14歳の語り部 当時は1歳…震災の記憶はなくても「自らの言葉にして」
気仙沼市の海岸からおよそ2キロの場所に当時、高校の校舎だった震災遺構・伝承館がある
芳賀世剛さん(14)
「校舎外観柵が壊れているんです。なんで壊れているかというと車が柵を乗り越えた津波が車体重量750キロをこの高さ=約8メートルまで持ってくるのは津波の怖さだと僕は思っています」
今月10日、来館者に当時の状況を伝えたのは語り部として活動する地元の中学2年生芳賀世剛さん(14)。
13年前は1歳だったため震災の記憶はありません。
来館者
「動画を見て津波が怖いものだと知った。悲劇を繰り返したくないという思いが小学6年生くらいであった。」
芳賀さんは小学生の時、地域にある慰霊碑を訪れ震災の悲しみを知ったと言う。
震災の語り部を始めたのは中学1年生の時だった。
聞き取った当時の体験談をノートに書き留めるなどして自らの言葉にして伝えられるよう努力してきた。
芳賀世剛さん(14)
「なんとこの部屋に人が2人いました。 生きている状態で2人いまして屋上に避難していた職員が1~2時間ごとに寝させないように起こしてその結果翌日に救出された。」
伝承館では芳賀さんのほかにも地元の中学生や高校生が語り部として活動している。
語り部の高校生
「当時私は4歳で近くの小学校に逃げたのは覚えています。」
「小学生の弟が二人いるが”震災って何か分かる?”って聞くと"わからないって"。やっぱり伝えていかないといけないと思いました。」
若い世代の語り部たちと接する伝承館の職員も頼もしさを感じている。
伝承館の職員
「記憶がない子が語り部をやるって決心したこと自体が素晴らしい。すごく震災も考えるし地域のことも考えるし成長していると感じます。」
芳賀さんを始め若い世代の語り部が訪れた人に必ず伝える言葉があります。
芳賀世剛さん(14)
「この悲劇を繰り返すな大地が揺れたらすぐ逃げろ、より遠くへ、より高台へという言葉です。ぜひこの言葉を覚えてほしいと思っています。記憶がない人が増えていくことは風化につながっていく。そうさせないためにも誰かがやってくれるだろうじゃなくて、自分からいかなきゃって行動に移すことが大切」
記憶を未来につなぐため14歳の語り部はこれからも伝え続ける。