【戦後79年】小倉に原爆が落ちていたら私は…「八月九日を忘れるな」平和の尊さ継承の難しさ 北九州市
79年前の8月9日、長崎に投下された原爆の、当初の投下目標だったとされるのが北九州市です。2022年、新しく平和関連施設が完成しましたが、来館者数が伸び悩み、歴史を継承することの難しさに直面しています。
■6歳時に長崎で被爆・池田道明さん(85)
「死んでいる人を見ると、髪の毛はちりちりに燃えてしまっています。目の玉がぐわっと飛び出して、ほっぺたにぶら下がっている。」
6歳の時に長崎で被爆した池田道明さん(85)。12日、北九州市で行なわれた講演会で、みずからの被爆体験を語りました。
市民にとって、長崎原爆は決してひと事ではありません。
79年前の1945年8月9日、長崎に投下された原爆。当時の小倉市が第1目標でしたが、当日の視界が悪かったことから、目標が変更となりました。
■宮原真 記者
「現在、私がいるこの場所は、かつて小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)と呼ばれた、西日本最大級の兵器工場がありました。そして、この辺り一帯は、原子爆弾の投下目標となっていました。」
戦前・戦後の北九州市の歴史を知ることができるのが「平和のまちミュージアム」です。
現在、開催されている企画展では、長崎原爆資料館から借り受けられた写真などが展示されています。
■北九州市平和のまちミュージアム・重信幸彦 館長
「ご年配から小学生まで、『もしここに原爆が落ちていたら私はいません』という言い方を何度も聞きました。」
2022年に完成した施設ですが、今、課題となっているのが来館者の少なさです。
昨年度は2万1000人で、年間目標の5万人の半数にも届きませんでした。
ミュージアムは、平和事業の拠点として役割を果たしながら、多くの人に来てもらうことの難しさを感じています。
■重信 館長
「(来館者が)増えた方がいいなと思います。それはそうです。だけどそう簡単に、ほかの施設と違って、ぞろぞろ来てもらえるような場所ではない。きょうこれをやったから、あす100万人来てくれるわけではない。その辺りは難しい。」
ミュージアムに展示されている、原爆投下1年後に発表された小倉市長の声明文。
「救われた小倉!気の毒な長崎!八月九日を忘れるな!」
その言葉が、戦争の悲惨さを、そして、平和の尊さを、次の世代に引き継ぐことの大切さを私たちに訴えています。