傾斜地の農業を支える「匠の技」 「にし阿波」の傾斜地農業を支える鍛冶職人【徳島】
『フォーカス徳島』では、徳島県の「にし阿波」に暮らす人々を撮り続けている写真家・小倉隆人さんの活動をシリーズでお伝えしています。
今回、小倉さんは傾斜地の農具をつくっている鍛冶職人を訪ねました。
傾斜地の農業を支える「匠の技」を切り取ります。
熱した鉄で農具や刃物を作る鍛冶職人。
今やほとんど見られなくなった匠の技を写真に収めようと、徳島県つるぎ町にやってきたのは...徳島県吉野川市在住の写真家・小倉隆人さん(74歳)です。
小倉さんは東京でフリーのカメラマンとして活動していましたが、9年前に帰郷。
現在は、「にし阿波」の傾斜地に暮らす人々や自然を撮り続けています。
2024年11月末、つるぎ町一宇。
大森豊春さん(83歳)と妻の國子さん(82歳)です。
大森さん夫妻は、一宇の傾斜地でソバ作りなどの農業を営んでいます。
小倉さんは5年前から大森さんのもとを訪れ、カヤを刈り取る作業などを写真に収めてきました。
そんな大森さんのもう一つの顔...それは、鍛冶職人です。
小倉さんは、いつか消えてしまうかもしれない職人の姿を写真に残したいとの想いがありました。
この日、大森さんは古くなった農具を修理していました。
つるぎ町など県西部は山の斜面を利用した傾斜地の畑が多く、平地とは異なる農具が使われています。
土を持ち上げる時に使う「サラエ」と呼ばれる農具、使い込まれ短くなった刃の部分に新たな鉄を足し、伸ばします。
まずは石炭から作られる、「コークス」という燃料で鉄を熱します。
頃合いを見て鉄を取り出し、金床の上で叩いていきます。
リズムよく振り下ろされる金づち、職人の技を小倉さんが切り取ります。
鉄の質が悪い場合など普通の鍛冶仕事では直すのが難しいことも、そんな時は溶接も行います。
若いころは、全国を飛び回り建設現場などで働いていた大森さん。
鍛冶の仕事は、20代のころ刃物づくりが盛んな高知で見よう見まねで覚えたそうです。
40年ほど前、故郷に戻ってからは仕事の傍ら、家で使う道具を自作するようになりました。
時代を経て地元に鍛冶職人がいなくなると、大森さんに依頼が舞い込み始めたといいます。
素早く、そして丁寧に、何回も槌を振り下ろします。
力仕事のため、長時間はできずこの「サラエ」を修理するのに2日ほどかかりました。
大森さんが作る傾斜地の農具は、イベントに出品するとよく売れるそうです。
2023年に喉頭がんのため入院したという大森さん、体の衰えは自分が一番よく知ってます。
それでも、体が動く限りはと、2024年もソバを植え、夫婦で収穫を行いました。
この日の昼食は、遠方からやってきた小倉さんのためにと「そば米汁」でおもてなしです。
自然に寄り添う山での暮らし。
そして、農家が困らないようにと道具を作り続ける大森さんの姿に小倉さんは心を動かされました。
(写真家 小倉隆人さん)
「使ってる道具を直したり、そういう直してること自体がすごいいいことだと思う。この道具がなくなったら、この地域の農業がなかなかできないじゃないですか。使ってる人の畑の状況だとか、そういうものに合わせた直し方をしないといけないから、思いやりを持った仕事をしていかないと成り立たない仕事ですよね」
地域を思う職人の熱い想いが傾斜地の農業を支えています。
今回、小倉さんは傾斜地の農具をつくっている鍛冶職人を訪ねました。
傾斜地の農業を支える「匠の技」を切り取ります。
熱した鉄で農具や刃物を作る鍛冶職人。
今やほとんど見られなくなった匠の技を写真に収めようと、徳島県つるぎ町にやってきたのは...徳島県吉野川市在住の写真家・小倉隆人さん(74歳)です。
小倉さんは東京でフリーのカメラマンとして活動していましたが、9年前に帰郷。
現在は、「にし阿波」の傾斜地に暮らす人々や自然を撮り続けています。
2024年11月末、つるぎ町一宇。
大森豊春さん(83歳)と妻の國子さん(82歳)です。
大森さん夫妻は、一宇の傾斜地でソバ作りなどの農業を営んでいます。
小倉さんは5年前から大森さんのもとを訪れ、カヤを刈り取る作業などを写真に収めてきました。
そんな大森さんのもう一つの顔...それは、鍛冶職人です。
小倉さんは、いつか消えてしまうかもしれない職人の姿を写真に残したいとの想いがありました。
この日、大森さんは古くなった農具を修理していました。
つるぎ町など県西部は山の斜面を利用した傾斜地の畑が多く、平地とは異なる農具が使われています。
土を持ち上げる時に使う「サラエ」と呼ばれる農具、使い込まれ短くなった刃の部分に新たな鉄を足し、伸ばします。
まずは石炭から作られる、「コークス」という燃料で鉄を熱します。
頃合いを見て鉄を取り出し、金床の上で叩いていきます。
リズムよく振り下ろされる金づち、職人の技を小倉さんが切り取ります。
鉄の質が悪い場合など普通の鍛冶仕事では直すのが難しいことも、そんな時は溶接も行います。
若いころは、全国を飛び回り建設現場などで働いていた大森さん。
鍛冶の仕事は、20代のころ刃物づくりが盛んな高知で見よう見まねで覚えたそうです。
40年ほど前、故郷に戻ってからは仕事の傍ら、家で使う道具を自作するようになりました。
時代を経て地元に鍛冶職人がいなくなると、大森さんに依頼が舞い込み始めたといいます。
素早く、そして丁寧に、何回も槌を振り下ろします。
力仕事のため、長時間はできずこの「サラエ」を修理するのに2日ほどかかりました。
大森さんが作る傾斜地の農具は、イベントに出品するとよく売れるそうです。
2023年に喉頭がんのため入院したという大森さん、体の衰えは自分が一番よく知ってます。
それでも、体が動く限りはと、2024年もソバを植え、夫婦で収穫を行いました。
この日の昼食は、遠方からやってきた小倉さんのためにと「そば米汁」でおもてなしです。
自然に寄り添う山での暮らし。
そして、農家が困らないようにと道具を作り続ける大森さんの姿に小倉さんは心を動かされました。
(写真家 小倉隆人さん)
「使ってる道具を直したり、そういう直してること自体がすごいいいことだと思う。この道具がなくなったら、この地域の農業がなかなかできないじゃないですか。使ってる人の畑の状況だとか、そういうものに合わせた直し方をしないといけないから、思いやりを持った仕事をしていかないと成り立たない仕事ですよね」
地域を思う職人の熱い想いが傾斜地の農業を支えています。
最終更新日:2024年12月18日 20:24