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官邸“不動の主”ラリーが語るイギリス総選挙【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2024年7月7日 10:40
官邸“不動の主”ラリーが語るイギリス総選挙【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
イギリス首相官邸が発行するラリーの写真付きハガキ

イギリスの総選挙は4日、投開票を終え、最大野党・労働党が歴史的勝利をおさめ、14年ぶりの政権交代を実現しました。労働党の勝因は。そしてスターマー新首相が率いるイギリスはどこへ向かうのか…首相官邸を14年間、見つめ続けた「不動の主」の目を通して探ります。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

■“ジェリー”登場…「猫でも飼ったら?」

先日、ロンドンのアパートに備え付けられている食器洗い機が壊れた。排水されずに水が溜まり続け、「ブイーン」という異音を発している。取材先のイスラエルで中継リポート前に慌てて落としたパソコンが発する異音との“アンサンブル”でおかしくなりそうだ。大家さんと交渉を重ねること2週間。ついに「階下に水漏れしたら、どうするんですか!?」の言葉に折れた大家さん、新しい食器洗い機を買ってくれることになった。

やってきたのはルーマニア人の2人組。壊れた食器洗い機をシンクの下から引っ張り出した途端、「Oh…」とため息。「え、どうかしましたか?」と首を伸ばすと、兄貴分とおぼしき彼が「ジェリーだ…」という。「え、『ジェリー』? 何ゼリーですか?」と聞くと、「『トムとジェリー』、テレビで見たことある?」と聞き返された。途端に脳裏にひらめくものがあった…あの、猫とネズミが追いかけっこをする、ドタバタ劇のアニメーション…。

「まさか…」「そう、おまけに5匹。1匹は生きている!」と足を一歩前に踏み出すアニキ。ぎゃ~っと叫ぶまもなく、凍り付いて固まる私にげらげら笑う2人…。幸か不幸か、5匹全員、昇天されていたので、なんとかご退場いただき、新しい食器洗い機を格納したのだが、「シンクの奥にでかい穴が空いているから、ネズミは入りたい放題だね。5匹ってことは、一家丸ごと棲みついていたってことだから、絶対にペストコントロール(害獣駆除)してもらったほうがいいよ」とのアドバイス。

大家さんに再び相談するも、「ちゃんと掃除してなかったんだろう? パンくずとか落ちていたらネズミが来るのは当たり前。猫でも飼ったらどうだ?」と取り合ってくれない。

猫、と言えば、みなさんはイギリス首相官邸随一の人気者「ラリー」をご存知だろうか? かわいいだけでなく、イギリス流のペーソスのきいた毒舌を繰り出し、SNS「X」のアカウントはフォロワー88万人超、BBCが特別番組を作るほどの恐るべきアイドル猫である。イギリス首相官邸はロンドンのダウニング街10番地にあるため「ダウニング10(テン)」と呼ばれている。14年間、続いた保守党政権で、首相は5人も変わったが、唯一、不動の存在だったのが、ラリーだ。

公務員として首相官邸の「ネズミ捕り隊長」を拝命しているオスのトラ猫・ラリーは、もともとロンドン市内の動物愛護施設に保護されていたが、官邸に住まいを移してからは、キャメロン、メイ、ジョンソン、トラス、そしてスナクと5人の首相と住まいを共にしてきた。そんなラリーは、我々メディアにとっても癒やしの存在である。

7月5日、イギリスで新たな首相が誕生した。夏だというのに肌寒く、折からの土砂降り。わがロンドン支局のサイモンカメラマンが必死で奪取した1メートル四方の狭いカメラポジションに押し込まれ、隣のドイツメディアとスペインメディアのキャスターの傘から垂れるしずくを浴び、気分は下がる一方。…そんな中、ダウニング10の柵の中で悠々と寝そべっていたのが、この御仁――ラリーである。

時はまさに政権交代の真っ最中。スナク前首相が「国民の怒りや失望を聞いた。この敗北の責任は私が負う」としてチャールズ国王に辞任を申し出ていたその頃、ラリーはXにこんな風に投稿していた。

『スナクは国王に辞任を申し出たが、スターマーはまだ首相に任命されていない。誰が指揮官かって? この僕だ』

ラリーは「飼い猫」ではなく、「首相官邸に居てやっている」というスタンス。このふてぶてしさがたまらない。なんせラリー、6月17日にマニフェストまで発表しているのだ。

『マニフェストを発表する時が来た:
 1. 朝食とブランチの間に新しい食事を作る
 2. 祝日が晴れでない場合、晴れるまで全員を休みにする
 (中略)
 6. ブランチとランチの間に新しい食事を作る』

この日は奇しくも、新党「リフォームUK」がマニフェストを発表した日だった。今回の総選挙で14.3%の票を得て、もっとも得票率を伸ばした右派ポピュリスト政党である。党首のファラージ氏はアメリカのトランプ前大統領とも良好な関係を保っている。選挙区で保守党候補に8000票以上の差を付けて初当選し、改選前の1議席から5議席に増えた。移民の拘束や流入制限など過激な政策が人気を集めた。こうした大衆迎合型の政党が、なぜ人気を集めたか。スナク前首相が率いる保守党は従来の保守層の支持を固めようと「不法移民をアフリカのルワンダに送り返す」などと右寄りの政策を打ち出したが、足元をみられ、もっと過激な政策を打ち出す「リフォームUK」が人々の不満をあおったからだ。

■“変革”掲げ「地滑り的勝利」…なぜ?

