津波で家族全員が犠牲に…家族になったボクとおばちゃんの13年 20歳の旅立ち
【震災でひとりぼっちに…始まった伯母との生活】
2011年3月11日。
当時、小学1年生だった辺見佳祐(へんみ・けいすけ)くんは、石巻市の小学校にいました。地震直後にお父さんが駆け付け、ここで待つよう告げたと言います。
お父さんは自宅へ戻り、お母さん、おばあちゃん、下校していたお姉ちゃんを車に乗せて、再び小学校へ。
しかし、家を出てすぐに車は津波に飲まれ、全員が犠牲に。
佳祐くんは、ひとりぼっちになってしまったのです。
震災の2か月後。
被災を免れた佳祐くんの自宅の2階で、伯母の玲子さんと暮らすことになりました。
でも、玲子さんは子育ての経験がありません。
宿題をしていても・・・
佳祐くん「何でちがうよここ」
玲子さん「え?」
佳祐くん「点だよ」
玲子さん「あ~すみません」
玲子さんは主婦として家庭を支えてきましたが、子どもはいませんでした。
佳祐くんとは、里帰りした時に会う程度。
そして50歳を過ぎ、離婚。ほどなく、大震災が起きました
【「パパのようになりたい」その言葉で固まった伯母の覚悟】
玲子さんは、佳祐くんの両親が切り盛りしていた工場を引き継ぎました。工場で働くと言うことも、全く経験のない世界。それでも、佳祐くんのために工場を残すことにしました。
<玲子さん>
「私よりもね、佳祐が“パパのようになりたい”って。できるところまでやってね。元のように残してやりたいと思いますので」
自動車整備工場を営む両親のもとに生まれた佳祐くん。
小さい頃からお父さんの仕事姿に憧れ、頻繁に工場に足を運んでいたといいます。
<玲子さん>
「小さい時はよくね。工場に来てパパの仕事見てたから」
甥っ子のために何とか工場を守り抜こう。
玲子さんは、それが自分に与えられた使命だと覚悟を決めました。
この日、2人で家族との思い出の写真を見ていました。
学校で行われる、10歳の節目を親子で祝う「2分の1成人式」。そのときに使う写真を選んでいたのです。
<佳祐くん>
「パパはど~れだ。わかんない?教える?わかる?わかんない?え、パパだよこれ。パパだよ絶対。」
佳祐くんにとって、大好きだったパパ・・・。
<佳祐くん>
「パパだよこれ、何言ってんの?ここだよ」
「2分の1成人式」の当日を迎えました。
佳祐くんから家族へのメッセージが流れます。
<佳祐くんのメッセージ>
「辺見佳祐です。1年生の時に震災があって一生忘れられないことが起きました。あれから3年、たくさんの方々に励まされてここまで元気になることができました。ボクが笑顔にしてもらったように、今度はボクが人を笑わせて笑顔にできる。そんな大人になりたいです」
玲子さんも手紙を書いていました。
<玲子さんの手紙>
「2分の1成人式おめでとう。佳祐が生まれてから10年が経ちましたね。3年前から一緒に生活することになりました。厳しいおばちゃんでごめんね。佳祐の笑顔と優しいところ大好きです。いつまでも優しく、そして、笑っていて下さい」
【迎えた反抗期 心にしまいこむ震災の記憶】
5年生になった佳祐くん。この日は宿題と格闘中です。
佳祐くんは「ねえ、だからさー!もう!いちいちうるさいなー」とふてくされた様子。反抗期のようです。
玲子さんは「ふたりでいる時はそんなこと言わないよ。とんでもないことになるもんね、佳ちゃん」と笑顔で話していました。
家の近くでは護岸工事が進んでいました。堤防がかさ上げされ、拡張されるため、自宅は取り壊されます。
進んでいく時計と、とどめておきたい思い出。
<佳祐くん>
「おばちゃんはボクと暮らしていいかなって感じだよ。笑ったり、泣いたりとか。まあ昔と比べりゃ今の方がいいなと思う」
「大変なこととか、自分の中であったりした?」という問いに、佳祐くんは「そういうのはまあね~。人生そんなもんだから。人生そんなもんだから・・・」と答えました。
【震災で重なったボクとおばちゃんの人生「父が残した工場を継ぎたい」】
震災から5年。小学校の卒業式を迎えました。
ひとりぼっちになった佳祐くん。
ひとりで生きていこうとしていた玲子さん。
あの震災で2人の人生が重なりました。
高校生になった佳祐くん。
将来の自分も見据えるようになっていました。
<佳祐くん>
「(工場を)継ぎたいっちゃ継ぎたいね。何かやっぱ、家族が残してくれたのがそれしかなかったから。唯一それしかないから。何もない家もなくなっちゃったし、形見もなくなっちゃったから、あれしかもうないし」
頑張れて来られたのはこの時のため。玲子さんは誰よりも喜びました。
