【特集】能登半島地震から半年 父を亡くした珠洲市の男性の今「まずここからが第一歩かな。」
地震2日後にミヤギテレビが取材した父親を亡くした男性の今を取材した。
「揺れてる。揺れてますね」
1月3日の石川県珠洲市。
海のすぐ近くの1階部分が潰れた住宅で活動する消防団の姿があった。
その様子を見守っていたのがこの家で暮らす横場松男さん(61)だった。
横場松男さん(61)
「まあ、仕方ないです。本人も自分が建てた家でね、亡くなったし、多分満足かなと思ってます。いや、僕もね、いたんですよ。もう自分逃げるので精一杯で、降りてきてすぐそこに寝てるの分かっていたので呼んだんですけど、全く返事なかったです」
震度6強に見舞われた珠洲市。
体が不自由だった父親は遺体となって発見された。
津波が迫る中、父親を残して家族と共に高台に逃げざるを得なかった。
横場さんはいま市内の仮設住宅で暮らしている。
Q仮設住宅の入居は?
横場松男さん(61)
「6月21日でしたね。ほとんど半年近くかかったって感じですかね。入れない人結構まだおられるんで、避難所におられる方でも10人くらいはまだ入っておられるかな、そんな状態ですね」
横場さんが入居したのは木造2階建てタイプの仮設住宅。
県内産の杉が使われ木の香りが漂っている。
珠洲市では2年の入居期限が過ぎた後は災害公営住宅に転用する方針で、希望すれば住み続けることが出来ると言う。
横場松男さん(61)
「仮設は入られたんですけどまずここからが第一歩かな。次の家の建てる準備とか、まったくまだしてませんからね。 その前におやじの葬式を出してやらんといかんのですよ。当時、葬儀屋さんに無理やり珠洲市まできてもらったんですよ。ほんでうちのおやじ、警察の検視終わってから、市外の火葬場に連れて行ってもらってそこで焼いて骨にしてこちら、珠洲市に連れてきたという感じですね」
横場さんが暮らしていた珠洲市宝立町。
自慢の一つが8月に行われる夏祭り宝立七夕キリコだった。
横場松男さん(61)
「僕が見ている感じでは、おそらく元に戻ると仮定して10年はかかるんじゃないかな、そんな状況ですね。うち1件解体するのに1週間とかかるんですよ、全部で何万件ってあるじゃないですか、あれ解体するとなると2年や3年じゃ全部解体できねーわと思ってね」
被災した建物を自治体が取り壊す「公費解体」は公費解体は2万865棟の申請に対して、着手は2601棟、また、解体が完了したのは911棟とわずか4%にとどまっている。
「いまはもう全国から来ていますよ。公費解体のトラックとかは県外ナンバーばっかり。みなさんの支援はありがたかった。何よりもありがたかった」
発災直後、最大で4万人あまりいた避難者は2288人となっている。