【特集】88歳の現役テレビディレクターが全力で挑む報道の世界「うまくいかないほうがドラマチック」還暦から歩み始めた新たな人生に密着
テレビのディレクター。業界では、アルファベットの頭文字を取り「D」と呼びます。今回1年半にわたり密着したのは、2023年に米寿を迎えた現役D・尼子成夫氏。元々はテレビ番組の構成・台本・サブタイトルなどを手掛ける放送作家として、関西で多くの人気番組に携わってきた実力者でしたが、還暦を過ぎ、報道ディレクターに“転職”。フリーランスのDとして、いつまでも人から求められる、その生き方とは―。
提案する企画は年間80本以上!取材対象者は“70歳年下”の高校生 現役ディレクターとしての日々
2022年4月、読売テレビ本社にやって来た尼子成夫ディレクター。この日は番組の企画会議で、企画デスクとの打ち合わせです。
(尼子成夫ディレクター)
「今回は、何本あるのかな。80本…85本か(笑)」
(読売テレビ・企画デスク)
「凄いですね」
会議で、これほどの数の企画書を一度に提案するのは、尼子Dだけ。
(尼子D)
「大体、毎年80本ぐらいは出していますね」
(企画デスク)
「尼子さん、おいくつになられたんですか?」
(尼子D)
「86歳です」
(企画デスク)
「86!私は42歳なので、倍ぐらいですね」
と、なぜか企画デスクの前にあったお茶のペットボトルを手元に寄せる尼子D。
(企画デスク)
「…あの、それ私のお茶」
(尼子D)
「あ、そうか?あれ?」
(企画デスク)
「ははは(笑)」
和やかな雰囲気で、会議は進みます。ただ、企画の中身となると、その言葉にも熱がこもります。
(尼子D)
「僕、魚が大嫌いなんですよ。鯛の骨を、喉に詰めたんです。それ以来、魚が嫌いになりました。子どもの8割が、魚が嫌いな理由は骨があるから」
(企画デスク)
「骨を柔らかくして、骨ごと食べられるということですか?」
(尼子D)
「そうです、特殊な餌を与えるんです」
(企画デスク)
「面白いと思います。ぜひ、ぜひ」
このように1本1本企画を通してから、いざ撮影現場へ。
7月某日。この日の取材相手は、農業を学ぶ高校生たちです。
Q.86歳って、皆さんにとっては…?
(生徒)
「ひいおじいさんぐらいです」
「70歳ぐらい離れています」
「高校生の僕らでも今日めっちゃ汗をかいて、ずっと『暑い、暑い』って言っている中、尼子Dはずっと喋って、凄いと思います」
元々は伝説の深夜番組「11PM」の放送作家 「タイトル付けの日本一」との評価も
テレビ業界で語り継がれている、深夜の伝説番組「11PM(イレブン・ピーエム)」。尼子Dは、この番組の放送作家として活躍していました。当時、一緒に仕事をしていた放送作家・疋田哲夫氏(75)は―。
(放送作家・疋田哲夫氏)
「あの人は、とにかくダンディーやった。背が高くて、リーゼントで、マスタングに乗って、旧社屋の駐車場にビューンッて来はるねん。当時、読売テレビが、こういう“夜のワイドショー”の先駆け、先駆者というかね。視聴率を取るために何をしたかというと、タイトルです。尼子Dは『タイトル付けの日本一』だと、俺は思うね」
放送作家の武器は、言葉。
「これを食らえと 姑の頭に煮え汁をかける鬼嫁」
「家計を食いつぶすと 老姑の入れ歯を抜く鬼嫁」
嫁姑問題に渦巻く双方の心の声を、過激なワードで代弁しました。
(尼子D/放送作家時代のインタビューより)
「何よりもまず、チャンネルをひねってもらわないといけない。チャンネルをひねってくれる動機になるのが、タイトル。だから、そのタイトルに“ひきつけるもの”がないといけない。嫁と姑の場合は、ある程度『鬼嫁』というタイトルを付けたり。俳句を考える俳人が、景色を見たら五七五が浮かんでくるのと、ほぼ近いものがあるかもわからんね」
テレビ全盛期の80年代。ネーミングセンスを武器にその地位を築きましたが、時代の流れと共に、担当していた番組が終了。還暦を過ぎ、報道ディレクターとして生きる道を選択しました。
「突き当たって、突き落とされて、よじ登って、というほうがドラマチック」…七転び八起きの人生観
この日は、朝ご飯を食べない子どもたちのため、小学校の家庭科室で朝食を作るボランティアグループを取材。なぜ、早朝5時から、子どもたちのために朝食を作るのか?尼子Dは、その理由を、ボランティアの代表・表西さんに尋ねました。
(尼子D)
「表西さんが動かされたのは、何かがあったんじゃないですか?子どもたちが、かわいそうだなとか」
(子どもたちに朝食を作るボランティア代表・表西さん)
「ない!はっきり申し上げます、それはないですよ。『朝食を食べられない子どもがいる』という現状を、どないかしたいということです」
(尼子D)
「表西さんところに、子どもたちからメールが来ているじゃないですか」
(表西さん)
「来てない!」
(尼子D)
「えっ!前、見せてもらいましたよ?」
(表西さん)
「今はもう、ないと思います」
(尼子D)
「消したんですか?」
(表西さん)
「もう消して、全部処分していると思います」
