【特集】発生から半年「能登半島地震」 宮城から被災地に派遣<自治体職員>に聞く 復興を下支え
石川県能登町の議場は、全国から集まった派遣職員のミーティングルームに、電子コンロとパソコン。
写真を撮影した宮城県消防課の佐藤康幸さん(58)。
「能登町の職員が、不眠不休のような状況で、かなり疲弊していると感じた」
佐藤さんは、今年1月の1週間 能登町役場に寝泊まりしながら、宮城県との連絡員として活動した。
佐藤さんが持ち込んだのが、東日本大震災での宮城県の対応をまとめた記録誌だ。
発災半年間で100回近く開かれた宮城県の災害対策本部会議でのやり取りなどを、詳細に記録している。
宮城県消防課・佐藤康幸さん
「大きな災害の経験がないと、その場その場の対応。目の前に起きている事象にしか対応できなくなるので、今回能登に派遣になった際にも持ち込みました」
「東日本大震災」の後に宮城県職員となった芳賀湧喜さん(31)も、今回 能登町に派遣された。
宮城県防災推進課・芳賀湧喜さん
「寒い中みんな避難所生活とか送られるという状況になるかと思いましたので、震災を経験した身としても胸が痛いというかそういった思いを感じました」
13年前は高校生だった芳賀湧喜さん。
宮城・気仙沼市にあった自宅は、津波で被害を受けた。
能登で見た光景は、「東日本大震災」と重なったと言う。
「能登半島地震」では、これまでに宮城県内の自治体からのべ428人の職員が派遣されている。
宮城県では、ベテランと若手を一緒に派遣することで災害対応の経験を継承する取り組みを行っている。
宮城県防災推進課・芳賀湧喜さん
「私と一緒に行った職員の上司が、震災当時の対応の経験を私に教えていただきながら、能登町の支援をするためにいろいろな助言とか伝えてくれた」
半年が過ぎても、地震の爪痕はそのまま。
現在、石川県志賀町の被災者支援窓口で生活支援金の申請や公費解体の業務にあたるのが、石巻市から1年間の長期派遣されている及川剛さん(60)。
石巻市職員・及川剛さん
「住民にも寄り添うと同時に、職員にも寄り添っていきたい。自分たちが経験したこととか思いとかね」
「東日本大震災」で、及川さんは発災直後は避難所の運営。
その後は、集団移転団地の用地買収に奔走した。
石巻市職員・及川剛さん
「長い時間が要すると思います。公費解体もそうだし、道路整備もそうだし、いろんな面で元の生活に戻るのは相当な時間がかかる」
被災した建物を自治体が取り壊す「公費解体」は、2万棟を超える申請に対して、解体が完了したのはわずか4%にとどまっている。
石巻市職員・及川剛さん
「安心した生活を送れるような体制づくりが求められると思うし、こちらの職員はそれに向けて一生懸命働いてるので、我々派遣で来ている職員はそこにちょっとでも役立つことができれば」
石川県の被災地には、宮城県から現在23人の自治体職員がおよそ1年の長期で派遣されている。