日米の物価事情から考えた…日銀の大規模金融緩和「正常化」はいつ?
日本銀行はいつ、大規模金融緩和策を正常化するのか。2024年の焦点はこの一点に絞られている。直近までアメリカ・ワシントンに駐在し、アメリカの物価高に翻弄された筆者が、日米の物価事情をきっかけに日銀の政策転換について改めて考える。(経済部 渡邊翔)
■インフレで物価高のアメリカから帰国も…日本も高い??
2023年11月末に、3年余りのアメリカ・ワシントンでの勤務を終えて帰任した。駐在した2020年末からの3年間は、ちょうどアメリカ経済がインフレに苦しんでいた時期と重なる。筆者がよく通ったラーメン店でも、この間ラーメンの値段が4~5ドルほど上がった記憶がある。日本円に換算すると600円前後もの値上げだ。2022年以降はこれに円安も加わり、日々のランチは自宅から弁当を職場に持参し、節約する日々が続いた。
日本に帰れば、もう少しモノの値段も安く、美味しいご飯を楽しむ余裕も出るだろう。そう考えて帰国したが、直後に羽田空港のカフェでレシートを見て、違和感を覚えた。家族3人分のコーヒー・ドリンクと、小さな袋に入ったワッフルを食べて、税込で2000円を超えたのだ。どうも3年前に比べて、高い。その後も各所で食べる物、買う物が少しずつ高く感じる。世界的なインフレの波が、日本にも押し寄せていたことを実感した。
■アメリカは「インフレ退治」一段落へ?一方日本は…
しかし、同じインフレといっても日米の状況は大きく異なる。
アメリカの場合、インフレ率(消費者物価指数の上昇率・前年同月比)はピーク時の2022年6月に9.1%という高い数値を記録。このインフレを「退治する」ために、FRB=米連邦準備制度理事会は2022年3月にゼロ金利政策を解除して利上げに踏み切り、政策金利を現在の5.25~5.50%まで急ピッチで上げてきた。景気を冷やすリスクを取っても、インフレの抑制を優先する判断をした形で、2023年11月の消費者物価指数は、前年同月比の上昇率が31%に。物価目標の2%に向けて鈍化傾向が続いている。経済も堅調で、「景気を冷やさずにインフレを抑制する」方向へ進みつつあるのだ。アメリカの市場関係者も「なぜ上手くいっているのか、正確な要因分析はまだ誰にもできていないが、FRBの政策は市場の予想以上に上手くいっている」と語る。
こうした中、FRBのパウエル議長は12月の金融政策を決める会合後、「利下げの時期を議論した」と説明した。実際には、年明けに公表された会合の議事要旨で、全ての参加者が早期の利下げに慎重な見方を示していたことも明らかになったが、パウエル議長の発言は、経済を景気後退に陥らせずに緩やかに減速させ、その後の景気回復へと向かう、いわゆる「ソフトランディング」を目指す姿勢の表れだと受け取られている。
一方で日本は消費者物価の上昇率を安定的に2%に上げ、インフレと賃上げの「好循環」を定着させるために、2013年以降10年以上、大規模な金融緩和を続けてきた。ロシアによるウクライナ侵攻などの「外的要因」や円安の影響で、2022年には物価上昇率は2%を達成したが、日銀は本当に「好循環」が実現する状況になっているかどうか、慎重に見極めを続けている。
特に植田総裁は、政策変更に関する発信のトーンを微妙に調整し続けている。2023年12月には国会で、「年末から来年にかけて一段とチャレンジングになる」と発言したことなどで、日銀がマイナス金利政策の解除など、早期の政策変更に踏み切るのではないかという観測が一時広がった。しかし、12月の金融政策決定会合で政策修正はなく、植田氏自身も12月19日の会見で「(来年は就任から)2年目にかかるところなので、一段と気を引き締めてというつもりで発言した」と火消しに。マイナス金利解除の時期を示唆するような発言もなく、FRBが利下げに踏み切れば日銀が動きにくくなるという見方に対しても、「Fed(=米側)が動きそうだから、その前に焦って政策変更しておくというような考え方は不適切だ」とけん制した。一方で、その後の12月25日の講演では、「今度こそ、低インフレ環境を脱し、 賃金と物価の好循環が実現することを期待している」とも発言。
植田氏に近い関係者によると、植田氏は「チャレンジング」発言後の市場の反応を見て市場との対話があまり上手くいかなかったことに少し落ち込んでしまった様子だったという。その後の発信を見ても、発言のバランスを取るのに腐心している様子がうかがえる。
■日銀が見極める「賃上げ」・・・政策変更はいつ?
