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【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2024年2月25日 13:10
【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
チェロを弾くアニタさん

かつて600万人が犠牲になったナチス・ドイツによる大量虐殺「ホロコースト」。そのホロコーストを生き延びたユダヤ人の女性チェリストは今、パレスチナ自治区ガザ地区で起きていることに何を思うのか。“絶滅収容所”を生き抜いた98歳の女性が語ったこととは。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

■数少ない生存者…「これが人生最後のインタビュー」

アニタ・ラスカー・ウォルフィッシュさんは、ホロコーストの記憶を自らの言葉で語る、数少ない生存者の一人だ。

ロンドン市内の自宅を訪ねると、出迎えてくれたアニタさんを見て驚いた。御年98歳。言葉によどみはなく、頭の回転も速い。片時もたばこを手放さず、歩行器こそ使っているものの、身のこなしはかくしゃくとしている。

「あんまり熱心だから受けたけど、これが人生で最後のインタビューよ」

戦後、世界的なチェリストとして活躍したアニタさんの部屋には、チャールズ国王(当時は皇太子)との2ショット写真など、貴重な記念品が所狭しと飾られている。思わず見入っていると、「触ったら必ず元に戻すこと、いい?」と厳しい声が飛び、背筋が伸びた。

■“絶滅収容所”で命を賭けたオーディション

アニタさんは1943年、18歳で収容所に送られた。裸にされ、髪をそられて丸坊主にされ、腕に収容所番号の刻印を入れられたという。そしてその後、命を賭けた最初の「選別」に臨む。

この「選別」で“働けない”と判断されたおよそ8割の人は「ガス室」に送られる。「ガス室」とは、シャワー室にみせかけて天井から毒ガスを投入し、一度に多くの収容者を殺害するために造られた施設だ。

『このままいけば、自分もガス室送り…』と絶望したアニタさん。だが戦前、ナチス政権下のベルリンでチェロを学んでいたアニタさんは、オーケストラへの入団オーディションを受けることができた。

アニタさんは、オーディションを無事通過。収容所唯一の女性オーケストラに参加することになった。収容者が朝晩、仕事場と行き来する際にチェロを弾き、日曜日の午後にはSS(ナチス親衛隊)のためにコンサートを開いた。

アニタさんは、ブレスラウ(当時ドイツ・現在はポーランドのヴロツワフ)に住む中流ユダヤ人家庭の3人娘の末っ子だった。1942年、アニタさんが16歳の時、弁護士の父とバイオリニストの母は強制送還され、そのまま行方知れずに。その後、アニタさんと姉のレナーテさんは児童養護施設に入れられ、製紙工場で強制労働に従事。そこでフランス人捕虜の逃亡を助けるために書類を偽造した罪で、ゲシュタポに逮捕される。獄中生活の後に送られたのが“絶滅収容所”だった。

18歳でアウシュビッツから3キロのビルケナウに送られたアニタさん。その時の気持ちをこう語った。「感情なんてない。ただ『自分はもう死ぬんだ』と諦めたの」

1944年にロシア軍が進攻すると、アニタさんはベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送された。翌年4月15日、イギリス軍によって、病気と飢餓に苦しむ5万人の人々と共に解放される。家も家族も失っていたアニタさんと姉は、2人きりでロンドンに行くことを選ぶ。アニタさんはイギリス室内管弦楽団の創設メンバーとなり、チェロを弾き続けた。

■“50年間”沈黙の後…『真実を受け継ぐ』決意

戦後50年近くもの間、アニタさんはホロコーストについて口を閉ざし続け、自分の子どもたちにさえ話すことを拒んできたという。その理由を聞くとアニタさんは「辛い記憶。すべてが苦しかった。だって、自分もガス室送りになることがわかっていたんだもの」とつぶやいた。

