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【コラム】イギリスの国際教育と“6人の妻たちの残酷物語”【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2024年1月30日 12:38
【コラム】イギリスの国際教育と“6人の妻たちの残酷物語”【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
毎週土曜日にイギリス各地で行われるパレスチナ支援デモで旗を掲げる少年

人種も言葉も出身地も、さまざまな人が集うイギリス。週末にはロンドンのみならず、全英各地でパレスチナやウクライナを支援するデモや集会が行われ、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が声を上げる。多様性に満ちたこの国で養われる国際感覚、その源流は、イギリス国民が愛する“意外なモノ”にあった。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

   ◇◇◇

長い冬休みが終わった。シングルマザーとしては、毎日の息子の預け先の悩みから解放され、やれやれといったところだ。学校初日の前夜、寮の部屋に荷物を詰め込むため嫌がる息子の首に縄をつけて学校の門をくぐると、同級生の“ママ友”や先生方から異口同音に声をかけられた。「地震、大丈夫だった? 空港の飛行機事故も大変だったわね」

私は冬休みに入った途端、ひどい風邪をひき、息子ともどもドイツの友人宅に投宿していた。日本には帰国していなかったのだが、皆さん、本当に心配そうに声をかけてくれる。どちらもBBCのトップニュースで報じられていたためテレビで見たのだろうが、息子まで同級生に同じ言葉をかけられていたのには驚いた。国際ニュースへの感度が高い。

こんなこともあった。2023年10月7日。イスラム組織ハマスがイスラエルに急襲をかけ、長く続く戦闘のきっかけとなった、あの日のことだ。息子とBBCを見ていて、ブレーキングニュース(速報)が流れると、彼は「イランも参加するのかな…」とつぶやいたのだ。

11歳の息子が複雑な中東の地政学リスクを理解していることに驚いて、「どこで聞いたの、それ。すごいじゃん」と尋ねると、彼は「学校の授業。別にすごくないし…」と応えた。(この辺りが反抗期の“とば口”であったことを、母は後から知ることになる)

私が学生の頃、留学先のアメリカで「東京って中国のどこにあるの?」と聞かれてのけぞっていたのとは、隔世の感がある。こうした世界への「感度」は、どこで培われるのか?

ある日、“ママ友LINE”ならぬ、WhatsAppグループにメッセージが届いた。「来週の月曜日、GKあるわよね?」

「GK」とは、なんぞや? 息子に聞いてみると「GK? 知らん…」と言いながら鼻をほじくっている。ため息をつきながら、しばしアプリ画面を見つめる。「GK」というのは何かの略に違いない。ゴールキーパー…グッドカンパニー…いや、それはKじゃなくてCですね。女子高生? いやいや、あれはGKじゃなくてJK…。そこで思考が途絶える。

…いかん、これ以上、何も思い浮かばない。こんな時、頼りになるのは、そう、“ボスママ”しかいない!

スポーツ・デー(運動会)の日、麗しいサンドレスを腰のあたりまでからげて裸足(はだし)で100メートルを爆走し、見事、お父さん勢を抑えて優勝した“ボスママ”デボラの姿を思い浮かべながら、メッセージを送信する。「あのぅ、初歩的な質問で恐縮ですが『GK』とは、なんでしょうか?」

返信が来た。「ああ、『General Knowledge』のことよ。来週の月曜日テストだからね」

え…General Knowledgeは「常識」って意味ですよね? 常識の試験があるんですか? 常識って、テストされなきゃいけないものなんですか…? 混乱のあまり、しばし沈黙していると、デボラが何かを察したらしく「息子さん、問題を持って帰ってきてない? 良かったらウチの、送ろうか?」と気を利かせてくれた。

「すみません、お願いします…」と“三顧の礼”スタンプ付きで返信すると、さっそくテスト問題が送られてきた。全部で10問。なんともありがたいことに、デボラの息子・アルフィー君の手書きの答え付きである。だが、その内容を見て目が点になった。「常識…ですか、これ!?」 …ぜひ、皆さんも解いてみてほしい。もし全問正解できる方がいたら、クイズ番組に出場することをおすすめします…!?