関西屈指の放送作家でも、ディレクションは思い通りに進みません。
別の日、「引退した元力士のセカンドキャリアを考える企画」で向かったのは、クリーニング店。新しい仕事でどんな苦労があるのか、聞いてみます。
(尼子D)
「手に圧力がかかるので、しんどいとかないですか?どこが、しんどいですか?」
(元力士・宮崎大介さん)
「いや、どこもしんどくないですけどね」
(尼子D)
「やっぱり、しんどくないのは、相撲時代に体を鍛えていたから?」
(宮崎さん)
「そうでもないですよ。だって、他の職人さん、めちゃくちゃ細いじゃないですか」
ここでも、筋書き通りにはいきません。
取材が終わり、次に待っているのが編集作業です。
(尼子D)
「僕は、宮崎さんの入りは“音”から入りたいな、というのがあるんよね。いきなりナレーションじゃなくて」
(編集マン)
「……」
尼子Dのリクエストに、頭を悩ます編集マン。孫ほど年の離れたスタッフと、同じ目線で話し合います。
話し合いを続け、尼子D、ついに良い原稿がひらめいたようです。
(尼子D)
「こんな感じじゃ、あかんのかな?朝7時から夜遅くまで、昼食は配達途中の車の」
(編集マン)
「いやいやいや。昼食配達途中は、この流れの画の中に登場させることは、できないんで」
88歳と27歳。なかなか、一つにまとまりません。
還暦を過ぎ始まった、ディレクターとしての生活。慣れないことの連続で、疲れないのでしょうか。妻・美恵子さんに聞いてみると…。
(尼子Dの妻・美恵子さん)
「スポンジみたいな人です。バァーッて言っても、ふわふわふわふわ~って(笑)」
Q.吸収しちゃう?
(美恵子さん)
「そうそう。年齢がいってる分だけ、吸収範囲が広いっていう感じです」
(尼子D)
「人生と一緒です。人生も、うまくいくなんてことは、あり得ないんで。どこかで突き当たって、突き落とされて、よじ登ってというほうが、ドラマチックじゃないですか。今回も困ったなぁと思っているけど、諦めているわけじゃないです」
諦めたら、それで終わり。「特集のネタは面白さで勝負」が、尼子Dのモットーです。
(尼子D)
「1年分の新聞があるんですよ。朝から晩まで読んで、1本見つかるときもあれば、2~3本見つかるときもあるし。僕なりの感性だと思うんですけれども、観ている人が面白がってくれるだろうと、それで僅かながら、その底辺に社会性があるだろうと、そういう判断をしています」
仕事の合間を縫って、趣味のゴルフにも打ち込んでいます。遊びにも仕事にも、フルスイング!…なのですが。
(尼子D)
「ゴルフをしていて、ボールが山のほうに行って、OBじゃなかったから打った瞬間に、斜面なんでバランスを崩して、転がり落ちて…」
「運が7割、実力3割」1本失敗したら「もういいわ」と言われる厳しい世界で活躍続けられる理由
(尼子D)
「テレビ界に来たときに一番親しくなったのは、亡くなった藤本義一さん。“ギッちゃん”から言われたのは、『俺らの仕事いうのは、明日が定年かもわからへん。それとも、88歳が定年かもわからへん』と。1本失敗したら、『もういいわ』という世界。『これ1本で終わりかな』と思いながら、ずっとやってきたんです。それが、たまたま続いてるという」
人生、諦めたら、そこで終わり―。例え最初は意見が合わなくても、尼子Dの諦めない熱い思いが、伝わっていきます。
(表西さん)
「私が77歳で、尼子Dが86歳(当時)だったら10歳ほど年上だから、そういう点では若くて、頑張ってはりますね。凄いと思います」
話を聞いても、どこか緊張感のあった元力士・宮崎さんも、時間が経つにつれ…。
(尼子D)
「何があった?」
(宮崎さん)
「まげ…」
(尼子D)
「えー!置いてあるんですか?」
(宮崎さん)
「置いてあります、物置みたいな所に」
(尼子D)
「ちょっと撮らしてほしいわ、ごめん」
宮崎さんが力士であったことを証明する、貴重な「まげ」の撮影に成功した尼子D。宮崎さんの娘さんにもインタビューします。
(尼子D)
「お父さんのこと、一言だけ聞きたいです。どんなお父さんですか?」
(宮崎さんの娘)
「まぁ、みんなには自慢できる感じです」
(尼子D)
「お父さんが力士だった頃の写真見て、どう?」
(宮崎さんの娘)
「でかい(笑)」
(宮崎さん)
「かっこいいやんな?」
(宮崎さんの娘)
「んー」
(宮崎さん)
「かっこいいって言えよ(笑)」
(宮崎さんの娘)
「それはちょっと違…か、かっこいい(笑)」
(尼子D)
「言わされてるやん(笑)」
最後は、みんな笑顔で撮影を終えました。
ある日、尼子D夫妻が、マージャン卓を囲んでいました。
(美恵子さん)
「同じ趣味がないので、これ覚えたら一緒に遊んでもらえるかなと思って、覚えました(笑)」
(尼子D)
「マージャンは、運が7割、実力が3割。人生に似ているな、と思って」
88歳、米寿の報道ディレクター。年齢を言い訳にせず、常に全力でテレビを作り続けます。尼子Dの生き様こそ、正に「継続は力なり」―。
(「かんさい情報ネットten.」2023年10月24日放送)