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24年前…世界が止めていたら「ウクライナ戦争はなかった」 ロシアへの“無関心”を批判

2023年8月20日 12:06
24年前…世界が止めていたら「ウクライナ戦争はなかった」 ロシアへの“無関心”を批判
プーチン大統領(ロシア大統領府)

7月末、ロシア人の反政府武装組織幹部らがプーチン政権崩壊後のロシアを議論する会合に参加するため来日した。「プーチン後」をめぐる思惑の違いもあきらかになる一方、分離独立派の幹部から「世界の無関心がウクライナ侵攻を招いた」と、ロシアの民族問題へ国際社会が真剣に向き合うことを求める声もあがった。(国際部・坂井英人)

■「プーチン後」を議論

プーチン政権崩壊後のロシアの国家像や少数民族の分離独立を議論する「ロシア後の自由な民族フォーラム」が8月1日、永田町の衆議院第一議員会館で開催された。参加したロシアの反体制派組織幹部や少数民族の分離独立派は「反プーチン」で歩調を合わせたものの、目指す新たな国家像では「分離独立」を前提とする少数民族組織の代表らと、そうした意見に配慮しつつもロシアの分裂を望まない「ロシア自由軍団」政治部門幹部のイリヤ・ポノマリョフ氏との間で立場の違いが明らかになった。

■「世界のチェチェンへの無関心がウクライナ戦争を招いた」

各参加者が発言を終えた終盤、この日議長を務めたウクライナ研究者で神戸学院大学の岡部芳彦教授は会合について「ロシア連邦の帝国主義的・植民地主義的政策に抑圧されてきた諸民族の本当の声を聞くことができたのは我々にとって非常に貴重だった」と締めくくった。

なかでも重く響いたのが、ロシア南西部・チェチェンのカディロフ首長と対立し、分離独立を目指す「チェチェン・イチケリア共和国」亡命政府の“外相”を名乗るイナル・シェリプ氏の言葉だ。シェリプ氏は「ロシアの民族問題に対する世界の無関心がウクライナ戦争を招いた」と指摘した。

1994年、一方的に独立を宣言していた「共和国」にロシア軍が武力行使して始まった第1次チェチェン紛争は96年に休戦したものの、1999年、プーチン氏が首相に就任したほぼ同時期に第2次チェチェン紛争が始まった。シェリプ氏によると、これまでにチェチェン人30万人の命が失われ、そのうち約8万人は子どもだったという。

「チェチェン・イチケリア共和国」“外相”イナル・シェリプ氏 
「(第2次チェチェン紛争が始まった当時)世界はそれをロシア国内の事情と見なし、黙っていました。もしあの時、世界が関与し、あの戦争を止めてくれていたら、その後のジョージアへの侵略も、またウクライナの戦争もなかったでしょう」

■チェチェン人は2014年からウクライナと共闘

この前日に行ったNNNとの単独インタビューでシェリプ氏は、亡命政府の戦闘部隊がウクライナ国防省との正式な契約のもと、ともにロシアに対して戦っていると説明した。また、亡命政府に直接は所属していない別のチェチェン人の義勇兵部隊も存在し、2014年からウクライナ東部ドンバス地方でウクライナ側にたち親露派と戦闘を行ってきたという。

第2次チェチェン紛争勃発から20年以上が経ち、ヨーロッパなどに脱出した独立派のチェチェン人も世代交代が進んでいるが、彼らがウクライナを助ける理由の一つには、ロシアを敗北させることがチェチェン独立につながると信じていることがある。

「チェチェン・イチケリア共和国」“外相”イナル・シェリプ
「我々は自由のために戦っています。これは世代を超えて引き継がれる伝統のようなものです。ウクライナ戦争はチェチェン人が自由を得るための機会であり、我々はこのチャンスを使おうとしています」
「もしウクライナが勝利すれば、ロシアは変わらなければなりません。帝国から民主国家へ転換することが必要であると理解する(政権を担う)新たな人々が出てくるでしょう」

また、シェリプ氏によると、チェチェン内部の街や村に独立派の地下組織が存在し、毎月オンライン会議を開催するなど、緊密にコミュニケーションをとっているという。

シェリプ氏は、日本とチェチェンは「領土をロシアに占領されている」という共通点があると繰り返し、「いま、こうした土地の占領を終わらせる非常にいいチャンスがきている」と強調した。日本とチェチェンの双方を「ロシアの隣国」と位置づけ、領土問題の解決に向け日本側に連携を呼びかけた。

■9時間半で約50人が登場した「2日目」

会合の翌日、都内の貸し会議室に場所を変えて「2日目」が行われた。前日からの参加者に加え、世界各地から少数民族の独立派やロシア研究者などがオンラインで参加し、代わる代わるプレゼンテーションを行った。午前10時から午後7時半までの9時間半、間に20分ほどの休憩を挟んだ以外はほぼノンストップでおよそ50人が話すという濃密なスケジュールで、参加者が用意したスライドの文字が会場のプロジェクターではつぶれて読めないなど、運営方法にやや準備不足を感じる場面もあった。

中国の四川省や東北部の分離独立を求める人々など、ロシアにとどまらない幅広い参加者も加わって、その多くがロシア(そして中国)の「分裂」を主張した。ここでも、ポノマリョフ氏の考えの特異さが目立った。彼らのいう「プーチン政権崩壊」が仮に現実となったとしても、いまは反プーチンで結束するこれらの勢力が協力して歩むことができるかは大きな課題だろう。

次回の会合はイギリス・ロンドンとフランス・パリで9月下旬にも開催予定だ。

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