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「I Love Russia」~毒殺されかけた彼女が今、伝えたいこと【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】

2024年3月15日 20:00
「I Love Russia」~毒殺されかけた彼女が今、伝えたいこと【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
ロシア人記者 エレーナ・コスチュチェンコさん(36歳)

プーチン政権の言論統制のもと、命をかけて報道を続けるロシア人ジャーナリストたちがいる。毒殺されかけたというロシア独立系メディアの記者は「それでも私はロシアを愛している」と語る。凄惨(せいさん)な体験を経て、彼女が今、思う「祖国への愛」とは――。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

ドイツ、ベルリンに住むエレーナ・コスチュチェンコさん(36歳)。ロシアの独立系メディア「メドゥーザ」で記者として働いている。ロシアがウクライナ侵攻に踏み切った当時、エレーナさんは別の独立系メディア「ノーバヤ・ガゼータ」で働いていた。

「私がウクライナに入ったのは、ロシアの全面侵攻の初日でした。2022年2月24日ですね」

エレーナさんはウクライナ南部オデーサやミコライウ州などの前線を取材し、ロシア占領下のへルソンに入った。

「へルソンで、ロシア兵がウクライナ人…それも普通の市民を誘拐し、拷問し、情報を聞き出していることを知ったんです。そこで私は、誘拐されたウクライナ人42人分の名前を見つけて、ある秘密刑務所の住所も突き止めることができたので、ヘルソンを出てこの情報を公開しました」

その後、マリウポリに入ろうとした時、警告を受けたという。

「同僚が『マリウポリに向かう道にある検問所のロシア兵たちはあなたの名前も顔も知っていて、あなたを"拘束するのではなく、殺せ”との命令が下りている』と言いました」

それから1時間後、「ノーバヤ・ガゼータ」の編集長でノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏から電話がかかってきたという。

「編集長が私に電話をかけてきて、『もう戻ってはいけない。さもなければロシアで殺される』と言ったのです」

エレーナさんはロシアへの帰国を断念。ドイツ・ベルリンに拠点を構える別のロシア独立系メディア「メドゥーザ」で働き始めた。

■「あなた、すごく変なにおいがする」

ウクライナ取材のためのビザを申請しにミュンヘンの領事館に出向いた帰り道、エレーナさんは友人におかしなことを指摘される。

「彼女は『あなた、すごく変なにおいがする』と言ったんです。それで自分のにおいを嗅いでみたら、本当に奇妙なにおいだったんです。腐った果物みたいでした」

「何も考えず外に出て、体を少し拭きました。それから電車の座席に座って原稿を読んでいたんですが、同じ段落を何度も何度も読み返していることに気づいたんです…。さらに頭痛がしてきました。痛みはだんだんひどくなってきて、『何か視界がおかしい』って…視野が狭まっていたんです」

駅で電車を降りると、エレーナさんは耐えがたいほど気分が悪くなり、家への帰り方がわからなくなったという。地下鉄に乗り換えるべきであることはわかっていたが、地下鉄への通路もわからなくなり、ようやく見つけた地下鉄のホームで、エレーナさんは激しく泣いてしまった。どちら側の地下鉄に乗るべきか分からなくなったのだという。

周囲の乗客に助けられ、ようやく最寄り駅に降り立ったものの、駅から家まで、わずか5分の道のりが永遠にも思われた。かばんを何度も地面に落としながら歩いたという。

ようやく家にたどり着くと、一緒に暮らす恋人のヤーナさんが抱きとめて介抱してくれた。エレーナさんは腹部の痛みとめまい、激しい吐き気に襲われる。尿には血が混じっていて、肌に触れるだけでも痛みが走り、数日間は眠ることもままならなかったという。

■“コロナの後遺症”から一転…「毒を盛られたのでは」

10日後、ようやく病院にかかると、医師の診断は「コロナの後遺症」「自己免疫疾患」「腎不全」など、めまぐるしく変わった。そして――

「12月も終わろうとしていた頃、私の主治医が、『毒を盛られたのではないか。警察に相談する必要がある』と言ってきたのです」

「警察は、私の体とアパートに放射性物質がないか調べました。陰性でした。警察は私にとても腹を立てていました。私はロシア人ジャーナリストであり、ロシアの独立系メディアの記者であり、調査報道に携わっているのだから、毒を盛られたのではないかと考えるべきだったと言っていました。『最初にその可能性を考えるべきだった。電車で気分が悪くなった時に警察を呼ぶべきだった』と」

