歴史に残る仕事は「最高の仲間」と創る 1
株式会社「ビズリーチ」代表取締役社長・南壮一郎氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。1つ目のキーワードは「『球団経営はもうからない』という当時の常識を初年度からくつがえす経験。町の色が変わった…」。
■経歴
南氏は、1976年生まれの40歳。6歳から13歳までをカナダで過ごし、1999年にモルガン・スタンレー証券に入社。M&Aのアドバイザリー業務などを担当。2004年に東北楽天イーグルスの創業メンバーに。そして、2009年、転職希望者と企業をつなぐインターネット上のサイト「ビズリーチ」を創業。
■楽天イーグルス ゼロからのスタート
――東北楽天ゴールデンイーグルスの立ち上げメンバーとなった南さんですけれども、球団は初年度からなんと黒字を実現。立ち上げというのは、やはり大変だったと思うのですが当時を振り返ってみていかがでしょうか。
2004年のプロ野球再編問題がきっかけで、楽天イーグルスというものが誕生したんですけども、本当に何もないところから始めたんですね。同時に、短い半年という期間で10人の仲間とともに、スタジアムもゼロから造り、選手も1人もいませんので、ドラフトですとか、いろんな選手の方々との契約に奔走して、最終的には2005年の半年後の4月に2万人のスタジアムを埋めて開幕をすると。同時に本当に“もうからない”といわれていたプロスポーツ経営ですが、こちらにビジネスの新しい風を吹かしていったというのが当時の思い出ですね。
――おっしゃったように、プロ野球球団というのは、そのときは大企業の広告的な意味とかイメージPR的な意味で球団というのがあったので、その球団事業自体で収支を黒字にしなければいけないんだということは、あまりその当時の常識としては無かったところで最初から黒字化する仕組みを作ったんですよね。
おっしゃるように広告宣伝の形でチームは経営されていて、僕たちはまさにその近鉄球団が赤字で消滅するというときに入っていきましたので、ある意味、このプロスポーツの常識を変えていく、ビジネス的な考え方をどうプロスポーツチーム経営に生かしていくのかということが一つ命題として大きくありました。そのため本当に初日から、チケットの売り方からスポンサーシップの取り方、さらにはコンテンツ配信も含めてですね、色々な新しいビジネスの世界では当たり前かもしれない考え方を、プロスポーツの世界に持っていけたというのがやって良かったなと今でも思っていることです。
――町の色が変わったというのは、具体的にみんなを巻き込んだというか、地域のファンを獲得したということの意味なんですかね。
東北地方、特に仙台、もともとそのプロ野球チームがなかったものですから、今でも仙台に戻ると、実際その町の色が赤く変わっています。それだけではなくて、居酒屋さんに行くと、僕たちが作った野球チームのことをみなさんが話し合う。まさに色だけではなくて、その雰囲気全体が本当に変わっていきました。自分のキャリアとして、それに貢献できたことはプラスだったと思います。
■小中学生の女の子がスタジアムに来てくれない!
――チアガールの子供たちが球団で実際にチアをやっているような仕組みも作ったんですよね。
実際、野球チームを始めてみたら、なかなか当時、野球人気というものが上がらずに、特に小学生、中学生の女の子のファンが全然スタジアムに来ていただけない。やるならば野球じゃない違うコンテンツで、スタジアムに呼ぼうとスタジアム自体も、ディズニーランド構想ということで、電飾がついた電車を走らせたりしました。さらに、小学生の女の子のチアリーディングチームを作って2万人の球場の中で踊る、披露するということで、おじいさま、おばあさま、両親だけじゃなくて近所の友達にもプロ野球のスタジアムに足を運んでもらう。それで僕たちの試合というものを見てもらう。プロ野球は、面白いんだなというものを初めて味わってもらう。そういう地道なことを繰り返し続けたのが、本当に当時の一番の思い出ですかね。