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“笑いが地球を救う!?”~ケンブリッジ大学生が落語に挑戦してみたら…【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2024年5月11日 8:00
“笑いが地球を救う!?”~ケンブリッジ大学生が落語に挑戦してみたら…【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
講談師・神田陽子さんに張扇の使い方を学ぶ学生

「もしトラ(もしもトランプ氏がアメリカ大統領に返り咲いたら)」の議論が活発化するかたわら、ウクライナ侵攻は3年目に入り、パレスチナ自治区ガザ地区では住民がイスラエルの激しい攻撃にさらされています。2つの“戦争”に、朝鮮半島情勢や中国と台湾の緊張関係など、いまや世界を語る時のキーワードは「分断」になってしまっています。世界がこの「分断」を乗り越えるために必要なものとは…? ケンブリッジ大学の授業に、そのヒントを見つけました。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

■「日本はどっち?」…ママ友の質問に驚き

「ちょっと実家に帰る用ができたの。子どもを預かってもらえない?」ママ友、アニアからメールが入った。ポーランド人のアニアとは、彼女の息子ジョッシュがうちの息子と仲がいいことから、以前からメールでやりとりはしていたが、頼まれごとをするのは初めてだ。彼女は会計士で同じワーキングマザー。旦那さんはイギリス人で出張が多いようだが、こちらの仕事内容を知っているだけに、お互いに子どもの預け合いはしない…という、半ば不文律のようなものがあった。今回、頼んできたのはよほどのことがあってのことに違いない。週末1泊だけ…の約束で引き受けた。

保護者会のついでにアニアの家を訪れた日のことである。お手製の真っ黒なチョコレートをこれでもかとたっぷり載せた、その名も「デビルズケーキ」をごちそうになっていた時のことである。アニアが突然、真面目な顔つきで、こう言った。「1つだけ、確認しておきたいことがあるの。いい?」

普段、猛烈なマシンガントークで人を笑わせるのが大好きなアニアの深刻な声色に、ケーキが喉に詰まる。「あ、うん。もちろんいいけど…何?」「あのね、日本は今回の戦争、ウクライナとロシア、どちらを応援しているの?」

「え…」と思わず日本語でつぶやいてしまう。私の表情に、アニアがあわてて付け足す。「ウチってほら、学校から5分じゃない? 中国人のクラスメートもよく遊びに来るのよ。彼らから“中国はロシア側”って聞いて…中国のお隣さんである日本も、やっぱりロシア寄りの立場なのかなって…」

二重に驚いてしまう。まず、「G7の一角をなす日本のスタンスが理解されていなかったこと」への驚き。もちろん、国際情勢を日々つぶさにウオッチしているわけではないだろうが、アニアはよくニュースも話題にするので、決して世事に関心が薄い人というわけではない。次に、「子どもを預ける前に確認しておきたいこと」がウクライナ戦争へのスタンスであることへの驚き…。

日本の立場を説明すると、アニアは「安心した、ありがとう。なんといっても“お隣さん”のことだから」とほっとした様子を見せた。ポーランドは、隣国としてウクライナ支援の先頭に立つ国の1つだ。国内にはウクライナからの避難民およそ140万人が暮らしている。アニアにとっても、決して「他人事」ではないのだろう。

   ◇

帰り道、息子に「ジョッシュのママが日本の立場を知らなかったこと、ちょっとビックリした」と話すと、彼はスマホゲームをやりながら、涼しい顔でこう言った。「じゃあさ、ママは『エストニアとラトビアとリトアニアの違い』って言える?」言葉に詰まる…バルト三国の違い…えーと、「いずれもロシア帝国に支配を受けた歴史がある」とか…「リトアニアには『日本のシンドラー』と言われる杉原千畝がいた」とか…でも「違い」と言われると、うーん…。

悩んでいると、息子は「ほら、言えないじゃん」と鼻で笑うように言った。「そういうの知らないくせに、日本がウクライナを応援してるかをこっちの人が知らないのをどうこう言うのっておかしいと思う。はっきり言ってselfish(自分勝手)だよ。self centered(自己中心的)っていうか…」(息子は最近、会話にしばしば英単語を挟むようになった)