【問1】何の見返りも求めずに良いことをする人のことを、何と言うか?
【問2】「スカーフェイス」とのあだ名で呼ばれるギャングスターの名前は?
【問3】ジャマイカにある「ゴールデンアイ」との名称の家に住んでいた作家の名前は?
【問4】ピラト提督がイエス・キリストの代わりに釈放した盗賊の名前は?
【問5】イギリス陸軍で「SAS」とは何の略か?
【問6】Aから始まるアメリカの州を、すべて挙げなさい
【問7】マウントFIJIは活火山か、 休火山か?
【問8】南米の国で始めと終わりが同じ文字の国はどこか?
【問9】ヘンリー8世の最初の妻の名前は?
【問10】アトラス山脈は、どこの大陸で発見されたか?

――マウント「FUJI」を「FIJI」と誤植しているのはご愛敬としても、皆さんは何問、解けたでしょうか? お恥ずかしながら私はマウントFUJI以外、1つも正答できませんでした。こんなん、難しすぎる! 日本人にできるわけないやんか!!と逆ギレしている場合ではない。

デボラが送ってくれた問題用紙を見ると、いつもウチの息子に「テキトー男」と不名誉なあだ名で呼ばれているアルフィー君は、なんと1問しか間違っていないではないか…! 彼我のなんたる差! ウチの息子が1問たりとて正答できないのは目に見えている。さっそくやらせてみるも、息子君、口をぽかんと開けたまま「何これ…問題の意味がわからない」。ええ、ええ、そうでしょうとも。息子の“正常”な反応に安堵(あんど)する…いや、している場合ではない。月曜日に、テストなのだ。

翌日。ロンドン支局のカメラマン、サイモンさんに「GK」の問題を見せながら、「これ、難しすぎますよね。大人でも絶対できないですよね…?」と尋ねてみる。すると、サイモンさんは「Oh、結構、難しいね」なんて言いながらも、楽しそうにすらすら解いている。実は彼、「パブクイズ」の常連だったとか。

イギリスではパブで毎週、「クイズダービー」のようなイベントが行われ、結構な呼び物になっている。テレビを見ていても、昼の時間帯はクイズ番組に占拠されているし、元来、クイズ好きの国民性らしい。

学校から来るお便りの中に「今年もやります、大人気の保護者クイズナイト!」なんてチラシが入っていたりする。わざわざ学校に行って保護者でクイズ大会をやらなくても…と思うのだが、親睦を深めるのにクイズはうってつけらしい。皆で、あーでもないこーでもないとやっているうちに、なんとなく仲良くなっていくのだとか。

ちなみに、イギリス国王・ヘンリー8世に6人もの妻がいたことを初めて知った。なんかいっぱい、いたな…くらいで、1人1人の名前なんてわかるわけがない。ちなみに最初の妻は「キャサリン・オブ・アラゴン」と言うのだが、アルフィー君は「アン・ブーリン」と書いていた。こちらは2人目の妻。どちらかというと、この侍女から王妃に成り上がった末に斬首されてしまった2番目の妻の方が有名なので、アルフィー君、ちゃんと「かすりながら」間違えている…脱帽。

頭を抱える私に、サイモンさんが歌ってくれた――いや、慰めの歌ではない。「ヘンリー8世の妻の歌」である。いわく、「♪Divorced Beheaded Died (離婚し、首をはねられ、死んだ) Divorced Beheaded, Survived(離婚し、首をはねられ、生き残った) 私はヘンリー8世。6人の気の毒な妻がいた~♪」

…このあと、歌で1人1人の妻についての詳細な説明が続くのだが、それは割愛するとして、なんとも物騒な曲である。帰宅してさっそく息子に歌ってやると、「知ってる、知ってる! 歴史の授業でミセス・ヘップバーンに習った!」と手を叩いて喜びながら唱和してきた。「で? ヘンリー8世の最初の妻は?」「…知らん」おまえ、覚えているのはその歌だけかい!! 思わずツッコみたくもなったが、ここは我慢。なんとしても10問の解答を月曜までにたたき込まなければならない。

ひたすら何度も答えを書かせて、暗記させる。…いかん、これではただの丸暗記、まったく血肉にならないではないか。おそらく試験が終わった瞬間、きれいさっぱり忘れている…逡巡(しゅんじゅん)しながらも、問題を反すうしていると、あることに気がついた。10問中、およそ半数は“外国に関する問題”だ。少なくとも問2、6、7、8、10はイギリス国外の話だろう。若干小学5年生の子どもに「常識」としてアメリカの州の名前や南米の国の名前を書かせるというのは、なかなかである。そうか、こんな小さい時から教育の中で、国外に目を向けさせているのか…!

