さよなら “アンナミラーズ” 「人生を過ごした “最高” のお店」 27年勤めたトップリーダー語る
『アンナミラーズ』は、外食産業のれい明期だった昭和後期、『井村屋製菓株式会社(現・井村屋グループ株式会社)』の初代社長が、アメリカンパイに出会い感銘を受けたことで、アメリカで本社を構える『アンナミラーズ社』と提携し日本展開をしたのが始まりです。1973年に第1号店『青山店』をオープンしました。
アンナミラーズが提供した“おもてなし”の数々は、高度経済成長期にあった日本の生活スタイルに合致し、第1店舗目の青山店を皮切りに自由が丘、目黒、吉祥寺、下北沢など若者が多く集まる立地に出店を重ね、延べ25店舗を経営していましたが、近年の生活スタイルの変化などもあり、現在は1983年にオープンした『高輪店』のみ営業を継続していました。
閉店理由について、井村屋株式会社フードサービス部の髙木伸哉部長は「国土交通省より品川駅西口基盤整備事業に伴う移転要請があったため、退店について合意し協力することになりました」と説明し、「寂しい気持ちがいっぱいです。長年ご愛顧いただきありがとうございました」としみじみとコメントしました。
■“バイトの応募も殺到”愛されたスタッフの制服
アンナミラーズで特に人気だったのが、ピンク・えんじ・黄色と3種類ある“制服”。髙木さんは制服について、「あの制服はアメリカ本店がドイツの民族衣装“ディアンドル”をモチーフにして誕生したのがきっかけです。私たちはアメリカ本店の店内の雰囲気・制服をそのまま日本に持ってきました。1970年代でしたので、外国風の制服は、当時では珍しく大きな反響をいただき、いまでもお客様に愛していただきました」と振り返ると、「今では少なくなりましたが、中には制服に憧れてバイトに応募してくださる方もたくさんいました」と懐かしそうに語りました。
閉店することを知り、来店した20代女性は「店員さんの制服がすごく可愛くて、店内の雰囲気もあいまって、インスタ映えするなって思いました。1度でもいいから制服着てみたかったなって思いました。残念です」とコメント。
■「私の人生を過ごした “最高のお店”」27年勤めたスタッフ、閉店惜しむ
27年勤めたホールスタッフのトップリーダー・リョウコさんは「27年間がんばりました。私の人生を過ごした最高のお店です。泣いちゃいそうです…」と閉店を悲しみました。
また、娘の最後の制服姿を見に来たリョウコさんの母は、「娘が高校2年生からアルバイトとして働き、今は(ホールスタッフの)トップリーダーとして働いているので、最後に感謝の気持ちを込めて、お店にもご挨拶に来ました。お疲れ様でした」とねぎらう場面もありました。
『アンナミラーズ』の今後について、集客力が得られる立地候補を検討中で、現在のところ再出店は未定とのことです。パイなどのフードメニューについては、オンラインショップなどで販売しいくということです。