島田珠代、涙ぐみながら語る“娘との別離” 「母親として欠けている」苦悩も…今、娘に願うこと
■元夫のがん、当時4歳の娘との別れ エッセーで明かした苦悩
――初のエッセー『悲しみは笑い飛ばせ! 島田珠代の幸福論』を発表されました。なぜ本を出そうと思ったのでしょうか?
新喜劇でも三枚目の役柄が多いので、山あり谷ありな感じの自分の話をさらけ出すのはマイナスかな…と思ったんですけど、年齢も54歳で半世紀過ぎて。私だって、新喜劇では素っ頓狂でやっているけれど、私も色々ありましたよっていう証し。みんな、みんな大変なんだっていうのを伝えたくて本を出しました。赤裸々に(笑)。
――当時4歳だった娘さんと、離れて生活をしなくてはいけなくなった時のことも書かれています。背景を教えていただけますでしょうか?
元旦那さんが、娘が8か月ぐらいの時に直腸がんのステージ4、「もって5年です」って言われて。抗がん剤(治療)をしながらだったので、(元夫が)すごくイライラする。(その治療を)したことがある方にしか、きっとわからないのかとは思います。もう少し、抗がん剤がどんなものであるかとか、そういうところをわかってケアしていかなきゃいけないものなのかっていうところが全然無知だったので、けんかをする日々が多くなってしまって。色んな精神面でのイライラを(私に)ぶつけてきていたんだろうと思うんですけど、私もちょっとしんどくなっちゃって。
(元夫に)“別々で暮らす形にしよう”って言ったら、 「いや、それは困る。僕もこういう体だし、今生きがいがないと、もうやっていけない。娘は僕のそばに置いてくれ」と。そう言われると、何も言えない。そこでもっと「嫌だ」「私のところに(娘を)置いて」って言うべきだったのか…わからないです。今、結果こうなったんですけど、その時はもうわからなくて。娘は(私の)そばに置いておくという形を取った方がよかったのかな、娘にしたらって思うんです。けど…本当に難しくて。
(離婚後は)2週間に1回、忙しい時は1か月に1回は、一緒にディズニーランドに行ったり、遊園地とか行っていたんですけど、いいとこだけで娘と会っていたんで、帰ってからの「宿題せぇ」とか、「時間割(の準備)せぇ」とかいうのは、お父さんがずっとやっていたので。
丸1日過ごすと家族って色んなことがあって、その時に絆が生まれたりする。そういう時に一緒ではなかったので。その部分は、母親として欠けていますよね。
■中1になった娘との生活がスタート 大げんかで気づかされたこと
(元)旦那さんが病気で亡くなって、娘と中1から暮らすことになるんですけど、娘もお父さんが病気でお父さんのできないこと、子供がやらなくてもいいようなこと、例えば洗濯物たたんだりとかそういうこともしていたし、普通の小学生よりはちょっと過酷だったっていうのがあったみたいで。
私もそういうところを知らずに、“親は子供を叱っていいんだ、そういう権利があるんだ”って(思っていて)。初めて一緒に生活して1年目は、“それはダメでしょ、これはダメでしょ”って(娘に)言ったら、「うん、そうやね、ママごめんなさい」って言ってくれていたけど、 中2の時にバッと思いが出て。「ママは何も知らない、私のことなんて。私だってすごくつらい思いをして、ママにいてほしかった時にママがいなくてここまで来てるのに。親が思うこと全てが正しいわけじゃないよ」って。「それなのに、ママは“これはダメ、あれはダメ”って私の思いも聞かずに叱る」と。「ママ、それは違う」って言われて。「私の意見もちゃんと聞いてほしい」と。
娘がボイコットを、「ママとは一切しゃべらない」と。「もうママとはもう暮らせない」って言われて。それで、おばあちゃん(珠代さんの母親)が、私と娘の住んでいるマンションに来て、私とは一切しゃべらない生活が3~4か月続いたんですね。その時に色々、私間違っていたなと。全然絆もできあがっていないのに娘と改めて暮らし始めた時に、もう叱ってばっかり。 それもよくないなと思いました。
――その後、どのように親子関係を築いていったのでしょうか?
謝りました、ドア越しに。でも、すぐには心は開いてくれなかったですよね。色んな思いを、お父さんが亡くなるまで(元夫と娘が一緒に暮らしていた)名古屋で色んな思いをしてきたんだな、申し訳ないっていう感じでした。3~4か月、娘が一切しゃべらなかったので、娘も真剣に考えているなっていうのもこっちにグサッときて。とにかく謝りました。“ごめんね”って、ドア越しに。“ママが色んなこと一方的にあなたに押し付けていました”って。
――一緒に生活するようになって、珠代さん自身が変わったことは何ですか?
親の言うことが全てじゃないっていうこと。だって一番いい方法は、インターネットの中に書いてあったりするわけで。頭固くせず、もっと若い人に寄り添って楽しい未来を築こう、そういう思いを(娘から)学びました。
――現在、娘さんは高校1年生に。“こんな親子になりたい”という夢はありますか?
中2、中3…その辺りから、(現在の)パートナーのひろしにも言われるんですけど、「もう放っておきなさい」と。「娘さんとああしたい、こうしたいという夢は基本捨てた方がいいですよ」って。(娘を)1人の女性として見てあげるっていう、手放す方向へ向く方が本人のためだし。「娘に依存するのは、もうおよしなさい」って。 どっちかというと、見守る状態。娘とどうこうしたいっていう夢はないです。それが愛かなって。見放さないけど、見守る。
――寂しさはありませんか?
やっと一緒に(暮らして)、すぐ後に“見守る”になるから、ちょっと味気ないですけど。自分の心のマンションの中には、一番いいお部屋に娘がずっと住んでいるので。幸せですよね、思ってあげる人がいるっていうことが、かけがえのない存在の人を思ってあげられるっていう今、自分がすごく幸せだと思います。
【島田珠代プロフィル】
1970年5月10日生まれ、大阪府出身。1988年に吉本興業入りし、芸歴36年。“パンティーテックス”などの個性的なギャグで知られ、吉本新喜劇の看板俳優として活躍。2024年10月4日には、幼少期の思い出や芸人としての苦悩、母親としての葛藤などをつづった初のエッセー『悲しみは笑い飛ばせ! 島田珠代の幸福論』を発売。