同じ島国でも多くの移民を受け入れ、多様性が担保されている国ならではの教育…と、いたく感じ入りながら、「待てよ」とも思う。この手の問題は、一時期、日本で批判された「詰め込み型暗記教育」そのものではないか?

さっそく保護者会の後で、担任に質問をぶつけてみた。すると彼女はこう言った。「考える上で、ベースとなる知識は大切です。まず知らなければ、考えることも議論することもできませんから」

だが、こうした教育は私立学校のカリキュラムに限ったことでもある。イギリスでは一般に「ナショナル・カリキュラム」と言われる、日本の学習指導要領に相当する計画に沿って学習進度が定められているが、私立では公立に比べて「Year6」の段階で2年ほど学習が進んでいると言われている。速度だけでなく、学習範囲も幅広く、科目の選択肢も多いのが特徴だ。

なので、イギリスの教育を一口に平均値で語ることは難しい。イギリスの親が必死に「良い学校」を探し、必要とあらば近くに引っ越し、家庭教師を雇って目当ての学校に押し込もうとするのはこうした教育事情もある。

■気になる国際学力調査の順位は…?

本来、イギリスはGCSEやAレベルといった全国統一試験で良い成績をとれば、出身階級や経済状態に関係なく高等教育が受けられ、良い仕事につける…という公正、公平を旨とした教育制度をうたっている。統一試験の成績は生涯有効で、履歴書にも記載されるため、有名校を卒業したことよりも、試験の成績が重視されるともいわれる。

では、イギリスの学力は? OECD(=経済協力開発機構)が2022年に実施した学習到達度調査(PISA)の最新調査結果を見てみると、OECD加盟国でイギリスは「読解力」13位、「数学的リテラシー」14位、「科学的リテラシー」15位。日本は…と見ると「読解力」3位、「数学的リテラシー」5位、「科学的リテラシー」2位と、軒並みトップクラス。日本は新型コロナウイルス対策で休校した期間が他の国に比べて短く、そのことが影響した可能性も指摘されているが、イギリスよりはるかに出来がいい。これは一体どうしたことか。

そこで再び、担任の先生との会話がよみがえる。私は尋ねた。「知識なんて今やネットで調べればいい時代じゃないですか? 何も覚えさせなくても…こういう丸暗記は苦手な子もいるのでは?」

私の渋面に、彼女は楽しそうに笑いながら言った。「おたくのお子さんも含めて、GKテストが苦手な子は、たくさんいますよ。でも、それならそれでいいんです。クリケットでもラグビーでも、お料理でも聖歌隊でも、算数チャレンジでも演劇でもアートでも、自分が好きなことを精一杯がんばれば、それが一番なんです」

『おたくのお子さんも含めて…』が気になる一方、そうか…と、なんとなく腹落ちする。私のような昭和世代は成功の尺度として、ついつい学問だけに置きがちだが、彼らは「成功」への道筋を、もう少し多様な視点からとらえているのかもしれない。

帰り道、学校のトイレ横の壁に「Be Yourself!」と子どもの字で書かれた虹色のポスターが貼られていた。どんなものが好きでも、どんな夢を描いても、あなたはあなたらしくいればいい――そんなメッセージに、なんとなく、ふっと心がほどける気がした。

ちなみにGK嫌いの息子君、くだんのテストの正答は10問中4問(「ヘンリー8世の妻」含む)だった。最難関と思われた「キャサリン・オブ・アラゴン」を覚えていられたのは、あのサイモンカメラマン直伝の歌の効能に違いない。

   ◇◇◇

※最後に「GK」テストの回答を知りたいとの声が寄せられたので、以下に…。

【答1】「Good Samaritan(善きサマリア人)」
【答2】 トニー・モンタナ
【答3】 イアン・フレミング
【答4】 バラバ
【答5】 「Special Air Service(特殊空挺部隊)」
【答6】 アラバマ、アラスカ、アリゾナ、アーカンソー
【答7】 活火山
【答8】Argentina(アルゼンチン)
【答9】 キャサリン・オブ・アラゴン
【答10】 アフリカ大陸

■筆者プロフィール

鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「グレイの森」。