だが1994年、コンサートで弾くためにドイツを訪れ、戦争の記憶と向き合う。1996年に『Inherit the Truth(真実を受け継ぐ)』というタイトルで手記を出版。アウシュビッツなど各地に出かけ、自らの体験を語り伝えるようになった。

■記憶をたどって…収容所は今

アニタさんの記憶をたどり、収容所を訪れた。当日、ビルケナウの門は深い霧の向こうに沈んでいた。

アニタさんが収容されていたビルケナウは、1941年にアウシュビッツから3キロ離れた村に造られた最大の強制収容所にして、最大のユダヤ人絶滅施設だ。4つの大きなガス室と焼却炉を備え、1942年から1944年までの間に、子どもや女性を含む100万人近いユダヤ人が殺された。

■“死の収容所”で音楽が演奏された理由

出迎えてくれたのは、アウシュビッツ公式ガイドで、アニタさんをよく知るレナータさん。レナータさんは、収容者が全身の毛を剃られ、収容所番号を入れられたバラックを案内しながら、こう語った。

「ここでナチス親衛隊は日曜日の午後、アニタさんたちオーケストラが演奏するコンサートを楽しんだんです。収容所の子ども達に非人道的な人体実験を繰り返した、あの悪名高いヨーゼフ・メンゲレ医師もいました。シューマンの『トロイメライ』を目を細めて聞いていたんです。彼はオーケストラの練習も聞きに来ていたほど熱心でした」

そして、バラックを見つめて言った。

「皮肉なことに、こんな状況でも人間は人間であろうとするんです。人間らしくあるために、音楽を必要としていたんです。信じられますか? ここでは、『音楽』と『虐殺』が共存していたんです」

■「世界はまだ学べていない」

最後に訪れたのは、アウシュビッツのガス室と焼却炉だった。収容者を大量殺りくするための毒ガス「チクロンB」が投げまれた穴を見上げながら、レナータさんは言った。

「この場所には、いつまでたっても慣れることができません。いつ来ても、まるで初めて来る場所のように戦慄を覚えます。辛い仕事です…」

それでもガイドを続けている理由を聞くと、レナータさんはしばらく考えた後、決然とした表情で言った。

「私たちはこうした場所から学ばなければなりません。人間とはどういうものか、世界はまだ学べていない」

私はその時、強制収容所に入れられたユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルが著書『夜と霧』の中で書いていた言葉を思い出した。

「わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」
(『夜と霧』新版 ヴィクトール・E・フランクル 訳:池田香代子 みすず書房)

■ホロコーストの記憶 アニタさんの“怒り”

去年10月、発生直後に取材したイスラエルを思った。とてつもない数の犠牲者を出しながらも、パレスチナ自治区ガザ地区への攻撃を続けるイスラエル。ネタニヤフ首相は「ハマスの残虐行為はホロコースト以来、最も恐ろしいものである」と、「ホロコースト」の言葉を使って攻撃を続ける意思を明確にしている。去年10月7日のハマスの襲撃によって再び呼び覚まされた、恐怖と自衛の本能…。

アニタさんは「ホロコースト」の記憶が、ガザ地区への攻撃を正当化するために使われていることに強い憤りを抱いている。

「愚かで恥ずべきことだ。今、ガザで起きていることを正当化できるものは何もない。ホロコーストとは何の関係もない」

“ホロコーストを二度と許さないために”相手を攻撃することを許容するようになってしまったと話すアニタさん。この歴史の「トラウマ」を乗り越えるために必要なものは何か。

最後に、「イスラエルとパレスチナが平和に共存できる日は来ると思うか」と聞くと、アニタさんは静かにこう答えた。

「コーヒーを飲みに行ったり、サッカーをしたり…一緒に何かをして、互いの違いに興味を持ってほしいのです。違いを大切にして、違いに興味を持つ。みんな同じでは、つまらないでしょう」

「殺し合う前に話し合おう、これが私のアドバイスです」

◇◇◇

■筆者プロフィール

鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会部デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「グレイの森」。