そもそも今回、保守党が歴史的な大敗で労働党に政権奪還を許したのは、物価や光熱費、住宅価格などが高止まりし、人々が生活苦にあえいでいる中、有効な手が打てなかったことや、明らかな「国損」ともいえる“ブレグジット(EU=ヨーロッパ連合からの離脱)”を推し進めたことなど、積もり積もった失策と相次ぐ不祥事によるもので、2022年10月に就任したスナク首相には、「もはや打つ手なし」の状況だったともいえる。

こうした中、労働党はゴリゴリの左派から、中道左派路線に転換し、“変革’を錦の御旗に戦い、「地滑り的勝利」を得た。だが、実態を見てみると、今回、労働党の得票率は2019年の前回と比較すると、わずか1.6ポイント増。保守党は19.9ポイント減。いかに保守党の「敵失」が労働党の歴史的勝利に貢献したかがわかる。

全議員を小選挙区で選ぶ制度に助けられた面もある。労働党の得票率が34%にとどまっているところを見ても、国民の信任を得た労働党の勝利…というよりも、保守党のひとり負け、といった方が近いだろう。

ラリーの「X」を誰が書いているのかは不明だが、政治家の不祥事を批判するなど身内の恥にも手厳しく、フォロワーには現職の閣僚や著名な政治ジャーナリストなどもいる。スターマー氏がバッキンガム宮殿でチャールズ国王から首相に任命されると、その写真にラリーは“国王の心の声”としてこんな風に書いた。

『(保守党が残した)ぐちゃぐちゃを片付けるのがうまいといいんだけど…』

ちょっと意地悪でペーソスがきいたコメントは当意即妙。イギリスのお家芸とも言える風刺文化を体現する存在なのである。

今回の選挙では、伝統的な左派勢力である労働党が「リフォームUK」などの右派ポピュリスト政党を抑えて国民の不満の受け皿になった。国際的な視点からは、フランス下院議会選挙で極右政党が第一党の地位を獲得する勢いといった、ヨーロッパ全体を覆う極右勢力の台頭を抑えたという意味で意義深い。

スターマー首相はしばらく混乱した内政への対応に追われるだろうから、外交方針に大きな転換はないとみられている。だが、11月のアメリカ大統領選挙でウクライナ支援に消極的なトランプ氏が勝利した場合、ドイツやフランスで支援に懐疑的な右派勢力が台頭していることや、中東情勢や中国への対応についてトランプ氏とどこまで歩調を合わせるか、など難しい課題も多い。

■“もう替え時”…政権交代はしたけれど

今回の労働党の圧勝は、14年間続いてぼろぼろになった保守党政権を「もう替え時」だとして有権者が腹を決めた結果にみえる。近いうちに労働党が一定の成果を見せることができなければ、あるいは慣れない外交政策で失敗すれば、移り気な国民はすぐにそっぽを向いてしまうかもしれない。就任早々、スターマー氏の手腕が問われる厳しい局面が続くが、政治に対して痛烈な風刺で皮肉るのはイギリス人の得意とするところ。ラリーがスターマー氏に対してどんなコメントを繰り出すか、これからも目が離せない。選挙で誰がリーダーになっても、みんなでラリーのコメントに笑うことができるところにイギリスの民主主義の真髄がある気がする、などと言うのは大げさだろうか。

それにしてもラリー、わが家のネズミ捕り隊長に就任してくれないものか。大家さんとすったもんだの末、ついにやってきた害獣駆除のポーランド人のお兄さん。アドバイスは「進入路は大きすぎてふさげなかったから、『ネズミが出るかも』と思うところに小麦粉をいっぱいに入れた皿を置いておくこと」だった。「粉がぐちゃぐちゃになっていたらビンゴ! そしてもし皿ごとなくなっていたら…すぐに引っ越したほうがいい。だって、ネズミよりもっと厄介なものがいるってことだから」。そして片目をつぶっていった。「That's human!」 もしここにラリーがいたら、深くうなずいていたに違いない。

◇◇◇

■筆者プロフィール

鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会部デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「金融破綻列島」。

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