【特集】 震災の記憶つなぐために ともに歩む山古志と神戸 阪神・淡路大震災から30年 《新潟》
阪神・淡路大震災から30年。神戸市で開かれた慰霊祭には中越地震で被災した旧山古志村の女性が参列しました。震災を機につながった山古志と神戸。住民たちの交流は記憶を風化させないことにもつながっています。
1月17日。神戸の街は鎮魂の祈りに包まれました。
阪神・淡路大震災から30年。神戸市で開かれた慰霊祭に中越地震で被災した旧山古志村の住民の姿がありました。
【旧山古志村から参列 松井智美さん】
「30年という重みはすごいと思いますし、ここまで来られているのは地域の力とかほかの方々との支えとか連携がすごいあったんだろうなと感じます」
同じ被災地としてこれまでの歩みに思いを寄せていました。新年を迎えた長岡市の旧山古志村。木籠集落では伝統の小正月行事「さいの神」が行われました。それぞれの願い事が焼かれ、住民たちはこの1年の無病息災を願いました。参加者のひとり、松井智美さんです。
【松井智美さん】
「20年も21年、25年、30年経っても、みんなと一緒に生きていこうっていう気持ちは変わらないかなって、それは色あせていかない感じはします」
◆2004年に発生した中越地震
2004年に発生した中越地震。旧山古志村は道路が寸断されて陸の孤島に…住民たちは全村避難を余儀なくされました。木籠集落は土砂崩れによって川がせき止められ、智美さんのふるさとは水に沈みました。あの日から20年。智美さんは震災の記憶を語り継ぐ活動をしています。
山古志に訪れた人たちを迎えるため木籠集落に建てられた交流施設「郷見庵(さとみあん)」。智美さんはある準備に追われていました。
【松井智美さん】
「これから山古志も歩みを止めずに長田の皆さんを見習って30年目を迎えられるように先輩の姿を見てくるという感じですよね」
この日は1月16日、翌日は阪神・淡路大震災から30年目を迎えます。節目の日を神戸で迎えると決めていました。
【松井智美さん】
「今を大事にしようと思って明日は心を無にしてお祈りしてこようかなという感じです」
1995年に発生した阪神・淡路大震災。日本で初めて震度7を観測し、6434人が犠牲になりました。大規模な火災に見舞われた長田区。この地区だけでも1000人近くの人が命を落としました。
震災から30年となる節目の日。慰霊祭の会場に山古志から駆け付けた智美さんの姿がありました。地震が発生した午前5時46分。
〈松井智美さん〉
「30年目迎えられて」
〈地元の人〉
「なんとか良かったと思いますけど、早いもので30年長い事私らもやってきたなと思って」
〈松井智美さん〉
「すごいですよ、それだけの歩みが」
同じ震災を経験した山古志と神戸。中越地震で被災した山古志へ支援物資を届けたのが日吉町の人たちでした。それがきっかけとなり翌年には長島忠美村長が日吉町の慰霊祭に参列。現地を視察し復興の歩みを見て回りました。
【旧山古志村 長島忠美村長(当時)】
「気持ちを通じあうところを大切にして復興計画を立てる必要があると思いました」
その後も互いの慰霊際に参列し合うなど交流が続いてきました。
交流のひとつが優しく微笑む「わらべ地蔵」です。中越地震で倒れた山古志の木で作られたもので9体のうち1体が日吉町に置かれています。毎年夏に行われる「地蔵盆」。子どもの成長を祈るとともに山古志とのつながりを伝える場にもなっています。
【日吉町 菅利秋さん】
「これを持って里帰りしたこともあるんですよ。 山古志まで。そういう繋がりとしてもすごい大事なことだと思う」
阪神・淡路大震災から30年を迎えた神戸。そして、中越地震から20年が過ぎた山古志。震災の記憶を次の世代へ…交流を続ける住民たちの共通の思いです。
【日吉町 菅利秋さん】
「被災者は通ずるところがあるんですよ。風化言われているじゃない今、それが歯止めがかかるんじゃないかって思っています」
【旧山古志村から 松井智美さん】
「神戸の人たちの歩みを見て勇気をもらって、山古志に行ってささやかな活動ですけど人の心に寄り添えるような幸せにできるような活動を続けていけたら」
震災を機につながった山古志と神戸。これからも手を携えて震災の記憶を伝えていきます。