兵士の“寄せ書き日の丸”遺族のもとへ「80年の時を経て生きた証が返ってきた」
2025年は戦後80年です。第2次世界大戦で亡くなった大分県竹田市出身の旧日本軍の兵士の遺品が12日、遺族に返されました。その遺品は無事を願う家族の名前などが書かれた日の丸の旗「日章旗」。
県内を含む全国の遺族に返還されている「日の丸」が現代に平和の尊さを伝えています。
◆工藤賢さん
「80年の時を経て無事、工藤文夫の生きた証が(竹田市久住町)都野に返ってきた。家族一同驚きとともに感謝の念でいっぱいです」
80年の時を経て、遺族のもとに12日返還された旧日本軍の兵士の遺品。それはアメリカ軍の兵士が戦地から持ち帰った日の丸の旗「日章旗」です。
戦地へ向かう兵士の無事を祈り、家族などが名前やメッセージを記していて、「寄せ書き日の丸」とも呼ばれています。
兵士にとってはお守りのようなものでした。12日遺族に返されたこの「寄せ書き日の丸」は竹田市久住町都野で生まれた工藤文夫さんのものでした。
陸軍の兵士として出征した工藤さん。第二次世界大戦の末期、1945年1月にフィリピンのルソン島で24歳という若さで亡くなりました。
日本と戦ったアメリカ側にとっては「戦利品」だったという「日の丸」。戦地から多くのアメリカ兵が持ち帰っていました。
工藤さんのものを持ち帰り保管していたのが、トーマス・ロジャースさんです。
◆クリス・ドーシーさん
「(日章旗の)意味を知り、絶対に返さなければと思った」
亡くなったロジャースさんの荷物の中から「寄せ書き日の丸」を見つけたひ孫のクリス・ドーシーさんは、遺族に返還する活動に取り組むアメリカのNPO法人「OBONソサエティ」に託しました。
調査の結果、工藤さんのものだと判明し、12日、クリスさんから甥の賢さんに手渡されました。
◆工藤賢さん
「これが返ってきて初めて、(文夫さんが)帰ってきたなという気持ちがしている」
このあと、賢さんとクリスさんは工藤さんの墓を訪れ、「日の丸」が戻ってきたことを報告していました。
「OBONソサエティ」によりますと、これまでに全国で600枚以上が遺族の元に返されていて、県内では4例目です。実は3年前にも別の遺族に返還されました。
◆後藤辰徳さん
「祖父を物語るものっていうのはほとんどなかった。遺影ぐらいしかなかったので」
大分市に住む後藤辰徳さんの元にも「寄せ書き日の丸」が返還されました。
この「日の丸」を持ち主は祖父の今朝治さんです。1945年、33歳で沖縄で戦死しました。
今朝治さんの「日の丸」についても保管していた元アメリカ兵の家族から「OBONソサエティ」に託され、遺族である後藤さんの元へ。
◆後藤辰徳さん
「旗自体は当たり前だが軽い。血痕であったり、そういった汚れとか、当時の戦争を物語るものが旗の中から見て取れるので、非常に軽いけど重たい」
「日の丸」に今朝治さんの名前と並んで書かれている千代と翔治。
無事を願う今朝治さんの妻と息子の名前です。後藤さんにとっては父である翔治さん。当時は1歳にもなっておらず、後藤さんは今朝治さんの名前がまるで守るように書かれていると感じています。
◆後藤辰徳さん
「どういった生きざまだったのかなかなか知る機会がなかった。戦争の恐ろしさというか、そういったものを学ぶ機会に。ぜひ若い人も触れてほしい」
戦後80年となる2025年。長い月日を経て、家族の元へと戻ってきた「日の丸」が戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えてくれています。