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【法廷ルポ】一審で無罪“紀州のドン・ファン”元妻に検察が控訴「合理的な疑い」控訴審のポイントは?「事件性」「犯人性」が否定された中…一筋縄ではいかない検察側の立証

2025年1月4日 10:00
【法廷ルポ】一審で無罪“紀州のドン・ファン”元妻に検察が控訴「合理的な疑い」控訴審のポイントは?「事件性」「犯人性」が否定された中…一筋縄ではいかない検察側の立証
一審で無罪判決を受けた須藤早貴被告(28)

 『紀州のドン・ファン』と呼ばれた資産家の男性を殺害した罪などに問われていた元妻・須藤早貴被告(28)に対し、12月12日、和歌山地裁は『無罪』を言い渡した。犯行を示す直接的な証拠がない中、事件から6年もの月日を経て、世間が裁判の動向に注目する中、言い渡された無罪判決―。検察側は不服として控訴したことで争いの場を高等裁判所へ移すことになったが、法廷では何があったのか、控訴審でカギとなるポイントを分析する。(報告:阿部頼我)

■判決期日に『巻き髪』は自信の表れか…無罪言い渡しに涙する一幕も

 判決が言い渡される数分前、須藤被告が法廷に現れた。

 勾留されている人のそれとは思えないほど艶のある長い黒髪は、これまでは真っすぐに揃えられているのが印象的だったが、この日は毛先が緩やかに巻いた状態だった。判決を前にした心情の変化か、それとも気合の表れか、小さな変化が傍聴席から見て取れた。

 これまでの裁判の経過・やりとりなどから、無罪判決も十分予想される状況ではあった。法廷戦術も含めた「検察の主張の不十分さ・不明瞭さ」が主な理由だ。そのため、無罪判決が出た場合のシミュレーションもしてはいたが、とはいえ、「どうにか理屈を組み立てて有罪にするのだろう」という思い込みが最後まで頭を離れなかった。

 法廷の奥にある扉から裁判員らが現れると、廷内にいる皆が起立し、一礼して着席する。やや張り詰めた空気の中、裁判長が須藤被告を証言台に誘導すると、息つく間もなく速やかに言葉を発しはじめた。

「主文、被告人は無罪」

 あまりにもあっけない宣告に、一瞬、法廷内に静寂の時が訪れた。最前列に座っていた私はいち早く席を立って出口を目指したが、静けさが崩れると同時に、他社の記者たちも一斉に動き出し、行く手を阻まれる。外に待機していた記者に「無罪」を伝えると、裁判所の敷地外で構えるカメラの前へ急いだ。

 無罪を言い渡された瞬間の須藤被告は、硬直したようにも見受けられたが、すぐに軽く前かがみになり鼻をすするようなそぶりも見られた。廷内に残った記者によると、代理人弁護士から手渡されたハンカチで涙を拭っていたという。判決理由が読み上げられている最中は真っすぐ裁判長の方を見据え、言い渡しが終わると裁判長に一礼をし、法廷を後にした。

■犯行可能な立場にありつつも…「殺害したかは合理的な疑いが残る」

 和歌山地裁の一審判決では、須藤被告が「犯行可能な立場にあったこと」を認定している。例えば、覚醒剤を飲ませる手段について、ビールに混ぜたり数十個のカプセルを飲ませたりすることは不可能ではないと判断した。(ビール自体に苦味があるとはいえ、覚醒剤をごまかせる程度かは疑問が残り、数十個のカプセルを違和感なく飲ませることもやや無理筋である印象も受けるが)

 しかし、主に検察の主張で『曖昧』だった部分について、裁判所は「殺害を強く推認させるほどのものではない」と一蹴。須藤被告が野崎さんに覚醒剤を摂取させて殺害したことについて、「合理的な疑いが残る」と判断した。つまり「怪しいが、須藤被告の犯行だと断言できるほどの証拠ではない」と判断したことが読み取れる。

