ガレッジセール・ゴリが作家デビュー “日本でもアメリカでもない時代の沖縄” を描いたワケ
作家デビューとなった児童小説『海ヤカラ』(発売中)は、1970年の沖縄県の糸満市が舞台。10歳の小学5年生の国吉ヤカラが、立派なウミンチュ(漁師)のオトウ(父親)との絆や、アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれた転校生との出会いなど、主人公・ヤカラの日常を通して沖縄県が本土に返還される当時の様子が描かれています。
ゴリさん自身も沖縄本土復帰の1週間後に那覇市で誕生。当時の資料や映像、さらに地元・沖縄の人に話を聞きながら、小説を書き上げました。
■この本を通して沖縄に興味を持ってほしい
――どうして児童小説を書くことになったのでしょうか?
今年で沖縄が(本土)復帰50年ということで、復帰前のアメリカ統治下を知らない子供たちもたくさんいると思うんですよ。「日本だけど日本じゃなかった時代」、「アメリカに統治されているけれども、アメリカ人でもなかった」っていう、不思議な時代の沖縄っていうのを知っていただけたらなという内容で書きました。
――どんな点を意識して書きましたか?
エンターテインメント性だとか、沖縄の自然とかキレイな海だとか、そういう部分も入れながら書かないと、児童小説ですので、ただアメリカ統治下の重いことを書くと子供が本を閉じちゃうと思ったんですよ。だからやっぱり、まず読み進めたい、友情があったり、ケンカがあったり、甘酸っぱい恋愛があったり、胸キュンがあったり。その中に、読んでいる子供と同じ年代の10歳のヤカラという少年が主人公なので、その子の気持ちになりながら。
その子も同じ沖縄にいながら、「沖縄がいま日本じゃない」ということを途中で気づいていくんですよ。「えっ! ドルって日本のお金じゃないの?」とか、「えっ! 日本もみんな右側通行じゃないの? 車は」って、「いや、違うよ」って(気づかされる)。「えっ! じゃあいまアメリカに支配されていることは、俺いまアメリカ人?」とか言うけれど、「アメリカ人でもないよ」って言われて、「じゃあ、何人なの?」っていう、同じ日本なのに沖縄にはそういうことがあったっていう知らない子供が多いから、この本で知ってもらえると思いますし、沖縄に興味を持ってもらえたらうれしい。
■戦争は「負の遺産しか残さない」
ゴリさんに思い入れがある一文を朗読していただきました。
『だれだって大切な仲間を傷つけられたらゆるせん。仕返ししないと気がすまない。だから相手を傷つける。しかし、その相手にもまた大切な仲間がいる。その仲間がまた仕返しにやってくる。そのくり返しを大きくしたのが戦争だと思う』
――この一文を選んだ理由は何ですか?
(仲間を)殺されたら恨みになるし相手を殺す。アメリカ兵を殺したらその家族も「わが子が殺された」といって、日本兵を恨む。たぶん永遠に恨み合いだと思うんですよね、殺し合いって。どっかで終わらないと。争いっていうものは、相手の復讐心・恨み・悲しみとか、負の遺産しか残さないっていうのは、この本を読んで「こういうふうにやったら、もうちょっと世界はみんな仲良くできるんじゃないか」っていうのを考えてくれる子供たちの力になれたら。
■小学5年生の時は「笑いだけが自分の存在価値」
――ゴリさんと主人公・ヤカラの似ている部分はありますか?
(首を横に振り)ヤカラは僕の憧れです。僕は、運動神経は悪くはなかったですけども何でも1番になれないヤツだったんです。自分の中で「こいつすごいな! こいつすごいな!」っていう集合体にしたのがヤカラです。僕の中では特に何も1番になれなかったので、唯一人前で変なことをしたりとか、笑わせたりすると、「みんなが興味を持ってくれるんだ!」っていう。僕の中での唯一、自分の存在価値とか承認欲求を満たすことができたのが “笑い” だったんですよね。僕には人の前で変なことをして笑わせることで何か “自分はいていいんだ” っていう何か存在価値を感じていたのかもしれないですね。
――10歳の時のゴリさんに言いたいことは何ですか?
自分を認めて、自分が自分を受け入れた人の方が、魅力的な気がするんですよね。マイナスなのも全部認めてあげることが、楽に生きられたヒントだったなと思います。けど、若い時って難しいですよね。僕も若い時の自分にいまの言ってもわからなかったと思います。「もっと女の子にモテたいから、もっと頑張る」とか、「いい車乗りたいからお金持ちにならないといけないから仕事をもっと上にいきたい」とかって、たぶん、もっと欲の方が強かったと思うんです。自分を客観的に認められたら急に人って魅力的になるような気がしますね。