阪神・淡路大震災から17日で30年「経験と教訓」を次世代へ 神戸市で取材
阪神・淡路大震災から1月17日で30年となります。被災地となった兵庫県では、災害とどう向き合い、その経験や教訓を次の世代に受け継ごうとしているのか。そこから私たちが学ぶべきことを考えます。
※FBS福岡放送めんたいワイド2025年1月15日午後5時すぎ放送
1995年1月17日未明、兵庫県の淡路島北部を震源とする戦後初の大都市直下型地震は、6434人の命を奪いました。
最大震度7を記録した神戸市は、30年前の悲惨な光景からは想像もつかないほど復興しました。
にぎわいを取り戻した、市内の繁華街にある公園の地下には。
■奥村誠悟記者
「震災によって亡くなった方たちの名前が、ぐるっと1周刻まれています。学校で折られた千羽鶴が飾られており、花も手向けられています。」
プレートには5068人の名前が刻まれています。地上には「希望の灯り」と呼ばれる「ともし火」があり、遺族だけでなく震災を知らない世代も、あの日に思いを寄せる場所となっています。
神戸市には、大震災で何があったのかを伝え、その教訓を未来に生かし、次の巨大災害での防災・減災に向けた研究を行う施設があります。「人と防災未来センター」です。震災から7年後の2002年に設立されて以降、延べ1000万人以上が来場しています。「震災の記憶フロア」には被災者からの寄贈品800点以上が展示されています。
このフロアで、震災当時の体験を語り継ぐボランティアの米田実さん(76)です。センターが開設された2002年に、語り部募集の案内を見て応募しました。
■語り部・米田実さん(76)
「そろそろ周りの人は震災を思う気持ちがなくなりつつある。そんな時期だった。」
米田さんは自らの経験を踏まえ、地震が起きた時の万が一の備えについても語っています。
■米田さん
「携帯電話に何をつけているかというと、笛です。生き埋めになって助けてくれる人が来た、でも声が出せなかったから(気づかずに)どこかに行ってしまったことがありました。」
米田さんの話を熱心に聞いていた、防災に興味があるという小学生は。
■小学5年生
「どれぐらい食料を確保したらいいのか、どう生活したらいつ地震が来ても大丈夫なのか、いろんなことを教えてもらいました。」
私たちも必ず備えておくべき身近な災害・防災の知識。展示物やパネルを使った体験はもちろん、科学の視点で体を動かしながら学べる展示も充実しています。映像空間で災害時における最善の行動を選択するクイズに記者が挑戦しました。
■奥村記者
「緊急地震速報が鳴りました。今、料理中でガスコンロに火が付いています。実際に揺れているみたいです。」
家で料理中に地震が発生したという想定です。「A.まずは身の安全を守る」「B.急いで火を止めに行く」記者の選択は。
■奥村記者
「火事になったらダメなので、Bの急いで火を止めに行く。不正解でした。多くのガスは震度5相当で止まるそうです。初めて知りました。」
周りの人たちとも一緒に楽しみながら、防災について学ぶことができます。
■奥村記者
「クイズ5問中、正解はたったの2問でした。」
1月11日にセンター内で開催された震災30年のシンポジウムには、学生や大学教授などおよそ150人が参加しました。震災をきっかけに「環境防災科」という専門的な学科を新設したという、神戸市内の高校の生徒も参加していました。
■兵庫県立舞子高校 環境防災科2年・内林 小都泉さん
「(どうして環境防災科に入った?)小学校と中学校の避難訓練のやり方が全く一緒で、実際に災害が起きた時に自分の命を守れないと思ったので。」
■兵庫県立舞子高校 環境防災科3年・勝部太智さん
「昨年も能登半島の地震があって、今後も南海トラフ地震が待ち受けている中で、(シンポジウムで)自分が話をしたことは今後につながったと思います。」
13日夜、日向灘を震源とする地震が発生し、福岡県・佐賀県でも震度4を観測しました。去年8月以来、2回目となる南海トラフ地震臨時情報が、気象庁から発表されました。
福岡市には神戸市と同様に活断層が確認されていて、ことしは福岡県西方沖地震から20年の節目を迎えます。九州でも身近にある地震の脅威。今、巨大地震が起きたら備えは万全でしょうか。一人一人が今一度、防災への意識を高めていくことが大切です。