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【能登半島地震】「津波が来たらどうしよう」車で避難、渋滞が発生… 新潟市民は津波からどう避難したのか《新潟》

2024年1月31日 20:05
【能登半島地震】「津波が来たらどうしよう」車で避難、渋滞が発生… 新潟市民は津波からどう避難したのか《新潟》
能登半島地震がもたらした課題と教訓について住民の証言をもとに振り返ります。「津波からどう逃げるか」。元日の地震で県内では31年ぶりに「津波警報」が発表され、各地で津波が観測されました。新潟市民はどう避難したのでしょうか。

新潟市西区松海が丘

和田正紀さん
「海がこれだけ近いので恐怖がすぐ、ここに波がすぐ見えたら終わりだと思う」

海から200メートル

新潟市西区の松海が丘地区に住む和田正紀さんです。自宅は海から200メートルほどの場所にあります。海岸には高さ6メートルの砂丘がありますが、砂の飛散を防ぐためにつくられ、津波をせき止めることは難しいといいます。

ほとんどの住民が車で避難

高台へは大人が走っても20分ほどかかるため、町内のほとんどの住民が車で避難するといいます。

妻・希美子さん
「やっぱり海が近いので、どれだけ安全に逃げられるのかすごく不安が大きい所なのでとにかく高い所高い所、上を目指しました」

11人で夕食中、大きな揺れ

1月1日の午後4時10分。家族と親戚合わせて11人で夕食を囲んでいた時、大きな揺れに見舞われました。地震から2分後に津波警報が発表。

妻・希美子さん
「揺れが収まって、やばい津波が来るとなったら非常用の持ち出し袋を出して、すぐ出ようと」

妻と子どもたちは3分後に避難開始

警報の発表から3分後。希美子さんは母親と妹、そして2人の子どもを車に乗せて高台へ避難を始めます。

親戚を説得するのに時間がかかってしまう

一方の和田正紀さん。東京からやって来た親戚が津波に対して危機感がなく説得に時間がかかっていました。

和田正紀さん
「口調も荒くなって、早く早くって感じになりました」

午後4時25分。地震から およそ15分後に妻・希美子さんたちは高台へ到着しました。

正紀さん出発も「お兄ちゃんがいない」

その頃、ようやく 和田正紀さんたちも家を出発します。しかし、走り出して数10秒後でした。

和田正紀さん
「え、お兄ちゃんがいないみたいな感じで気づいて引き返した」

娘から連絡があり、親戚の1人が、まだ家にいることがわかったのです。慌てて引き返すことに。すでに地震から20分以上が経過していました。その頃。

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上越市に津波