うう…言葉に窮し、何も言えなくなる。確かに、われわれ日本人の他民族への理解――言ってみれば「世界」への理解はレベルが低いのかもしれない。暮らしている環境にあまり多様性がないためか、ニュースも日本のことが中心で、知ろうとしないから無知になり、発想が貧しくなる…その悪循環…。われわれメディアが果たしている役割も大きい。私自身、他の民族の言語、宗教、歴史、芸術や文化、そういうものに対して敏感になったのはこちらに来てからだ。それまでは自分の暮らしに直結することにばかり目が向いていた。

   ◇

次の週末、ジョッシュが我が家にやってくると、手巻き寿司にラーメン、お好み焼き…と、これでもかと日本の手料理を振る舞った。息子も、納豆巻きを薦めてみたり(これは「しょうゆをどっぷりつければおいしい」という感想だった)、日本の漫画を英訳したものを一緒に読んだり、2人で「となりのトトロ」柄のTシャツをおそろいで買ったりと、日本のPRに余念がない。

私が「なんだ。祖国愛、旺盛じゃん」とからかうと、「うん、なんか、こっちに来てからそうなった」と息子。その感覚は、とてもわかる。ふるさとを外から見てみると、良い面も悪い面も両方、見える。見えながらも、悪い面も含めて、なぜか愛おしく感じてしまい、誰もが小さな“日本PR大使”に就任する。ジョッシュに手巻き寿司の巻き方を教える息子の様子を目を細めて見ていた私に、夜、冷や水を浴びせかけるような出来事が起きた。

■“プーチン大統領”にインタビュー?

部屋で何かこそこそと2人でやっている。ジュースを運ぼうと部屋の戸口に立って「何しているの?」と聞いても入れてくれない。そのうち2人は廊下に出て、「ナーフ」と呼ばれる発泡スチロールでできた弾丸を撃つライフル銃もどきを持って撃ち合いを始めた。その模様を息子がスマホ片手に撮影している。夜9時を回っているのに、ドタドタと走り回る足音がうるさい。

私が「ちょっと、下の人に迷惑だから、やめなさい!」と、ついに叱ると、二人はしおしおと部屋に戻り、また何か始めた。部屋の中をのぞき見ると、スマホで何やら編集している。息子が「見ないで」と言う。そういえば息子は日本の学校でも、支給されたiPadを使って“映画もどき”を撮影していたので、何かその手のことをやっているのかもしれない。「あとで見せること」を約束して、完成を待った。

やがて、「できた!」の声が聞こえたので、部屋に入って鑑賞する。タイトルは『Interviewing Putin(プーチンにインタビュー)』。黒いキャップにサングラス、アップルのパソコンを膝に置いたプーチン大統領役がジョッシュ。インタビューする側の記者役が息子、という配役だ。

“記者”「ミスター・プーチン、あなたはなぜウクライナを侵攻するんですか?」
“プーチン氏”「それはだな、彼らが愚かだからだ。昨日、目の前を4羽のめんどりが歩いていた。道路を横切るのに1時間もかかった。あいつらは、このめんどり達よりも愚かだ。いらない存在なんだ。ロシア人は彼らより、ずっと優秀だからな」
(この手のやりとりが延々と続くので中略)

そして、“記者”役の息子がこう尋ねる。

“記者”「でもあなたは、アメリカのアップル製品を使っていますよね?」
“プーチン氏”「そ、それは…うるさい、黙れ!」

最後はミスター・プーチンが記者を撃ち殺してしまう――という、なんとも残忍な筋書き。なんじゃそりゃ、と苦笑いしながらも、どこか引っかかる。いや、ものすごく引っかかる。子どものお遊びだと笑って済ませることもできるかもしれない。でも、こうした動画を作ろうと思う彼らの動機、おもしろがって親に見せる感覚…そういうものに、何かざらついたものを覚える。言葉にすれば、ヘイト、偏見、分断…そういうものが11歳の子ども達の中にしっかりと根付いてしまっているような気がする。

私は半ばムキになって、ロシアのウクライナ侵攻について説明を始めた。ロシアと仲の良くない国のグループ、つまりNATO(北大西洋条約機構)にウクライナを入れたくないこと、ロシア政権が「ロシア人とウクライナ人は一体である」という思い込みからウクライナ人にいうことを聞かせようとしていること、2014年のマイダン革命やクリミア併合…ロシアのものと思われている、ボルシチやコサックダンスが、実はウクライナのものであること、ウクライナは土壌が肥沃で農作物がたくさんとれること、最近はITも盛んで「東欧のシリコンバレー」と呼ばれていること…最後は取り憑かれたように、取材で知ったありとあらゆる知識をしゃべって聞かせた。

