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蝶野正洋 長年“黒のカリスマ”をプロデュースする人物に「一生頭が上がらない」

2023年9月23日 22:05
蝶野正洋 長年“黒のカリスマ”をプロデュースする人物に「一生頭が上がらない」
“頭が上がらない”という人物を明かした蝶野正洋さん
50歳以降の男性に向けた新刊『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』を執筆した、プロレスラーの蝶野正洋さん(60)にインタビュー。自己プロデュースの原点や、実は“一生頭が上がらない”という蝶野さんをプロデュースしている人物について明かしてくれました。

今回執筆した本書では、主に50歳以降の男性に向けて、リストラや役職定年などで背負っていた肩書がなくなった時に、どう生きていったらいいのかを、自己プロデュースの達人でもある蝶野さんがアドバイスをする一冊となっています。

蝶野さんは、1984年、新日本プロレスに入門し、同年10月5日にデビューしました。その後、ヒールとして一大ムーブメントを起こした“nWoジャパン”、 “TEAM2000”を結成するなど、“黒のカリスマ”としてプロレス界で活躍しました。現在は、テレビ出演やアパレルブランドの経営、AED救急救命や地域防災の啓発活動など、様々な場で活躍しています。

■蝶野正洋をプロデュースする人物

――蝶野さんが自己プロデュースを始める原点となった出来事を教えてください。

自分らの世代は子供の数が多かったんですよ。中学に1年行ってすぐにクラスが多くなって、計画的に2年生から新設校に移って。そのときに部活もなにもなくて、自分たちが全部作らなくちゃいけなかったんですよね。そういう環境もあったし、自分は小学校の時から渋谷から三鷹に引っ越してきて土地柄、野球が盛んだったんですけど、サッカーが好きだったんで、サッカー部をやるのに仲間をかき集めて、というようなことを小学校、中学校とやっていましたね。ガキ大将みたいなとこがありましたね。

――蝶野さんにとって一番大きな“自己プロデュース”を教えてください。

実は、家内にプロデュースされているのが一番大きいかもしれないですけどね。自分で何もやってないかもしれないですね。管理されている(笑)

――1987年には妻のマルティーナさんと出会われていますが、その時点からプロデュースされていた?

そうです。もう一生頭上がらないでしょうね。でもね、俺なんか首輪をつけられてなかったら、たぶん50歳まで生きてないかもしれないよね。好きなことやって体壊して。かみさんが外国人なので、やっぱりひとりにできない、させられないという思いが常にある。その気持ちで自分がしっかりしなきゃいけないっていうのがありますね。自分ひとりだったら、好きなことやって終わってしまうのかもしれないですけど、そうはいかないっていう存在でしたね。

■「50代は不安の中で生きている」

蝶野さんはプロレス以外にも、日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の“笑ってはいけないシリーズ”では、月亭方正さんにビンタをする役で出演。他にもアニメ『ガールズ&パンツァー』のファンとして応援大使を務めるなど、若い世代には、“蝶野=ビンタ”、“ガルパンおじさん”などのキャラクターで幅広くその存在が知られています。

――新たな肩書がつくような仕事にはどのような気持ちで臨んでいましたか?

なにかがきっかけになる。プロレスでいうと“nWo”っていうのがあるんですけど、そのときの自分はどうなるか予測もしてなかったし、ガキ使もそうでしたよね。まったくどういう番組になっていくかなんてわからなかったし。それから子供番組に出たときも、まったくそういう反応は自分ではわからずに。ある意味チャレンジしていくという気持ちでしかなかったです。

――今回の本のテーマでもある“肩書を失った人”たちへ、自分を光らせるためのアドバイスをお願いします。

振り返ると50代っていうのが、結構健康面も含めて俺の中で厳しい大変な時期だっていう思いがあるんですよ。たぶん今、いろいろな社会的な地位のある人たちも、先がなくなってくるというようないろんなストレスがあると思うんですけど、それってたぶん肩書とか関係なく、みんな体調であったり、不安を持っている。例えば社長クラスの人たちも、50代後半とか、50代の時ってそういう不安の中で生きてる。

次の60歳を迎えるステップ、明らかに体がもう変わってきてるんで、それに対して自分ができること。ただ、やっぱり下のやつらに教えなきゃいけないことがある。50代ってことは社会に出て30年とかね、そういうふうな人たちは、自分が経験したことをどこにも伝えずにフェードアウトするんじゃなくて、後ろにいるやつらに少しでも自分たちの経験を伝えていくことが役割だと思いますね。