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習近平主席、3期目発足までの“動静”は? 外交より内なる闘争に専念か? 終わればのびのび…ゼロコロナも転換

2023年1月1日 13:00
習近平主席、3期目発足までの“動静”は? 外交より内なる闘争に専念か? 終わればのびのび…ゼロコロナも転換
外交は控えめだった習主席

中国の習近平主席は2022年、3期目続投を果たした。2022年初めの時点ですでに続投は確実視されていたものの、水面下で激しい駆け引きはなかったのか。習主席の2022年1年の足跡をたどると国内での調整に相当注力している様子が見えてきた。

中国の国営メディアは日々、習主席の動静をトップニュースで伝えている。もちろんありのままは伝えていないだろう。むしろ世界の指導者との交流など、内外に宣伝したいものばかり大半を占めている可能性がある。でも年間、数百にも及ぶ習主席動静をつぶさにみれば今まで見えなかったものが少しだけ見えてくる。(NNN中国総局 富田 徹)

■時間さえあれば「各国首脳に電話」が一転…政局シフトか

「外交の時間がなかったのかな…」2022年の1年間の習主席の動静をまとめる途中でまず感じた。

2021年には多い時には1日に3か国の指導者と電話会談をこなすなど、電話やオンラインによる会談や国際会議参加はのべ100回以上にのぼった。しかし2022年はのべ40回以下に激減していた。

一つにはコロナ対策で中国に閉じこもってきた習主席が2022年秋から外遊を解禁したことがある。9月に中央アジア、11月に東南アジア、12月にサウジアラビアを、それぞれ国際会議にあわせて訪れ、50近くの国・地域の要人らとマラソンのように会談をこなしている。

ただ、それでもなかばノルマのように連日各国の首脳に電話をかけまくっていた2021年に比べるといかにも少ない。とりわけ北京冬季オリンピック・パラリンピックの五輪外交を終えると4月以降は外交日程が少なくなり、7月を過ぎると習主席自身の外交日程はほぼぱったり途絶える。この時期、習主席がいかに外ではなく内に向けて注力していたかが垣間見える。自らの3期目を支える新指導部を発足させる共産党大会を間近に控えていた時期だ。

■忠誠心見極めも?幹部人事を前に面談

党大会の後、国営・新華社通信は新指導部の人事が決まる経緯について報じた。これによると習主席は2022年に入ってから人事について最高指導部のメンバーに意見を聴取したという。その後、3月24日には会議を開き、今後の人事の進め方について採択をとりつけたとしている。しかし当時の新華社の記事で習主席の動静にこの会議は出てこない。

その後に取られた方法は習主席が中央の指導者が候補になりうる党の有力幹部らを直接面談するというもの。習主席への忠誠度を面と向かって値踏みされるような場だったことが想像されるが記事ではさわやかに描写されている。

2022年初夏の北京・中南海。朝7時過ぎ、共産党の有力幹部が早めに到着して準備をしている。北京に来るよう連絡があったのは2日前のことだった。待合室に入るとテーブルには、「今のリーダーたちの名簿」などが並べられていた…。

4月から7月にかけて党や軍など280人以上の幹部らの面接が行われ習主席自身も”日々のスケジュールの中で十分時間を設け”多くの幹部らと面談したとしている。この時期、新たな指導部人事に向けて着々と調整を進めていたとみられるが、同じ頃、上海ではおよそ2か月にわたるロックダウンが起き、上海トップの李強氏の手腕を疑う声が高まった。ただ、蓋を開けてみるとナンバー2に大抜擢となった。

■再び8月は空白に…人事最終調整か

8月になると外交だけでなく習主席の動静が殆ど伝えられなくなる。直前の7月末には日程が詰め込まれているが…

26日 インドネシア大統領と会談
27日 「新時代の国防・軍建設の成果展」見学
28日 米バイデン大統領と電話会談
   中央政治局の集団学習会で演説
29日 中央統一戦線工作会議で重要演説
   ポーランド大統領、イラン大統領と電話会談
31日 人民解放軍健軍95周年レセプション

しかしこの後、8月は16日から17日にかけて遼寧省の視察、そしてその次は30日に「模範公務員の表彰式出席」と、およそひと月にわたって動静はガラガラ。特に8月前半はナンバー2の李克強首相など最高指導部の他のメンバーにも目立った動静がなく、河北省の避暑地「北戴河」で引退した長老たちも含めた会合がもたれたのではとの見方も出た。この時期が党大会に向けた最終調整があった可能性もある。そして、8月30日に共産党大会が10月16日から始まるとの日程が明らかにされた。すでに人事をめぐる調整は終わり、習氏3期目のスタートが固まったとの受け止めが拡がった。

■党大会の後は“自由”に…ゼロコロナもあっさり“放棄”

この後の習主席の動静はフリーハンド、自由度を増したように見える。9月には2年8か月ぶりに外遊を解禁してカザフスタンへ。11月には東南アジアにも出かけて、バイデン大統領や岸田首相とも対面で会談した。

あれほど堅持を訴えてきたゼロコロナの看板をあっさりと下ろし始めているようにみえる。12月1日にEU(=ヨーロッパ連合)の要人と会談した際にこう述べたという。

「みんないらだっている。特に学生だ。」

この言葉を習主席が語ったと聞いた時に最初に感じたのは「なんて他人事のような…」という点だ。私自身「習主席がこだわるゼロコロナ」とこれまで散々書いてきたのは正しかったのか?

ゼロコロナ緩和後に明るみになった北京など各地の感染爆発は、中国各地で反ゼロコロナデモが起きるおよそひと月前、11月初め頃から北京などで感染が増えてきた頃と重なる。しかしその頃に習主席が主催した会議は「ゼロコロナの方針を揺るぎなく徹底」としつつ「コロナ対策と経済などの発展を両立し経済などへの影響を最小限にしなければならない」としていた。

しかし、党大会前の5月には同じように主催した会議は「ゼロコロナに緩みやえん戦気分があってはいけない」「長期的に見て特に政治面、政治の得失も考えなければならない」とまで指摘していたのだ。そして12月27日、コロナ政策に関する習出席の指示が再び報じられたが、その中に1年にわたりあれほど繰り返してきた「ダイナミック・ゼロコロナ(動態清零)」の言葉は消えていた。

「3期目政権発足まで安全運転」という、かせが消えた習近平政権は2023年はどこへ向かうのか。側近で固められ習氏自身の意向が伝わりやすくなっただけ、振れ幅も大きそうで目が離せない。