【地震から1か月】石川県で被災 能登から新潟市の両親のもとで再出発する母子 《新潟》
地震から1か月。
被災者は1日でも早く元の生活を取り戻そうとしています。
石川県で被災し、新潟市の両親のもとで再出発する人を取材しました。
能登から新潟に…生活は一変しました。
<竹森奈津実さん>
「本当にありがたい。普通に水が出る生活、電気が付く生活。何がなんだかわからないうちに過ぎました」
新潟市出身の竹森奈津実さんです。
あの日暮らしていたのは石川県珠洲市。
元日の地震で最大震度6強を観測。揺れにより建物の倒壊が相次ぎ、さらに4メートルの津波も押し寄せ甚大な被害を受けました。
夫の両親や子ども、家族7人で生活していた奈津実さん。地震で自宅は大きな被害が出ましたが全員が逃げて無事でした。
<竹森奈津実さん>
「車の中にみんなで一晩過ごそうと」
大津波警報が出る中、高台で撮影した写真。車の中でおせちを食べているのは夫の昭洋さんです。
深刻な状況でも奈津実さんには笑顔が。
〈竹森奈津実さん〉
「(父を)心配させたらだめだと思ってかなり楽し気な顔で」
新潟に暮らす両親を安心させるため撮った写真です。
新潟市東区に住む奈津実さんの父・博雄さんです。
あの日、奈津実さんから送られたはずの写真は届かなかったといいます。
〈新潟市在住 大沢博雄さん〉
「4日間ずっと音信不通で携帯も全くつながらなかった。津波の心配もあるし気が気じゃない。もう連絡はとれないしマスコミも(能登半島の)奥の方は全然入れなかったので、何も情報がない」
その後、電話で声は聞けましたが、直接会えたのは地震から約2週間後でした。
〈大沢博雄さん〉
「いやもう安心しましたね。生きててくれてよかったお父さんお母さんも含めて誰一人もケガなく生きててくれてよかった」
地震のあと 奈津実さんたちは自宅に住み続けることができなくなり、ビニールハウスなどで避難生活を送っていました。
それでも、今後のことを考え、引っ越すことを決断。
夫の父と母、そして3人の子どもを連れ、博雄さんが住む新潟市東区にやって来たのです。
夫の昭洋さんは石川県の酒蔵で働いていて、冬場は酒造りで忙しいことから当面は離れて暮らすことにしました。
子どもたちは新潟市内の学校に転校、元気に登校しているといいます。
Q)娘家族が近くで一緒に住むというのはうれしい?
「そうですね、正直」
Q)近くで住みたいと思っていた?
「当たりですね」
〈竹森奈津実さん〉
「もうそのまま新潟に住むつもりでこちらに来ました。心配なのは(夫の)お父さんとお母さんが全然違うところに来たので」
〈竹森靖子さん〉
「本当に感謝してます。もうあそこには怖くて行けない。戻れないです」
夫の父・毅さんと母・靖子さんです。
安心して暮らせるからこそ、複雑な心境が湧き上がってくるといいます。
〈竹森毅さん〉
「地元の人はこんな寒いのに(避難所の)体育館やら集会所やらにいることを思うと…」
〈竹森奈津実さん〉
「珠洲の人たちから元気そうで安心したとかメールが来たり、全然後ろめたく思う必要なんかないんだよって。ごめんとかそういう風に思う必要ないんだよって言ってもらえて、ずっとそれが気がかりで自分ばっかりが楽なところに逃げてきた。本当は珠洲に残ってみんなのために動かなきゃいけないところを逃げてきて本当に申し訳ないっていう気持ちがずっとあって、でもそんな風に言ってもらえて、前を向いていこうと思いました」
〈竹森靖子さん〉
「子どものことを思ったら本当によかったと思います、本当に」
「黙とう」
たくさんの命が奪われました。
生活も一変しました。
あれから1か月。生活の再建に被災地の復旧。多くの課題を残しています。