“アメリカにおける原爆の描き方の限界が見える” 映画「オッペンハイマー」被爆地の受け止めは《長崎》

(桒畑笑莉奈アナウンサー)
原爆を開発した科学者の栄光と苦悩を描いた映画「オッペンハイマー」。
アメリカアカデミー賞で7冠に輝いた話題作ですが、全米での公開から8か月遅れの、3月29日から日本でも公開されています。
長崎では長崎市と佐世保市の映画館で上映が始まりました。
(佐藤肖嗣アナウンサー)
今に続く“核の世界”の始まりを描いた作品ですが、長崎や広島での原爆による被害の詳細は、描かれていないなど、公開当初から様々な議論を呼んでいます。
被爆者の取材を続ける加藤記者です。
(加藤小夜記者)
先日、私は長崎市で開かれた試写会に参加し、鑑賞した方たちから話を伺いました。
被爆地・長崎やゆかりある人たちがどう受け止めたのか、取材しました。
年間60万人以上が訪れる長崎原爆資料館。
核兵器の恐ろしさと廃絶への願いを国の内外の人たちに伝え続けてきました。
(アメリカからの大学生)
「核兵器が人々の生命にどんな影響やダメージを与えるか。それを知るのはとても大事なこと」
(アメリカから来た 30歳)
「元々核兵器や戦争には反対だったけど、ここに来てやはりそうだと思ったよ」
資料館の一角「原爆投下への道」を説明する展示の中に、ある物理学者の名前が。
ロバート・オッペンハイマー。
第2次世界大戦中、原爆を開発したアメリカ・マンハッタン計画の指導者で「原爆の父」としてたたえられた一方「我は死神なり、世界の破壊者なり」と述べるなど、葛藤も抱えました。
今月、長崎市で開かれた特別試写会では、被爆者の朝長万左男さんとアメリカ政治に詳しい上智大学の前嶋和弘教授が対談。
冷戦終結から間もない1990年代にアメリカに長期滞在した前嶋さんは「当時では作れなかった映画」と評価します。
(上智大学 前嶋和弘教授)
「原爆に対してかなり自省的、批判的だと。被爆者の方にとってみれば、いろんな思いがあるかもしれないが、アメリカがここまで考えたんだと。だいぶアメリカは変わったと思った」
医師で原爆の後遺症について研究する朝長さんは「核の傘などの政策のあり方を考える出発点になる映画」と話しました。