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「忘れないでほしい」ウクライナ侵攻開始から2年 長崎へ避難した学生らの今と今後抱える問題《長崎》

2024年2月26日 6:30
「忘れないでほしい」ウクライナ侵攻開始から2年 長崎へ避難した学生らの今と今後抱える問題《長崎》

ロシアによるウクライナへの侵攻から2年が経ち、終わりの見えない戦いが続いています。

県内に避難を続ける学生たちの「今」を追いました。

佐世保市南風崎町の長崎日本語学院。

ネパールやベトナムなどから来た 約150人が日本語を学んでいます。

学生の1人、オレクサンダー・オストロウシチェンコさん、18歳。

去年2月に、ウクライナから日本に避難し、4月に日本語学院に入学しました。

1年前、日本語は全く話せませんでしたが簡単な会話であればできるように。

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「日本の生活はウクライナの生活と同じではない。だからとっても大変でした。でも日本語を毎日勉強して日本人と話しています。だからだんだん慣れてきた」

おととし2月24日に始まった ロシアによるウクライナへの全面侵攻。

オストロウシチェンコさんが生まれ育ったのは南部の街、オデーサ。

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「私の家の後ろにミサイルが飛んできた。とても危なかった」

▼母の思いを胸に佐世保へ 故郷にはミサイルが毎日のように着弾

ウクライナでは原則、18歳以上の男性全員が徴兵されます。

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「ウクライナで18歳になると、ウクライナから出国できない。お母さんが私に言った『あなたは外国に行くほうがいい』。だから私は(日本に)来た」

侵攻開始から2年。

今なお、ロシアはミサイルやドローンによる攻撃を繰り返し、ウクライナも徹底抗戦の構えを崩さず。

終結に向けた道筋は、見通せないままです。

故郷のオデーサでは、今も、激しい攻撃が続いているといいます。

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「お母さんとお父さんは、今もウクライナにいる。心配。ミサイルが毎日着弾する。だから心配」

心配は尽きませんが、オストロウシチェンコさんは、日本語の勉強に加えて、ウクライナの大学の授業もオンラインで受講。

ITエンジニアを目指して、プログラミングなどを学んでいます。

▼望みは戦争が終わること 日本で夢に向かい学ぶ

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「戦争が終わることが(望み)。でも今は難しい。私の未来は、例えば日本の会社で働いて家族がいる。それが私の夢」

出入国在留管理庁によりますと、今月14日時点で、県内で受け入れているウクライナ避難民は19人。

佐世保市にはオストロウシチェンコさんを含め、7人が暮らしていて、全員が九州文化学園グループが運営する寮で生活しています。

▼佐世保市に暮らす7名のうち 高校生は日本語で授業も

その中には、高校生も。

アレキサンダー・サマルハさん、18歳。

おととし6月に、ウクライナから避難してきました。

7か月間、日本語を学んだのち、去年4月に九州文化学園高校に2年生として編入。

日本の生徒と同じ授業を受けています。

▼日本が好き 日本で働きたい

(アレキサンダー・サマルハさん)
「友達もできて友達と日本語で毎日会話して、どんどん毎日(日本語が)うまくなっている。授業も日本語で受けている」

当初は、一緒に避難した母と妹とともに佐世保で暮らしていましたが、2人は先に帰国。

今は1人で寮生活を送っています。

(取材班)
「母と妹と一緒に帰ろうと思わなかったか?」

(アレキサンダー・サマルハさん)
「そういう思いはなかった。日本がやっぱり好きだから、勉強もしたいし、ずっと日本にいる。帰りたくない。高校を卒業して、日本の大学に入ろうかと思っている。大学卒業しても、仕事を日本でずっと(やりたい)。ずっと日本で生活を続けたい」

▼ウクライナ人をサポートする側が抱く今後の「懸念」

避難民支援などを行うNPO法人を運営する 小野 一馬さん。

オストロウシチェンコさんとサマルハさんの受け入れにも携わりました。

ウクライナ出身の妻とともに、壱岐市で暮らしていた小野さん。

おととしの侵攻開始直後から支援活動をスタートさせ、自治体などと連携して多くの避難民の受け入れを進めてきました。

現在は、大分県別府市を拠点に避難民をサポートしています。

この日は、佐世保市で暮らすオストロウシチェンコさんら3人に、去年12月から日本政府が始めた新しい制度の内容を説明しました。

(小野 一馬さん)
「ビザの変更にデメリットがないと、別府にいるウクライナの人たちにアドバイスした。5年間のビザを取得するのはメリットしかない」

これまで、ウクライナ避難民への在留資格は1年まででしたが、新たな制度を利用すると最長5年間、取得できるように。

安定した生活が期待できる一方、行政や民間団体からの経済的な支援は縮小傾向にあり、これまで以上に「自立した暮らし」が求められるようになったといいます。

(小野 一馬さん)
「(新しい)認定制度が始まった、そうすると『政府が面倒を見るんでしょ』と 県や市が今年度で支援を終わろうという動きにもなりつつあると 全国的に聞く。支援をどこかで切らないといけないのはあるかもしれないけど」

(長崎日本語学院 森 伊作さん)
「この先あと5年、10年とサポートをできるのかという話もあるし、誰しもこの答えは分からないという本当に難しい状態だけど、そこで今支援が終わってしまうと、大変なことになってしまう」

(小野 一馬さん)
「次は自立した家計を持たないといけないから、そこでまた、就労支援とかお金を稼ぐ支援をしないといけない」

▼侵攻から2年 忘れられつつある祖国ウクライナの戦い

日本での進学、就職も視野に佐世保で努力を続けている学生たち。

侵攻が長期化するにつれて『日本の人たちの中でウクライナのことが忘れられつつあるのでは』と懸念しています。

(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「(今回の)戦争は、とても長い。そしてウクライナはとても遠いから、日本人が忘れるのもわかる。でもロシアがウクライナに負けなかったら、日本やヨーロッパに戦争を仕掛けるかもしれない」

(アレキサンダー・サマルハさん)
「最近テレビでも(ウクライナのことが)出てこないし。忘れないでほしい、まだ続いている、まだ大変だから。サポートをしてくれている人もみんな疲れている。みんな平和が欲しい。戦争が続いている意味がない、必要がない」