日銀が今後、「安定的な2%の物価目標」の達成を判断する大きなポイントになるのが、物価上昇に賃上げが伴っているかどうかだ。
アメリカでは2023年秋、全米自動車労働組合が、自動車大手各社から「4年半で25%の賃上げ」など、大幅な賃上げを勝ち取った。一方日本の場合、「終身雇用でクビにはなりにくいけど、その代わり給料も上がりにくい」(米市場関係者)という傾向が長年定着してきた。ただ、2023年の主要企業の賃上げ率(春季)は3.6%(厚労省発表)となり、およそ30年ぶりに3%台に。24年春の賃上げなどの交渉=春闘でも、同様の高い賃上げ率になることへの期待が高まっていて、1月5日に行われた経済3団体の新年会では、大手企業のトップからも、去年並みかそれ以上の賃上げを検討するとの声が相次いだ。こうした状況を踏まえ、日銀が政策変更に踏み切るタイミングはいつになるのだろうか。
第一生命経済研究所の藤代宏一氏は、「3月の金融政策決定会合で、何らかの形でマイナス金利の解除を示唆するシグナルを出した上で、その次の4月の決定会合でマイナス金利を解除するのではないか」とみる。
24年1月1日に起きた能登半島地震によって、1月の金融政策決定会合で日銀が政策変更を示唆する可能性は低くなったものの、地震が日本経済の大きな方向性にまで影響を与えることはないと分析。焦点となる今年春の賃上げ幅についても、「ベースアップで2%か、わずかにそれを上回るくらいか、という見通しがほぼ固まってきている」として、日銀がマイナス金利を解除すると判断できる材料は、すでに揃いつつあるとの見方を示した。
一方、野村総合研究所のエグゼクティブ・エコノミスト、木内登英氏は、マイナス金利の解除は「最短で4月の可能性もあるが、10月、あるいはそれ以降の実施がメインシナリオ」と予測する。日銀が春の春闘の結果を見極めてから判断するとの見通しに加え、「アメリカのFRBが利下げするという観測が強まるときは、日銀は逆に動きにくい。アメリカの利下げが一巡してから動くのではないか」というのだ。また木内氏は、もし春の賃上げが好調だったとしても、「日銀が『賃金上昇を伴う2%の物価目標を達成した』と判断できるほどの賃上げは難しい」とみる。それでもマイナス金利を解除するには、市場との対話に一定の時間がかかり、日銀も政策変更を急がないだろうと分析した。
ただ両者とも、日銀がマイナス金利を解除したとしても、さらなる利上げを行うような環境には「すぐにはならない」と指摘している。本格的な「金利のある世界」が訪れるのはまだ先になるのだろうか。
平成生まれの筆者にはほとんど経験したことのない「金利のある世界」や「経済の好循環」。それをイメージするヒントになるのが、年末に話したある企業幹部の言葉だった。「金利のある世界が戻ってきて、経済の好循環が起きるようになると、例えばスーパーでもみんな、棚にある高い方の商品を買うようになる。みんなが安い物ではなく、良い物を買おうというマインドになるんだ。そして経済が成長していく」。そんな日本を目指して、物価と賃金の動向、さらにアメリカ経済の行方もにらみながら、2024年の日銀は難しい舵取りを迫られる。