつて家族が営んでいた鮮魚店を既に解体した人も。
自治会長の二口さんは、地域活動を支える公民館の解体、再建にも気をもんでいます。
石坂町の山車を支えるのは、自治会費。4割の世帯が転出し、今年は山車をぶつけ合う、「かっちゃ」は費用負担が大きいため、参加を見送りました。
「一番被害の大きかった石坂町のみなさんに夢と希望を届けに行きましょう! あ、いやさーいやさー」
寶路町は賛否の意見があるなか、今年は曳き回しも「かっちゃ」もしないと決めました。総代ら役員たちは山車を従えず、連なって歩きました。
山倉に残された山車の周りでは、曳き子たちが集まっていました。
寶路町 大谷内貴志総代
「私たちは山車を出せませんでしたが、楽しく祭りができました。来年は少しでももっとお祭りに参加できるように。かっちゃ、うちら正直したいです、できるように一生懸命頑張っていきたいと思います」
伏木曳山祭と言えば「けんか山」。無観客で行われた「かっちゃ」を遠巻きに眺める住民たちと同じように、石坂町と寶路町の人たちが見つめていました。
石坂自治会 二口勇平会長
「来年は世話している者も、若い人たちが一生懸命やりたいというから(かっちゃができるよう)その方向に動かないといけない」
今年の伏木曳山祭は町によって参加の仕方は違いましたが、復興への思いは同じだと感じました。
去年までと同じ場所で山車を曳くには、上下水道の整備を含めた道路の本格復旧が不可欠で、伏木では3年かかるとされています。