「後悔ない毎日を」余命5年~10年宣告 脳腫瘍と闘う元日本代表選手 新たな夢への挑戦
脳腫瘍と闘うビーチサッカー選手が熊本市にいます。中原勇貴さん。3年前に「余命5年から10年」と宣告されました。結婚、そして父になるという転機を迎え、見つけた新たな夢。挑戦の日々を追いました。
ビーチサッカー選手の中原勇貴さん(32)。抱いているのは生後3か月の息子、都禾(いちか)ちゃんです。
■中原勇貴さん
「生まれた時からものすごく可愛かった。とにかくうれしかったし、幸せだったですね」
中原さんが我が子を抱くまでには長い道のりがありました。
熊本のビーチサッカーのプロチームに所属する中原さん。週に6日、練習に励んでいます。中原さんは熊本国府高校サッカー部出身。21歳でビーサッカーに転向し、4度日本一に。日本代表にも選出されました。その後、地元熊本から日本一を目指すべくアヴェルダージ熊本BSに移籍。
急な頭痛…告げられた余命は5年から10年
そして、2021年、それは突然のことでした。
■中原勇貴さん
「一番最初は、急な頭痛だったりとか、走っている時に急に息が上がって動悸が起きてしたりとか。軽い気持ちで病院に行ったのがスタートです」
診断で下された病名は「グリオーマ」。悪性の脳腫瘍でした。告げられた余命は5年から10年。それでも…。
■中原勇貴さん
「意外と長いなと思った。5年、10年あるんだったら、いろいろやれることはいっぱいあるんで。 じゃあもうすぐに行動を起こしたいなっていう気持ちの方が強かった」
のちに二度と経験したくない激痛と語った12時間にも及ぶ手術。言語や運動機能を残した範囲で、腫瘍を最大限取り除きました。
■中原勇貴さん
「ひとりになった時や夜になった時は、ものすごく落ち込んでいる時間もあった」
術後の激しい頭痛や不安との闘い。そんなとき、そばにいたのが、後に妻となる舞香さんでした。
■妻の舞香さん
「どうなるんだろうっていう恐怖もあったけど、 やっぱり最終的にはなんとかどうやって支えていこうかなって」
舞香さんを思い、中原さんが別れを切り出した時もその決意は揺るぎませんでした。
■ 舞香さん
「うーん…少しも離れるとかっていうのが考えられなかったし、今までの人柄も知っているし、その良さも知っているので、どうしても離れるっていうのが考えられなかった」
■中原勇貴さん
「しっかり生きていけるように頑張ろうっていう気持ちになれたので、運命だなと思いました」