「軍隊は住民守らない」“教訓”残した女性
沖縄戦、最高齢の語り部だった女性が亡くなって、12日で1年がたちました。彼女の残した「教訓」を沖縄戦の司令官の孫が語り継ごうとしています。
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「もう空も焦がすくらいの火の海。生きているか死んでいるかわからないくらいでね」――アメリカ軍の爆撃のすさまじさを語る安里要江さん。去年11月12日、99歳で亡くなりました。
10万人近い住民が犠牲となった沖縄戦を風化させまいと、98歳まで最高齢の語り部として活動を続けました。その活動を受け継ごうとする戦後生まれの男性がいます。
牛島貞満さん(68)。祖父は沖縄戦を指揮した牛島満司令官です。祖父の命令が、多くの住民の犠牲を生んだのではないかと、沖縄戦を調べ続け、安里さんとも交流を重ねていました。この日、安里さんが亡くなって初めて、家族を訪ねた牛島さん。
牛島貞満さん「生き方そのものが沖縄の民衆を代表するような方だった」
家族とは、あまり戦争の話をしなかったという安里さんですが、牛島さんは、その証言を記録していたのです。
安里要江さん(当時78)「軍隊というのが私たちは一番の頼りだと思った。沖縄にもし敵が来たら彼らが守ってくれるんだと」
アメリカ軍が沖縄本島に上陸。爆撃から隠れる場所もなく、幼い子を連れ逃げ回った安里さん。そんな時出会ったある兵隊の言葉で日本軍への信頼は砕かれました。
安里要江さん(当時78)「『この子たちだけでも防空壕(ぼうくうごう)の中に避難させてくれませんか?』と言い終わらないうちに、(兵隊が)『バカヤロウ!』です。すぐに『バカヤロウ!』『出ていけ!出ていけ!』」
そして、やっと避難した洞窟の中で、目にしたのは、住民を脅す、日本兵の姿でした。
安里要江さん(当時78)「(兵隊が)『沖縄のみなさん子どもを泣かすな!』『子どもを泣かすと殺してやるぞ!』と。それが一番の恐ろしさ」
11人もの親族を失った安里さん。生後9か月だった長女は、真っ暗な洞窟の中で餓死。4歳の長男も、爆撃で受けた顔の傷がもとで亡くなりました。沖縄戦で犠牲になった住民の多くは、安里さんのような若い女性、そして、子どもと老人たちでした。
「軍隊は住民を守らない」。安里さんが残した沖縄戦の教訓。
牛島貞満さん(68)「要江さんがなさっていたことを少しでも、何百分の1かもしれないけども、継いでいきたいなと思っています」
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全国の学校で講演活動を続ける牛島さんは、司令官の祖父と、その命令に翻弄(ほんろう)された住民の安里さんを取り上げ、子どもたちにこう問いかけます。
牛島貞満さん(68)「安里さんが言っていたのは『軍隊は住民を守らない』。意見の違いを戦争でなく、武力でなく人間の知恵で解決することが大事ではないでしょうか」
深い心の傷を抱えながらも、安里さんは当時のことをこう振り返っていました。
沖縄戦を生き延びた安里要江さん(当時78)「(私も)自分の家族さえ、十分にみてあげられなかったのに他の人まで助けられなかった。あの時の自分の状態を思えば、日本軍が暴言を吐いたのも無理ないと後では思った。戦争はもう人間じゃないです。人間以外になっちゃってるんです」
安里さんが残した戦争体験。その思いは若い世代に託されています。