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冒険家 阿部雅龍さんをしのぶ 夢の実現へ一心不乱に突き進んだ41年の人生

2025年2月11日 19:09
冒険家 阿部雅龍さんをしのぶ 夢の実現へ一心不乱に突き進んだ41年の人生

集大成と位置付けた冒険の計画の道半ばで病に倒れ、去年41歳の若さで亡くなった秋田市出身の冒険家、阿部雅龍さんをしのぶ会がにかほ市で開かれました。阿部さんをよく知る仲間たちが語ったエピソードから浮かび上がったのは、夢の実現へ一心不乱に突き進む若き冒険家の姿でした。

秋田市出身の阿部雅龍さん。プロフィールにある肩書は「プロ冒険家」、そして「夢を追う男」です。

去年3月、41歳の若さで脳腫瘍で亡くなった阿部さん。にかほ市出身の南極探検家、白瀬矗が到達した大和雪原に立ち、そこから南極点に徒歩で向かう冒険の計画の道半ば、でした。

しのぶ会には阿部さんをよく知る仲間が集いました。

写真家として活躍する髙橋こうたさんは、同じ大学で、阿部さんと出会いました。

髙橋さん「冒険家と写真家という関係で、いま後ろに映っているのが私の作品でして。見たことある方いらっしゃるかもしれませんが、やはりこれが、白瀬矗の遺志を受け継いで100年後に彼がチャレンジするっていう、遺志は受け継がれるっていうことを一枚の絵で表現したものなんです」

髙橋さんは南極にも同行しました。現地で見たのは、いつになく緊張した阿部さんの姿。

そして、緊張の中でも応援してくれる人たちへのお礼状を手書きで作っていた姿でした。

髙橋さん「コツコツと積み上げて南極の冒険までいったので、すごく夢がある人だなって、苦手なものがあってもコツコツやればあそこまで行けるんだというところを教えてくれた」

小森智秀さんも、阿部さんが大学生のころからの仲間です。

気象庁の職員として南極観測隊に参加すると告げた時、阿部さんの表情が一変したことを覚えています。

小森さん「雅龍さんの顔色が急に変わって、え?って固まったんです・あれ、どうしちゃったんだろうって思ってお話伺ったら、僕の最終目標は南極点にたつことなんです。白瀬矗のルートを伸ばしていって南極点に立つのが最終の目標なんですって、その時初めて」

小森さんが、仕事環境の変化などからうつ状態になり休職していたときのこと。

南極の冒険に向けた準備に奔走する阿部さんに遊びに行こうと誘われます。

小森さん「私のために一日休みを作ってくれて、アンパンマンミュージアムに行きますよ(というわけですね)なんで?子どもが行くところでしょ?って言ったら小森さん、全てのことに学びがあります。大人だから子どもだからじゃない。行けば何か学びがあるから行きましょう」

阿部さんとの出会いが人生の宝物になりました。

阿部さんから「会いたい」と連絡を受けたという小松由佳さん。世界で2番目に高い山K2に日本人の女性として初めて登頂した後のことでした。

小松さん「そのころの彼は、南極に行きたい行きたいの繰り返しで南極に行くには?プロの冒険家になるためにはどうしたらいいのか(というものを)ものすごく追求してた時」

以来、南極への情熱が冷めることはなく、実現のために、更に心を燃やして前に進んでいく姿を、小松さんは記憶にとどめています。

小松さん「彼がいつも言っていたのは、いつかというのはこない/いつかじゃなくて、いまやるんだと。いまの、この瞬間に自分がやらなければこの先はないんだよと、彼は話していた」

阿部さんが師匠と慕った大場満郎さん。故郷の山形で冒険学校を運営しています。

大場さん「冒険学校を始めてから23年くらいになるんですけど、始めたころに阿部雅龍さんがやってきて、サポーターとして7か月くらい働いてくれました』

大場さんもチャレンジしたアマゾン川の筏下りに北極、そして南極探検。阿部さんはその後を追うように世界を駆け巡りました。

大場さん「一歩ずつ行けば確実に行けるんだから、焦っちゃって(そこで)潰れるよりはいいなって。何回も失敗して学びました」

そんな師匠の姿を見て、夢を含まらせていった阿部さん。いつも大場さんのもとに冒険の企画書や報告を送っていました。

「残念で寂しいけども、あなたの遺志を継いでね、若い人がきっとやってくれるはずですから本当にありがとう」

最終更新日:2025年2月11日 19:09
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