大手ネット証券初の女性社長の素顔とは 2
マネックス証券社長の清明祐子さんに聞く「飛躍のアルゴリズム」。2つ目のキーワードは『周りはすごい経歴の人ばかり。自分の特徴は何かと考えた』。当時は珍しかったという銀行からファンドへの転職、清明さんがたどり着いた「自分だけの特徴」とは?
■ファンドの門をたたく
――5年勤めた三和銀行を退職され、企業再生などのファンドビジネスを行う「MKSパートナーズ」に入られました。ここではどのような仕事をされたのですか。
ファンドビジネスですので、企業を買収して、改善をして、また次の所で売却をするか、あるいは上場を目指すという部分を支援するということをやっていました。
――ファンドの仕事ってちょっとピンと来ないんですが、銀行とはだいぶ違うんですか。
だいぶ違いますね。銀行はやはり、主要なビジネスに融資、あとは決済などがあります。資金が必要であれば貸し出しをしますというのが銀行ビジネスだと思うんですが、ファンドはどちらかというと、企業を支援して、その企業の戦略を一緒に考えて、どういうふうに業績を伸ばしていくか、どういうふうに利益を上げていくかなどを、投資した先と一緒に考えていくということになります。まず戦略などを含め、考えていく側の仕事になります。
――そうすると、そこにいる人たちもだいぶ違うのでしょうか。
全然違っていました。ファンドの方はどこでもそうなんでしょうが「ザ・プロフェッショナル」という形で、経歴も含めて素晴らしい方ばかりで、知識の幅も量も全く違いましたね。
――ファンドで初めて気がついたことというか、「こういうことって大事だな」と思ったことなどはありますか。
銀行時代はとにかくがむしゃらに働いていたんですが、どちらかというと、自分が与えられたことを、自分のスキルをアップさせてやり切るというのを目標にやってきたんですが、ファンドにうつって、それだけでは物事は動かないというか、できる範囲がとても小さいと。企業活動ってもっと大きいものですし、1人がやっていてもほんの一部にすぎなくて、チームで動かないと何も物事が動かない、自分がどれだけやったとしても相手の企業に受け入れられないこともありますので、チーム力というものを学んだように思います。
■“借す側の論理”を武器にした
――そんな中で「自身の特徴は何か」と考えたということですが、清明さんの特徴は何だったのでしょうか。
当時は銀行から投資ファンドに移る人というのはとても少なくて、ファンドは会社を買収するときに、やはりどうしても銀行から調達する必要があるんです。私が銀行にいた時は、貸し出しをするという側にいたんですが、ファンド行って、借りに行くという側になりました。「貸す」という立場を知っているというのが私だけという形でした。どういう風にすれば借り入れができるのか、どうしたら資金効率を高められるのか、という部分を力にして、自分のポジションをつくろうと考えました。
――やはり自分がどういう存在であるかを客観的に見ることは大事なんですね。
大事ですね。ファンドでは最初、何もできないんだなと思いました。とにかく自分がどこで役に立てるのか、どこで違いを発揮できるのかというところを考えたら、銀行の経験が生きたということです。
――清明さんは、ファンドに入ったのが2006年ということで、その2年後にリーマンショックがあったんですよね。
大変でしたね。ファンドの業務を2年しかやってない中で、ようやく楽しくなってきた中で、リーマンショックということで大変でした。リーマンショックでファンドを閉じるという意思決定がなされたので、まあ職がなくなりますよね(苦笑)。転職をせざるをえないという状況ですので、人生の転機のひとつにリーマンショックがあるという感じですね。
■偶然と人の縁がつないだ、新しい職場
――当時を思い起こすと、金融のいろんな方がそういう状況になったので、履歴書を持って回っている人も相当いたと思います。
多かったと思います。そんな中で、私は商業銀行、ファンド2年ということで、何ができるんだろうと。世の中において、これまた特徴というのが出しづらいとこではありました。
――そんな中で次の仕事は、どういう風に決められたんですか。
たまたまなんですが、ファンド時代の先輩にあたる方が、「マネックス・ハンブレクト」という会社にいた人と知り合いで、私が「転職活動厳しいんですけど」と相談したところ、「僕の知り合いで人を探しているとこあるよ」ということで、それがきっかけになって入社しました。
――結局、ここにおられるのを含めて、たまたまだったんですね(笑)。
たまたまなんです(笑)。
――でも、そんな中でも「来ない?」と言ってくれる人がいたのはとても大事ですね。
大事ですね。本当に縁ってすごいなと思います。