 以下、重要だと考える2つのポイントを挙げる。

 <要点①>覚醒剤の入手
 裁判では、須藤被告が覚醒剤購入にあたり接触した2人の売人が証人として出廷しているが、その2人の証言は割れていた。須藤被告に直接手渡したという売人Aは「覚醒剤を渡した」と話したが、もう一人のインターネット上でやり取りをし覚醒剤を用意した売人Bは「氷砂糖を売った」と話したのである。(なお、隠語としての氷砂糖ではなく本当の氷砂糖と主張する)
 裁判所は、Aが嘘の供述をしているとは思えないものの、①覚醒剤を仕入れたのはBであり、AはBがどこから仕入れたのか知らないと答えた点、②実際の覚醒剤を見たのは暗い路上で、携帯電話の明かりを頼りに封筒の中をのぞいた一度のみ、という点などから、Bの主張するように氷砂糖であった可能性が否定できないと判断。「注文したところまでは認められるが、入手したとまでは認められない」と結論付けた。

 <要点②>事故の可能
 性判決文では、これまで提出された証拠から「野崎さんの自殺の可能性」と「須藤被告以外の他殺の可能性」は否定されている。残るは、野崎さんが覚醒剤を誤って致死量を超えて摂取した「事故の可能性」だが、これついて「完全には否定できない」と判断した。 
 例えば裁判所は、野崎さんが死亡する少し前に「覚醒剤やってるで。へへへ」と知人女性に対して電話していた事実を指摘した。冗談の可能性がある一方、何の背景もなくこのような発言をすることもまた考えにくく、冗談だとは決めつけられないとした。
 他にも検察は、覚醒剤が入っていた「パケ」が自宅から発見されていない事実や、野崎さんが人一倍健康に気を使っていた事実などを挙げ、野崎さんが自ら覚醒剤を使用した可能性を否定していが、裁判所はいずれも「覚醒剤の使用を否定するほどの証拠ではない」としている。その上で、初めて覚醒剤を摂取した野崎さんが、「誤って致死量の覚醒剤を一度に摂取した可能性もまた否定できない」と結論付けた。

■控訴審のポイントは…一筋縄ではいかない「合理的な疑い」の払しょく

 控訴審は、一審で調べられた証拠のみをもとに、一審判決の妥当性について検討される。すなわち、検察側は控訴審で、今回の裁判で提出された証拠のうち、一審では無罪の理由とされた『合理的な疑い』を払しょくしなければならない。

 ポイントはまず、一審で覚醒剤の入手が認められなかったことについてだ。氷砂糖を手渡したという売人Bの証言や「野崎さんから頼まれて購入した」という須藤被告の証言を崩すことができるのか。

 特に、須藤被告が入手したのが「覚醒剤以外である可能性」を完全に排除できるかが重要になるが、氷砂糖を売ったと証言する売人Bが証言を180度改めるか、法廷での証言の信ぴょう性を否定する証拠を揃えるなど、一審からの大きな変化が必要となるはずだ。この、証明は一筋縄ではいかないだろう。

 もう一つは、「野崎さんが誤って飲んでしまった事故の可能性」をどのように否定するのか。この部分の判断について、一審判決では「あり得ないとは言えない」「疑問が残らざるを得ない」「完全に否定することはできない」などと、曖昧な表現を多用しているのが印象的で、際どい判断だったことが伺われる。

 しかし、野崎さんが摂取した可能性がない=自ら摂取することができなかった、もしくは摂取するはずが無かったことの証明を要するが、「ないものの証明が難しい」と言われるように、こちらも一筋縄ではいかないと感じる。

 「疑わしきは罰せず」の原則のもと、状況証拠のみであっても、明確な基準のもと、「被害者が殺害されたのか(事件性)」「被告以外に可能性が完全に排除されているか(犯人性)」は慎重に判断されなければならない。その結果、今回のように「無罪」となれば、それは検察の立証が不十分だったと言わざるを得ない。和歌山地裁の判決は、不明瞭なものは不明瞭だとはっきり言い切ったものだといえる。

 被告が一貫して無罪を主張する中、裁判員を含めて審議した一審判決が維持されるのか、それとも検察が判決を覆すだけの新たな立証を構築するのか―。控訴審の行方が注目される。

最終更新日:2025年1月4日 10:00