中村勘九郎・七之助が語る 亡き父・勘三郎さんから孫に継がれる中村屋の“芝居愛”
■誰にも愛された歌舞伎俳優 父・勘三郎さんの人柄
立役から女方、さまざまな役柄を演じてきた十八世・中村勘三郎さん。歌舞伎を知ってもらうため、若者の街・渋谷にある劇場で『コクーン歌舞伎』を始めたり、江戸時代の芝居小屋を再現した『平成中村座』を現代風に復活させたりするなど、歌舞伎の普及に尽力してきました。熱心で、飾らない人柄は多くのファンから愛される一方、伝統をつないでいく者として、息子たちには厳しい姿を見せることもあったといいます。
――勘三郎さんは生前、どんな歌舞伎俳優でしたか?
勘九郎:友達とか同級生とかに見せたくなるよう役者です。一言でいうとね。
七之助:父は、祖父(十七世の勘三郎さん)のことを僕たちに“じじちゃま”と言っていたんですけど、その祖父の芝居を見て「俺は小学校の頃、じじちゃまの芝居を友達に見せたかった。絶対に面白いから見に来てと言ってたんだ。俺もそういう役者になりたいし、なっているだろう」って言っていました。
――厳しい一面もあったそうですが、いかがでしたか?
勘九郎:やはり芸を愛していましたし、真剣に立ち向かい闘ってきた人ですから、理想とかけ離れた場所にいる時は、それはもう烈火のごとく。
七之助:今はほら、コンプライアンスがね…。話せないことだらけ(笑)
勘九郎:でも、誤解しないでほしいのが、うちの父親、いいときは、もう死ぬほど褒めてくれるんですよ。ダメな時はダメだし。だから信用できる。『連獅子』という演目に、手を取る振りがあるんですけど、良くない時は、手を握ってくれないんです。お客様には分からないように。
七之助:目も見てくれないんです。
勘九郎:本番中、それはもう怖かったですね。でも、いい時はぎゅーって握ってくれるんです。
七之助:そのときのうれしさなんてね。“このためにやっていた!”って(笑) 本当に父の芝居を見ていると、“こうなりたい”という尊敬しかなかったので、僕は女方ですけれども、“こういう役者になりたい”というようなことしかなかったので、いくら厳しくても全然理不尽ではなかった。そういった厳しいことを言ってくれたおかげで、今の2人がいると言っても過言ではないのでね。
――父としては、どんな姿でしたか?
勘九郎:家でも芝居の話しかしないです。僕なんかは、学校から帰ってきたら「今日どうだった? 部活どうだった?」っていう会話が普通じゃないですか。
七之助:「部活どうだった?」なんて聞かれたことないよ!(笑)
勘九郎:そう、僕らが何をしていたかも知らないと思う。帰ってきたら芝居の話。ご飯食べていても芝居の話。でも、それ以上に話が面白かった。
七之助:主導権って言っていいか分からないけども、一発目に口火を切るってことは100%なかった。最初に「(芝居は)どうだった?」っていうところから始まって、「じゃあ俺の芝居じゃなくて、序幕から振り返っていこう」って序幕から全員に感想を聞いて、「俺はこう思う、ああ思う」ってどんどん膨らんで、「あの映画見た?」とか芝居の話が99.99ぐらい。あとはゴルフ。ゴルフと芝居の話しかしなかったね。
■歌舞伎座で十三回忌追善公演を上演
――公演の見どころを教えてください。
勘九郎:特に私と七之助がやらせていただく『籠釣瓶』で演じる“次郎左衛門”は、本当に父が大好きだった役を、初役で勤められて、しかも兄弟2人でできるっていうのは、こんなうれしいことはないです。(七之助さんが)二男の長三郎と共に踊る『連獅子』は、本当に中村屋に所縁のある演目。私たちも父と共に踊ったのは数えきれないぐらい。
七之助:一番踊ってますね。
勘九郎:祖父の十七世・勘三郎が、父(十八世・勘三郎さん)に「お前、追善ができるような役者になっておくれ」って遺言のように言っていたことを、自分たちができたことっていうのは喜んでくれてるんじゃないかなと思います。
七之助:(父は)背中で見せてたっていうところがあるので、父から受け継いだものをまずちゃんとやる。そこを経て、教わったものを伝えていくってことが大切なんじゃないかなと思いますね。
■初舞台から7年 息子・勘太郎と長三郎の成長
――勘太郎さんと長三郎さんは、稽古場でどのような様子ですか?
