【決意】義眼はずし“パリコレ”の舞台へ 「ありのままの姿で…」太鼓奏者の葛藤『every.特集』
現在は太鼓奏者として活躍する女性。幼い頃に目の病気を発症し、高校生で左目を失明しました。そんな彼女に“パリコレ”イベント出演の話が。自信をくれた義眼と義眼をはずした“ありのままの姿”どちらの自分で舞台へ臨むのか。葛藤を続けた姿を追いました。
フランス・パリ。「いまこの場所にいて、この景色を見られていることって奇跡」と話す富田安紀子さん(32)。日ごろは左目には義眼をつけて生活しています。そんな彼女が、「パリコレ」の舞台に。それも義眼をはずして、ありのままの姿で…。
その決断の裏に、「不安はめちゃくちゃある」と話した富田さん。葛藤を続けた姿を追いました。
富田さんは、病気によって左目が見えません。6年前から義眼をつけています。そのため、自分の左側にあるものは見えにくいといいます。
──左側にバス停がある
富田安紀子さん(32)
「バス停?どこかわからないかも」
──立っているところから1.5mほど直線上に
富田安紀子さん(32)
「これ?」
さらに、右目は進行性の弱視で医師からは、いずれ見えなくなると宣告されています。急激に視力が落ちはじめたのは小学2年生のころ。
富田安紀子さん(32)
「もう真っ暗に近かった」
「結構見えていなかった」
小学4年生になると、両目ともほとんど見えなくなりました。1年間ほど特別支援学校に通いましたが、手術で視力が少し回復したため元の小学校に復学。しかし…。
富田安紀子さん(32)
「目をからかう、いじめ」
「その時がいちばん人生でどん底」
無視されたり、足を引っかけられて転ばされたり、いじめにあいました。左目が完全に光を失ったのは高校生の時。
富田安紀子さん(32)
「若干ほら、変な方向いている。変な目をしているねっていじめられるのかな。気持ち悪いって思われるのかな」
「めっちゃ嫌で、(左目を)ずっと前髪で隠していて」
それでも、母親の富田啓子さんは「自分に自信をもって。顔をあげて、おでこをあげて生きてほしいな」と話す。
26歳のとき、母の勧めではじめて義眼をつけました。
見た目を補い、目の組織を保護するためなどにつける義眼。富田さんの場合、眼球が残っているため半球の義眼です。付着した汚れや傷を取り除くため、定期的にメンテナンスに通っています。専用の機械で磨くと…。
富田安紀子さん(32)
「すごい、ぴかぴか」
「義眼をいれてから本当に変わりました。人生が」
「もっと早くいれておけばよかったって、ぶっちゃけ思った」
自分に自信をくれた義眼は、富田さんにとって大切な存在です。
富田さんには4歳から続けていることが。和太鼓です。
「太鼓って目が見えなくなっても、ずっとたたいていける唯一の相方だな」と話す富田さん。現在は和太鼓奏者として、演奏だけでなく指導も行っています。
和太鼓を広める活動をするなか、「パリコレ」のイベントでモデルとして和太鼓を披露する話が舞い込みました。
富田安紀子さん(32)
「太鼓と一緒に出られるって話をきいたときは、本当に夢みたいだった」
この日向かったのは都内の美容院。待っていたのは、当日のヘアメイクを担当する波多晋さん。打ち合わせがはじまりました。
富田安紀子さん(32)
「義眼をいれてから、(左目を)前髪で隠さなくなりましたと話していたけど、やっぱりコンプレックスというか」
目を気にする富田さんに、長年世界の舞台で活躍する波多さんは。
ヘアメイク担当・波多晋さん
「コンプレックスって隠すものじゃなくて、出すものだと思う」
「個性なので、それは武器として使うべき」
その言葉に。
富田安紀子さん(32)
「自分っていうのは、ありのままでいいんだな」
3週間後、フランス・パリ。本番を翌日に控え、富田さんが向かったのはパリ中心部のレストラン。待っていたのはヘアメイク担当の波多さんです。メイク担当者の宮本盛満さんも加わった最終打ち合わせ。そこで…。
富田さんは「義眼をとろうと決意して」と、自信をくれた義眼を本番ではずすと口にしました。
メイク担当・宮本盛満さん
「自分はどっちが心地がいいのですか」
富田安紀子さん(32)
「日本ではやっぱり、つけている方が心地いい。変わった目で見られないし」
「でも、母とか友達とか自分の家族に見せると、すごくきれいな目だよって言ってもらえるのがすごくうれしくて」
ヘアメイク担当・波多晋さん
「それが誰にも負けない個性ですから」
しかし、一方で。
富田安紀子さん(32)
「自分の義眼をはずした顔って、正直好きではないから」
「直前になったらやっぱり、はずしたくないってなるかもしれないし」
まだ、心は揺れていました。
そして迎えた当日。他のモデルたちも続々と集まり、一斉に準備がはじまります。鏡の前に座った富田さん。
富田安紀子さん(32)
「義眼はずすのは直前にしようかな」
準備は着々と進んでいきます。その手元には義眼ケース。
富田安紀子さん(32)
「やっぱりここに来て決まりました。決意かたまった」
「ありのままの自分を隠していたし、嫌いだったから」
「今回好きになろうと思って」
決意は固まったと話しましたが、本番まで20分。衣装に着替え。最終調整をしているときでした。
富田安紀子さん(32)
「義眼はずそうかな。もうこのタイミングで」
はじめてカメラの前で見せる左目。
富田安紀子さん(32)
「ありのままの自分の姿でもあり、目もちゃんと“パリコレ”の空気に触れているような感じ」
「すごくうれしいです。はずして歩くとは、2か月前までは考えてもいなかったので」
そして、本番。義眼をはずしたありのままの私。すべての出番を終え、「撮影のときはちょっと(義眼を)いれようかな」と話す富田さん。
富田安紀子さん(32)
「左目はもう失明して、心の目で見ているって思っていたけど」
「両目で見ているような感じがしたので」
「義眼をいれていない、ありのままの自分でステージに立つことって、こんなに気持ちよかったんだな」
義眼をはずした自分に少しだけ自信をもてるようになっていました。
一夜明け。
──義眼をはずすことへの恐怖は?
富田安紀子さん(32)
「なくなり…今回はなかった。正直言って、環境や場所ではまだ、今日ははずさないでおこうって日ももちろんあると思うので、ちょっとずつ自分のマインドを変えていきたい」
「もし自分が目の病気じゃなかったら、どんな人生を歩んでいたんだろう」
「(病気になったのには)やっぱり意味があると思っていて、その意味をいま生きながらひとつずつ回収している」
(10月30日『news every.』より)