「忘れないでほしい」ウクライナ侵攻開始から2年 長崎へ避難した学生らの今と今後抱える問題《長崎》

ロシアによるウクライナへの侵攻から2年が経ち、終わりの見えない戦いが続いています。
県内に避難を続ける学生たちの「今」を追いました。
佐世保市南風崎町の長崎日本語学院。
ネパールやベトナムなどから来た 約150人が日本語を学んでいます。
学生の1人、オレクサンダー・オストロウシチェンコさん、18歳。
去年2月に、ウクライナから日本に避難し、4月に日本語学院に入学しました。
1年前、日本語は全く話せませんでしたが簡単な会話であればできるように。
(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「日本の生活はウクライナの生活と同じではない。だからとっても大変でした。でも日本語を毎日勉強して日本人と話しています。だからだんだん慣れてきた」
おととし2月24日に始まった ロシアによるウクライナへの全面侵攻。
オストロウシチェンコさんが生まれ育ったのは南部の街、オデーサ。
(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「私の家の後ろにミサイルが飛んできた。とても危なかった」
▼母の思いを胸に佐世保へ 故郷にはミサイルが毎日のように着弾
ウクライナでは原則、18歳以上の男性全員が徴兵されます。
(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「ウクライナで18歳になると、ウクライナから出国できない。お母さんが私に言った『あなたは外国に行くほうがいい』。だから私は(日本に)来た」
侵攻開始から2年。
今なお、ロシアはミサイルやドローンによる攻撃を繰り返し、ウクライナも徹底抗戦の構えを崩さず。
終結に向けた道筋は、見通せないままです。
故郷のオデーサでは、今も、激しい攻撃が続いているといいます。
(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「お母さんとお父さんは、今もウクライナにいる。心配。ミサイルが毎日着弾する。だから心配」
心配は尽きませんが、オストロウシチェンコさんは、日本語の勉強に加えて、ウクライナの大学の授業もオンラインで受講。
ITエンジニアを目指して、プログラミングなどを学んでいます。