勘九郎:長男の勘太郎は、もう頭の中芝居しかない。小学校の時、学校に面談へ行くじゃないですか。先生に「授業中よく、ぼーっとしていらっしゃることがあるので気をつけてください」って、「すみません」って言って、帰りの車の中で、「お前(授業中に)芝居のこと考えているんだろ?」って聞いたら、「うん」って。授業中、芝居のこと考えているんですよ。
――それは、お父さんとしては…
七之助:注意できないよね?
勘九郎:そうなの(笑) うれしいですよね。
――七之助さんは、今回勘太郎さんと共演されますがいかがですか?
七之助:この間、初めて稽古見たんですけれども、僕は叔父バカなので…。もっと成長するでしょうけれど、私の想像をはるかに超えていて、終わったときに抱きついちゃいました。甘やかしてはいけないかもしれませんけれど、ちょっとうれしかったですね。
――二男・長三郎さんはいかがですか?
勘九郎:彼は普段、ファニーな男です。チャーミングで突拍子もなかったり、不思議だったりする子なんですよ。でも稽古になった途端、何のスイッチか分からないんですけど「はい、お願いいたします」って。(勘九郎さんが)「背中でよく音聞いて」って注意すると「はい!」って。人が変わっちゃうんですよ。
――小さいころからそうなんですか?
勘九郎:違う違う、今回から
七之助:今回からね。
勘九郎:(勘三郎さんのことを)じじちゃまって呼んでるんですけど、そのじじちゃまの追善で踊るということを彼の中で認識しているんですよね。
■父・勘三郎さんが残した言葉を振り返って
父として、歌舞伎俳優として、勘九郎さんが息子たちに望むこととは…? その願いにも勘三郎さんから学んだ熱い思いが引き継がれていました。
――今後、息子2人にはどのように成長していってほしいと思われていますか?
勘九郎:もう伸び伸びやってほしいです。幸いなことに芝居が好きっていうのが、彼らの中にあるので、あとはうちの父親が体現していたし、ずっと言ってたこと。 “お客様のために”。自分ファーストじゃなくて、お客様ファースト。お客様のことを考えて、楽しんで帰っていただけるような役者になっていってほしいなと思います。
――勘三郎さんは、勘九郎さんの襲名公演の口上で「一歩一歩進んでいって、ゆくゆくはあっぱれ歌舞伎役者となれるように」と願いを込められていました。そんな思いを背負いながら、勘九郎さんと七之助さん、兄弟2人はこれからの中村屋をどのように支えていきたいと考えていますか?
七之助:父が「俺は一人だったけれども、お前ら兄弟仲良くしてればね、二人いるんだから」ってずっと言っていました。それが今となっては幸いにも兄弟仲いいので。もちろん後輩もいますけれども、みんな仲良く切磋琢磨(せっさたくま)して、ひとつの方向を向いて“一歩一歩”。本当に父の言葉じゃないですけど、「あっぱれ」って言ってもらえるように、一歩一歩進んでいきたいなと思います。
勘九郎:父に言われたことっていうのを、常に思いながら演じています。だから、その兄弟仲良くって言われてきたことをちゃんとやってきたんで、今回、『籠釣瓶花街酔醒』で、兄弟2人が共演できるっていうのは、父親は“あっぱれ”って言っているんじゃない?
七之助:うーん、あっぱれっていうか、「やるんだね」ってびっくりはしてると思います。
勘九郎:皆さんにはありがたい。ありがたいって。
七之助:そうですね。みんな皆さんにありがたいって言ってると思います。あとは内容ですよね。内容が良くなったらもうひとつ、二重丸が花丸ぐらいにはなるんじゃないかなと思います。だからもっと上を目指していきたいと思いますね。