当時のエレーナさんは“ヨーロッパは安全だ”と考えていたという。

「警察は私に『その考えは全く浅はかだ。ここベルリンやドイツでは“政治的な殺人”が行われており、ロシアの特殊機関が非常に活発に活動している』と言いました」

当局による捜査は、現在も続けられている。

■ロシアに“選挙”はない

ロシアの大統領選について聞くと、エレーナさんは小さく笑って言った。

「ああ、ロシアに“選挙”はないですよ。もうすぐ起こるアレは、選挙ではありません」

「ロシアには、こんな言葉があります。『誰に投票するかは問題ではない、誰が数えるかが問題なのだ』。プーチン政権のペスコフ報道官はすでに『プーチンは90%以上を獲得するだろう』と言いました。つまり、それが“彼らが望む数字”であり、“彼らが得る数字”でもあります」

「でも、多くのロシア人にとって、選挙と呼ばれるものはやはり重要です。なぜなら1人1人の声は届かなくても、何かを起こす方法ではあるからです。戦争に反対するためにできる何かなのです。人々は戦争に反対するために投票に行きたかった…だから『戦争に反対だ』と言っている人が候補になることが、とても重要だったんです」

エレーナさんは、自身の体験やこれまで取材したことを1冊の本にまとめた。英語版のタイトルは『I Love Russia』。

「私はロシアを愛しています。これについては何も変わりません。今、起きていることは私の心に多大な痛みをもたらしています。なぜなら、ロシアが世界とウクライナの人々にどれだけの悲しみを与えているかを目の当たりにしているからです」

「プーチンは、『ロシアを愛するなら、ウクライナ人を殺しに行け』と言っています。『ロシアを愛するなら、沈黙するか、嘘をつくか、従うべきだ』とも。しかし、愛に必要なのは沈黙でも従順でも殺人でもない。愛には正確な視線と思考が必要です」

「私は私の国が好きなのです。だからこそ、私は自分の目と心で精いっぱい祖国を見つめるべきだと思っています。そしてその強さが、ジャーナリストとしての仕事を続けるエネルギーになっています。“祖国への愛とは何か”を自分たちで定義するべきだと、私は信じています。政治家ではなく。彼らに決めさせてはいけないんです」

3月8日の「国際女性デー」に、エレーナさんはヤーナさんと結婚した。

「大きな音がしたり、道で不審な男がいたりすると、ヤーナは震えています。結婚を申し込んだときに彼女に約束した生活とは違うことを、申し訳なく思っています。自分の仕事の選択が、愛する人たちの人生を台無しにしているようで…」

エレーナさんとヤーナさんの夢は“ロシアに戻って子供を持つこと”。でもそれは簡単なことではないと、2人は言う。

「ロシアに戻ったら、いろいろなことに対処する必要があります。というのも、今、ロシアではLGBTQに関する法律が変更され、基本的に私たちはレズビアンであるというだけで“国家の敵”と宣言されています。それもまた大きな問題です」

「今、ロシアで同性カップルの友人たちは、子供が国家に奪われることを恐れています。私たちの子供たちには、自分の国で育ってほしい。そのためには、祖国をまともな国にしなくてはなりません」

プーチン大統領を批判して収監された反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏の死亡が発表されてから、およそ1か月。私はナワリヌイ氏が生前、語っていた言葉を思い出した。

「彼らが僕を『殺す』と決めたならば、それは僕たちがとんでもなく強いからだ」

言論統制の中でも強い信念に基づいて発信し続ける人…その姿に、背筋が伸びる思いがした。

   ◇◇◇

■筆者プロフィール

鈴木あづさ
NNNロンドン支局長。警視庁や皇室などを取材し、社会部デスクを経て中国特派員、国際部デスク。ドキュメンタリー番組のディレクター・プロデューサー、系列の新聞社で編集委員をつとめ、経済部デスク、報道番組「深層NEWS」の金曜キャスターを経て現職。「水野梓」のペンネームで作家としても活動中。最新作は「グレイの森」。