【松本パルコ閉店まであと10日】2月末で閉店 「人生で一番長く過ごした場所」パルコと共に歩んだ日々 それぞれの思い
若者を中心に、40年以上に渡って愛され続けてきた松本市の松本パルコ。閉店まで残り10日に迫っています。
共に歩んできた人たちが口にするのは、松本パルコへの”感謝”の思いです。
松本パルコのテナントで店長を務める蜜澤英明さん58歳。20歳からの38年間、松本パルコで働いてきました。
蜜澤英明さん
「自分の一部というか、今まで人生の中で一番長く過ごした場所なので、全て今の自分を作っているものはパルコかなと思います」
安曇野市出身の蜜澤さん。1984年、高校3年生の時に松本パルコがオープン。それが、服に興味を持つきっかけになりました。
服飾系の専門学校を卒業後、松本パルコにテナントを置くアパレルショップの運営会社に就職。
メンズショップの販売員としてキャリアをスタートさせ、以来、38年間松本パルコで販売やテナントの立ち上げなどに携わってきました。
”全盛期”だったと振り返るのは、1996年。この年、松本パルコは売り場面積をおよそ2倍に拡大。松本パルコ全体の売り上げもこの頃がピークでした。
蜜澤英明さん
「パルコが増床してからがすごく忙しくなりました。土日とか休憩入れないくらいお客さん多くて」
密澤さんは2008年に独立。現在、松本パルコの中で3つの店を手掛けています。まさに、パルコと共に人生を歩んできた蜜澤さん。
2年前に閉店が決まった時は…。
蜜澤英明さん
「イオンモール(松本)ができてからお客さんの数も減ったりとか、テナントの数も減っていたので仕方がないという気持ちと、ショックはありました」
最後の日が徐々に近づく中、蜜澤さんの店にも多くの常連客が訪れています。
茅野市から訪れた戸枝敏さんも常連客の一人。
20年ほど前から2か月に1回のペースで密澤さんの店に足を運んでいるといいます。
常連客 戸枝 敏さん
「蜜澤店長さんのセンスがすごく良くて、こういう服は似合わないかもしれないというものを勧められて着たら実はすごくよかったりとか、ここに来れば確実に似合う服が買えると思って通うようになった」
この日は靴と、息子へのネクタイを購入。
蜜澤さんの店は、3月から、松本市の隣、山形村の「アイシティ21」に移転することが決まっています。
戸枝さんはこれからも蜜澤さんの店に通うつもりです。
蜜澤英明さん
「自分としてはたくさんのお客さん接客していますけど、お客さんとしては自分だけの思い入れのある買い物を忘れないでいてくれるんだなというのはすごく強く感じますね。そういうところに携われたのは良かった」
閉店が迫る中、蜜澤さんが先月から続けていることがあります。
蜜澤英明さん
「記念に撮りたいのとカウントダウンの意味もあって」
出勤した日は毎日、様々な角度から松本パルコを写真に収め、店のインスタグラムで発信。
パルコでの残りの日々をかみしめるように店に立っています。
蜜澤英明さん
「お客さんが来た時に残念だねって言っていただけるように接客したい。パルコには感謝して最後を迎えたいなと思います」
年が明けて、初売りやセールなどが続き、賑わいを見せる松本パルコ。来店客の数は前年を上回っています。
感謝の気持ちと共に別れを惜しむのは地元も一緒です。
パルコから300メートルほどの場所でセレクトショップを経営する小林寛さん。
小林さんは、地元有志などで作る「ありがとう松本パルコ実行委員会」の代表を務めています。
小林寛さん
「ありがとうという気持ちで松本パルコを送り出そうという、最後にドカーンと花火上げて盛り上がって気持ち的に頑張るぞという気持ちが湧いてくるんじゃないかという考えもあります」
松本パルコの最終日には、思い出を語り合うパーティーや、写真撮影会などを企画しています。
小諸市出身の小林さんは30年前、松本パルコがあることを理由に近くにアパレル店をオープン。一時は、パルコにテナントを出していたこともあります。
小林寛さん
「パルコを経由してうちのお店に来たり、パルコがあるおかげで街に出てきて、お店を知っていただいたり」
ファッションの聖地であり街のシンボルだった松本パルコ。
後利用が明らかになっていない中で小林さんは今後も街のにぎわいを生むために模索していきたいと考えています。
小林寛さん
「これからは、松本市の集客はパルコという建物じゃなくて、中心市街地、町全体だと思う。このまま放っておけば松本市は廃れてしまうし、飲食、宿泊、色々な方と協力し合って、街づくりを進めていきたいと思います」
【閉店まで…残り10日】