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津波で3人のわが子を失った夫婦 東日本大震災から14年の現在地<宮城・石巻市> #知り続ける

2025年3月15日 9:00
津波で3人のわが子を失った夫婦 東日本大震災から14年の現在地<宮城・石巻市> #知り続ける
宮城県石巻市で暮らす夫婦は、愛する3人のわが子を津波で亡くしました。

東日本大震災の後、その悲しみから足並みが揃わないこともありましたが、きょうまでたしかに歩んできた2人。

その現在地を見つめました。

あの日の後悔 支えた人の思い

宮城県東松島市で木工職人として活動する遠藤伸一さん(56)です。

14年前の3月11日、伸一さんが暮らしていた石巻市は大津波に襲われました。

長女の花(はな)さん(当時13)、真ん中の弟・侃太(かんた)さん(当時10)、末っ子の次女・奏(かな)さん(当時8)。
3人の子どもを亡くしました。

同じ悲しみを繰り返さないために…
辛い思いを抱えながらも、伸一さんは震災の記憶を伝える活動をしています。

遠藤伸一さん
「(自宅に)長女とお袋が2人でいました。そのあと、渡波小学校にいた子どもたち。長男と次女を迎えに行っちゃったんですね。それで、沿岸部の石巻市長浜町に連れて帰ってきちゃったんですね」

あの日、伸一さんは子どもたちを家に送ったあと、連絡がつかない親戚のところへ。
その後、石巻に大津波が押し寄せました。

伸一さんは、津波にのまれながらもなんとか逃れることができましたが、愛する3人の子どもたちが犠牲になりました。

遠藤伸一さん
「何のために生きるのかな、っていうのさえわからなくなって。わたしが殺したのと一緒だよなっていうような後悔と罪悪感」

なぜ子どもたちのそばにいてやれなかったのか…
襲われる後悔に、一時は後を追うことも考えたという伸一さん。

思いとどまることができたのは、ともに避難所で過ごした仲間たちの存在でした。

遠藤伸一さん
「消えてなくなってしまいたいと思っていた人間が、今こうやって生きられているっていうのも、たくさんの人の思いに支えられているからなんですね」

伸一さんは自分の体験を語りつぐことを始め、仲間とともにボランティア活動なども行うようになりました。

そんな伸一さんの姿を複雑な思いで見ていた人がいます。

妻の綾子(りょうこ)さんです。

揃わぬ夫との足並み 変わる距離感

石巻市に住む遠藤綾子さん(56)。

14年前、大津波で3人の子どもを失った綾子さんは、積極的にボランティア活動を行う夫・伸一さんの姿を複雑な思いで見ていました。

東日本大震災の後、夫が活動拠点としてきたのは、もとの自宅があった場所。

長女と次女の遺体は、この近くで発見されました。

どうして子どもたちを助けてくれなかったのか…
夫を恨む気持ちもあった綾子さんは、震災から目を背けていました。

遠藤綾子さん
「最初の1年間くらいは(自宅跡に)来たくなくて。来るのも嫌だったので。夫のほうは早いときからここでコンサートやBBQを支援を受けてやっていたけど、本当に私はこんなところで物を食べたり楽しく歌ったりするなんて信じられないと思って、ずっと反発をして参加はしなかったです」

震災後、綾子さんは現実から逃避するように働き、その後、仕事から離れました。

遠藤綾子さん
「それまでロボットみたいにずっと仕事をして、家に帰って寝て、っていうことをやっていたので。その頃に、やっと夫の姿に気づいたというか」

ひとりで走り回る伸一さんを見ているうちに、綾子さんの気持ちにも少しずつ、変化が出始めます。

遠藤綾子さん
「“家に帰ったらひとりだけど、ここでみんなと久しぶりに会えて楽しかったよ”って(参加者から)聞いているうちに、(夫の活動が)それなりに意味のあることなんじゃないかなと思うようになって」

“あんな場所”も ひとつの居場所に

震災から5年が経った頃、綾子さんは地域の仲間とひとつの取り組みを始めました。

週に1度、夫の伸一さんが自宅の跡に建てたコンテナハウスに集まり、使われなくなった着物をポーチなどに生まれ変わらせます。

遠藤綾子さん
「ここに来れば特に気を遣って何をするわけでもないので。安心感はありますね、何でも話せるというか」

そして伝える “わたしのこと”ではなく“ここでのこと”から

自分にできることはないだろうか…

震災から11年が経った2022年。
綾子さんは、石巻市の震災遺構 門脇小学校の職員として働き始めました。

遠藤綾子さん
「学校の先生たちは、放送が使えずに(階段を)駆け上がってそれぞれ避難を叫んで回ったそうです」

伝えるのは、自分の家族のことではなく、14年前にこの場所で起こったこと。

遠藤綾子さん
「自分のことを話さなくてもいいっていうのはいいなって言ったら変ですけど、ここでのこと、また石巻市でのことを、ちょっとずつ自分の思いも乗せられたらいいなと」

わが子失い14年の父と母 愛誓い30年の夫と妻

それぞれの歩幅は違っても、決して離れることはなかった2人。

伸一さんはこの14年間に、子どもたちと過ごした月日を重ねます。

遠藤伸一さん
「ことしの14年というのは、長女が(震災当時)13歳だったんですね。今わたしにとっては、13年を過ぎたあたりからは子どもたちと会えていない時間のほうが長くなっていくっていう。その中で生きていくんだなと」

そして綾子さんは、これからも伝え続けます。

遠藤綾子さん
「いろんな方に助けてもらって今があって。還元できるとしたら、そういった(震災伝承に関わる)形でしかできないんじゃないかなと思うことがあるので」

震災から目を背けず、あの日の記憶と向き合っていく2人。
ことし、結婚から30年です。

遠藤伸一さん
「俺優しくねえから、かける言葉ねえんだけど、彼女(妻)も3.11は“乗り越える”という思いだと思うんです。たぶん3.11過ぎたら『お疲れね』って…言うくらいかな」

遠藤綾子さん
「『たまには早く寝ろよ』って思いますけど。やっぱり体壊すくらいだったので…体には気をつけなきゃいけないんじゃないかなと思っています。あと『ジャージか作業着どっちかじゃなくてちゃんと中間の服も買ってね』っていうのもあります」

あの日から14年。

2人の足並みは、再び、揃い始めようとしています。

最終更新日:2025年3月15日 9:31