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地下鉄サリン「防ぐこと可能だった」消えた“早期着手”元警察庁幹部の証言~シリーズ「オウム30年」

2025年3月20日 23:04
地下鉄サリン「防ぐこと可能だった」消えた“早期着手”元警察庁幹部の証言~シリーズ「オウム30年」

 地下鉄サリン事件をはじめ、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教。山梨県旧上九一色村の教団施設への強制捜査から3月で30年を迎える中、当時の映像と30年後の証言で事件について考えるシリーズをお届けします。4回目は地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか、早期着手も浮上しながら立ち消えとなった強制捜査の内幕について元警察庁刑事局長の証言です。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)   
「捜索の現場で抵抗されるのは予想していたが、そういう形(地下鉄サリン事件)でオウム側が打って出るのは想像していなかった」

 刑事警察のトップ、警察庁刑事局長を務めた垣見隆さん(82)です。

 1993年からオウム捜査の実質的な責任者として、教団に対峙しました。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「私もある意味でオウムの一連の事件の中で言えば途中からという格好ではあるが、私が1993年に刑事局長になり、その翌年の1994年6月末に松本サリン事件が発生したのが大きなポイント」

 垣見さんによりますと、松本サリン事件のサリン原料の追跡捜査をする中、警察は教団が機関誌でサリンに言及したこと、さらにダミー会社が原料を大量購入した事実を把握します。

 1994年11月には旧上九一色村の教団施設・サティアン周辺の土壌から、オウムと松本サリン事件を関連付ける決定打となるサリン生成時の残留物の検出に成功しました。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「サリンを宗教団体が作るというのはあり得ないというか、とても信じられない思い」

 オウムはまだ、警察の動きをつかんでないだろうー。

 実は当時、警察庁が関連する県警と極秘裏に進めていた計画がありました。それは、宮崎と山梨で起きた2つの事件を突破口に教団の捜索に踏み切る、というものでした。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「とりあえず2つを事件として固めれば、オウムに対する捜査、関係者の逮捕なり、場合によってはオウム関係施設の捜索などができるのではないか。宮崎県警、山梨県警と連絡を取り合いながら進めていた」

 しかし、この計画は翌12月、警察庁の国松孝次長官らの判断により見送られます。「時期尚早ではないか」という上層部の判断でした。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「これだけの事案だから当然、検察庁と調整して後の起訴の可能性も含めてある程度、了解を得ることが必要だったが、検察庁の了解を得るまで(事件の)固まりが1994年の段階でできていなかった」

 そして、年が明けた1995年1月1日、警察にとって予期せぬ出来事が起きます。元日の紙面で全国紙が放ったスクープ、見出しは「上九一色村の教団施設からサリン残留物」でした。

 これにより、ひそかに進めていた計画は見直しを余儀なくされました。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「そこで一つ局面が変わったというか、それ(記事)が出た以上、オウムとしても警察の手の内を知ることになった」

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「場合によっては組織的な抵抗を考える可能性がある。なかなか具体的な実施に決まるまで至らなかった」

 記事を書いたのは当時、読売新聞社の記者だった三沢明彦さんです。

 三沢さんは当時、記者としての「使命感」と教団を刺激する「リスク」との狭間で、葛藤があったと振り返ります。

元読売新聞社 記者 三沢明彦さん
「我々が書いたことによって暴発して多数の人が死んだということに対して、責任が取れるんだろうかという思いが大きくあった」

元読売新聞社 記者 三沢明彦さん
「松本サリン事件ですでに多くの方が亡くなって負傷者を出す大きな事件が起きている。そうするともう一度(サリンを)使われる危険な状況である」

元読売新聞社 記者 三沢明彦さん
「国民として次どこで使われるか分からない状況で、知らせる意味もあるんじゃないかと」

 状況が変わり、急ぎ計画を仕切り直した警察庁は、強制捜査の着手日を1995年3月22日に設定します。

 しかし、その2日前、地下鉄サリン事件は発生しました。

 警察の強制捜査が近いことを察した教団が、捜査のかく乱を狙ってサリンをまいたことが後に明らかとなります。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「1995年3月19日に警察庁と警視庁で集まって協議した。結果を受けて(3月20日)最終的に警察庁としても方針を固めるというか、若干、警視庁と警察庁内で相談しよう早め出勤してきて」

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「8時20分くらいに到着したが、まさか地下鉄がターゲットになって、そういう事件を起こされるのは本当に予期し得ない事案だった」

 強制捜査に踏み切るからには部隊を小出しにするわけにはいかず、捜査員をサリンから守る準備期間も足りない。垣見さんは「一歩が踏み出せなかった」と悔やんでいます。

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「捜索をもっと早く実施すれば防ぐことは可能だったと思う。結果論ではあるが」

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「捜査の常識にとらわれ過ぎていたのかな。特にサリンという危険物を所持している可能性がある状況の中でもう少し違う判断というか」

元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「その時点でそれなりに考えて判断したが、捜索の前に地下鉄サリン事件が敢行されたのは一番の反省。その辺はまさに自問自答して、本当に正解はあったのかどうか」

最終更新日:2025年3月20日 23:04
山梨放送