【「家族かなと思う」震災で一変した人生…おばちゃんがいて楽しかった】
震災から10年、佳祐くんは、ある場所にやってきました。そこにあったのは桜の木。
<佳祐くん>
「デカくなったな~」
震災翌年の3月11日。追悼の行事で亡くなった家族の分だけ、桜の苗木を植えた場所です。
あの日、自分を抱きしめてくれたおばちゃん。
一緒に暮らすと決めたのは、佳祐くんでした。
<佳祐くん>
「おばちゃんとは最初の頃とかはあんま知らない、お互いがわかんなかったからよくしゃべんなかったけれど、今は何かお互いのこと良くわかってるし、いつもそばにいてくれたことが楽しかったなって思う。両親亡くなって代わりにおばちゃんが一生懸命育ててくれたから楽しかったっていうか、普通にありがたかったかなって思ってる。まあそうかな、家族かなと思う」
【「父と同じ道へ」自動車整備士へと歩みだす18才の春】
高校を卒業した佳祐くんは、仙台の自動車整備を学ぶ専門学校に入学しました。2年間、基礎から自動車整備の理論と実技、双方を学びます。働く姿がカッコよく憧れだったお父さん。その姿を辿っていきたい。
<佳祐くん>
「まあそうだね、お父さんと同じ道行くかみたいな」
<ディレクター>
「おばちゃんもずっと工場を守ってくれてるからね」
<佳祐くん>
「もう11年か。守って来てくれたしね。」
堤防の拡張工事が終わり、玲子さんが自宅の跡地に新しい事務所をつくりました。
そこには真新しい机と椅子が用意されていました。
<玲子さん>
「修業っていうんですか、他で修業させてっていうか、いろいろ広い目で見ていろんなところを見てきてっていうのは考えてますね」
<ディレクター>
「あと何年後かにはここに、そこに座ってるかもしれません」
<玲子さん>
「どうなんだか(笑)」
夏休みを迎えた佳祐くん。初めてのアルバイトは専門学校から紹介されたカーディーラーです。
父親と同じ自動車整備士を目指し、一歩ずつ前へ進んでいきます。
【「家族にも見せてあげたかった」工場を守った伯母の思い】
<玲子さん>
「ハッピーバースデー ディア佳祐くん!ハッピーバースデー トゥーユー!20歳おめでとう」
佳祐くん、20歳の誕生日。
初めてのお酒でおばちゃんと乾杯!
“お父さんも飲んでいたね” 幼い頃の記憶が蘇ります。
東日本大震災から13年。
佳祐くんは将来の決意を伝えるため家族の元へ向かいました。
<佳祐くん>
「震災から13?13年か・・・早いもんだね」
カーディーラーに就職が決まった佳祐くん。〝見守っていてください〟と墓前で家族に伝えます。
今年4月。入社式の朝。
<玲子さん>
「違くてここズレてる。ちょっとここあまりきつくしない方がいいんだよ」
佳祐くん、緊張気味のようです。
玲子さん「決意表明?」
佳祐くん「くじけずに・・・仕事を頑張りたいです」
佳祐くんのために両親が残した工場を守ってきた玲子さん。
甥っ子の成長を喜ぶ一方、こんな思いもありました
<玲子さん>
「何て言ったらいいのかな~。亡くなったみんなにも見せてあげたかったっていうところですよね、ホントに」
<ディレクター>
「ここまで成長して来られたのも、本当に玲子さんのおかげですし」
<玲子さん>
「私って言うよりも、本当周りの皆さんに助けて頂いたっていう部分が大きいので、私もこうやって仕事してるから本当に満足に自分の思う通りになかなかできなくて、大変なことは大変だったんですけどでも、佳祐くんもああいう風に素直に育ってくれて」
お父さんと同じ自動車整備士としてスタートを切った佳祐くん。
家族が残し、おばちゃんが守ってくれた工場を将来、継ぐつもりです。
【ボクからおばちゃんへ「育ててくれてありがとう」そして父と同じ自動車整備の道へ】
“20歳”になったボクからおばちゃんへ。
佳祐くんは手紙を書きました。
<佳祐くんから伯母・玲子さんへ>
「おばちゃんへ 今まで13年間自分を育てていただきありがとうございました。これまで様々なことをわかりやすく教えてくれたり、行きたい場所にも連れて行ってくれたり、時には喧嘩もありましたね。学校生活でもおばちゃんが仕事が忙しい時に運動会や授業参観に来てくれたり、高校では演劇の会場まで見に来てくれて、自分は恥ずかしいと思ったんですけど、本当に来てくれて嬉しかったです。自分はこれから父親と同じ自動車整備士になろうとしています。両親やおばちゃんが今までしてきたことを自分もする時が来ました。これからもいろいろ迷惑をかけると思いますが何卒よろしくお願いします。辺見佳祐より」
<玲子さん>
「嬉しいわ。ありがとうございます」
お父さんと同じ道へ。そして、おばちゃんへの恩返し-。夢に向かって歩みます。