怖かったのだ。彼らは毎日のように、ネットから様々な情報を自分で仕入れてくる。それは必ずしも、公平公正なものばかりではない。偏っていればいるほど、子どもはおもしろいと思う。“おもしろいもの”はSNSを通じて、またたくまに子ども達の間で拡散していく…この流れをどうしたら止められるのか。止められないにしても、良い方向にもっていくことはできないのか…。

ブシュッと派手な音がして、あたりにしぶきが飛び散った。見るとジョッシュが鼻水を垂らしている。ティッシュを渡して「歯を磨いて、もう寝なさい」と言うと、2人でいそいそと部屋に引きあげていった。壁の向こう側、深夜まで続く2人の話し声や笑い声を聞きながら、心にはりついた違和感はなかなか消えなかった。

■ケンブリッジ大学の学生が「落語」「講談」に挑戦

翌週、名門ケンブリッジ大学でおもしろい授業があると聞いて、取材に出かけた。日本語を学ぶ大学1年生から大学院生まで、およそ40名の学生に、日本から落語家と講談師が来て、実演と実技指導を行うという。

落語家の立川志の春さんは、幼少時の7年間をアメリカで過ごし、名門イェール大学を卒業。商社に勤務していたとき、偶然、通りかかって聞いた落語に衝撃を受け、商社を辞めて立川志の輔さんに入門した…という異色の経歴をもつ。時折、英語を織り交ぜながら“落語とはなんぞや”を説明。それから古典落語の演目「初天神」を日本語で披露した。学生たちは大爆笑。その後、学生たちも高座に上がり、「初天神」で子どもが親におねだりする場面を熱演。

続いて、講談師の神田陽子さんが“講談と落語の違い”などを説明し、学生たちが「真田幸村大坂出陣」の一場面を「張扇(はりおうぎ)」で拍子をとりながら演じた。

驚いたのは、学生たちの熱量である。ワークショップを主催したケンブリッジ大学のラウラ・モレッティ教授が「誰か、やってみたい人!」と声をかけると、次々手が挙がる。誰かが高座に向かうと、日本語で「がんばって!」と聴衆から声がかかる。つっかえたり、間違えたりしても、ご愛敬。全員からあたたかい拍手が向けられる。

さらに驚いたのが、日本語の習熟度である。1年生はまだほとんどしゃべれないが、4年生ともなると立派に大人の会話が成り立つ。聞いてみると、大学の語学の授業で習っているだけで、他には何もしていないという。私は小学校高学年から約10年間英語を習ったのに、アメリカ留学当時、ほとんどしゃべれなかった…その差に驚く。

とはいえ、日本人でも難しい落語や講談を聞いて、おもしろいのだろうか…? 感想を聞いてみると、高座に挑戦した1年生はこう言った。「実は何を言っているのかよくわからなかったんだけど、その笑いのエネルギーみたいなのがすごくて、つい一緒に笑っちゃいました」

なんとなくわかる気がする。落語や講談は顔の表情やしぐさ、扇子や張扇の使い方など、全身で表現するので、言葉を超えたおもしろさが伝わるのだろう。

海外で落語を披露する難しさについて、立川志の春さんに聞いてみる。志の春さんは少し考えた後、「『人間ってこうだね』というのが、実は今と200年前とで変わらないんです。200年前の人も笑っていて、今の人も笑える、共感できる。江戸時代の人が笑っていたことで今の人も笑える、これはすごいことです。そんな話、なかなか作れないですよね。だから200年間、人々が笑い続けられている話なら、海を越えるぐらい簡単だよねって思うんです」と楽しそうに笑った。

最後に、主催したラウラ・モレッティ教授に授業の意義について聞くと、こう話してくれた。「私たちは皆、同じ感情を共有していて、それを文学や芸能の中で表現しています。こうした“人間性”が、異文化との溝を埋めてくれると信じているんです」

これから世界はどこへ向かうのか――先の見えない時代、笑いや涙や怒りなどの感情を表す文学や芸能といった人間が長い年月をかけて形作ってきた“文化”こそが、地球を救うカギなのかもしれない。日本から持ってきた落語のCDを久しぶりに息子と一緒に聴こう。「笑いは海を超える」を実感したひとときだった。

   ◇◇◇

■筆者プロフィール

鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会部デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「グレイの森」。