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地震で家族と生き埋めに… 母と祖母を亡くした女子中学生 異国の地で得た希望とは 

2024年9月11日 19:30
地震で家族と生き埋めに… 母と祖母を亡くした女子中学生 異国の地で得た希望とは 
能登半島地震で大切な家族を亡くした中学生がこの夏、海外で自分の被災経験を伝える活動に挑戦しました。自分と向き合い見つけた復興への思いを取材しました。

この夏、訪れたのは異国の地フランス。この場所で伝えたいことがありました。大切な家族を亡くした中学生が自分と向き合い見つけた未来への思いです。

林 娃月(あづき)さん、中学1年生。輪島市内で、父と兄の3人で暮らしています。最近、料理の楽しさを覚えました。

林 娃月さん:
「作っておいしいって言って食べてらもうのはすごくうれしくてやりがい感じるし」

12歳にして、その腕は一人前です。

娃月さん:
「それ今蒸しとるから」
父:
「開けるなと。すみません。」
「僕より上手だと…。僕より美味しく作る。作る手際も良いです」

「いただきます」

「美味しいです」

それでも本人の評価は。

娃月さん:
「今日は片栗粉入れすぎたなと思いました。70(点)くらい」

自分には厳しいタイプです。

娃月さん:
「お父さんは仕事で大変なので。仕事が大変だけどいつもすごい家事してくれて、でも自分たちも家事してお父さんをサポートする感じです」


実は、去年までは家事をするのは年に数えるほどだったといいます。

娃月さん:
「地震前はお母さんが全部家事してくれてたんですけど、お母さんが亡くなって自分でしなきゃいけないことが増えたので」

元日の地震前、娃月さんが暮らしていたのは鵠巣地区。元日の地震で自宅は全壊しました。

娃月さん:
「生き埋めになったんですけど、でも私とお兄ちゃんは出てこれたんですけど、お母さんは声がしなくて、ばあちゃんは声がするんですけど、まだ出てこれなくて」

翌日、重機を使い母と祖母を助け出しましたが、2人はすでに亡くなっていました。その後、親戚を頼り、金沢で避難生活を送っていました。

娃月さん:
「やっぱりなんかたまに外に出たときに、家族でいる子どもを見たらなんかちょっと寂しくなるときはありました。」

地震のことは考えないように過ごす日々が続きました。

7月。

転機が訪れました。能登空港を出発し向かった先は…フランス・パリ。

ボランティアに招待され同じ奥能登の中学生とともにオリンピックを観戦しました。現地ではサッカー日本代表の試合を3試合観戦。「世界」の熱気に触れまた。

別の日。娃月さんはスタジアムとは違う場所に向かいました。目的は海外の人に被災経験を伝えるため。これこそがこの企画に参加した理由でした。およそ20人集まった現地の人たちの前で発表した娃月さん。

娃月さん:
「家が崩れる音とか叫び声がして、すごい怖かったです」

地震のことを思い出すのはつらいけど、それでもあの日感じた恐怖、あの日見た輪島を知ってほしい。すると。

娃月さん:
「フランスと日本ですごい遠いけど遠くから応援してるからねとか、辛い時とか悲しい時はいつでも頼って大丈夫だから連絡してねって言われました」

娃月さん:
「みんな良い人すぎて離れたくない」

想像していた以上に応援の気持ちを受け取った娃月さん。

娃月さん:
「お父さんとかお母さんと一緒にその家の周りの田んぼを散歩したり虫取りしたりするのがすごい楽しかったから。フランスから少しでも地震の復興を願ってくれる方がいたら、早い復興につながるのかなと」

帰国後迎えた初盆で、地震との向き合い方が変わったと自覚していました。

娃月さん:
「最初の方は悲しくて、ただ手を合わせるぐらいしかできなかったけど、今はちゃんと心の中でしっかり思ってお墓参り来れているので、そこは変わったかなって思います」

娃月さん:
「お母さんに無事フランス行ってこれたよって言うのと、フランスすごかったって言うのと、オリンピック見てきたし、地震のことをいっぱい報告してきたし、とにかく楽しかったって言いました」


参加したメンバーの家族や友人が集まり行われた旅の報告会。

娃月さん:
「真剣に聞いてくれているのを実際に見て、フランスと日本ってすごい遠いし、地震のことあんま分かんないんじゃないかと思ってたけど、すごい関心を持ってくれて嬉しかったです」

家族や友人にも娃月さんの変化が伝わりました。

娃月さんの友人:
「めっちゃ良かったよ」
「だいぶ感動したかも」

娃月さんの友人:
「全部最初から知ってたので、あづの大変さだったり、いろいろ知ってたので、今こんなに元気になって良かったなって思います」

父:
「明るくなったと思います。娘のために色んな人が一生懸命やってくれたのがありがたくて、たぶん成長いっぱいしてるんだと思います」

そしておととい(9日)。娃月さんはある思いを胸に、同級生およそ80人の前に立っていました。

娃月さん:
「私たち輪島市民が復興を諦めてたら、それは復興しないから、そこは諦めず、外国の方いっぱい応援してくれてるっていうのをちゃんと伝えて、みんなも復興に向けてもっと前向きになれたらなって」

「海外からのエールを伝える橋渡し役」に。その気持ちはたしかに同級生の元へ届いていました。

同級生:
「外国の人たちがこんなことまでしてくれてすごいなと思いました」
「自分も勇気とか希望をもらったし、すごく明るい気持ちになりました」

自分と向き合ったこの夏。決して地震に負けたくないと娃月さんはさまざまな経験を糧に一歩前に踏み出しました。