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「つらいことがあっても続けて…」ラグビーに魅せられた元少年飛行兵 93歳のラガーマン“最後のワンプレー”

2023年11月6日 18:30
「つらいことがあっても続けて…」ラグビーに魅せられた元少年飛行兵 93歳のラガーマン“最後のワンプレー”
93歳のラガーマン 中野安博さん

50万人の熱気とともに閉幕した「ねんりんピック」。今回の愛媛県代表の最高齢はラグビー競技に出場した93歳!戦争を経て、たどり着いたラグビーの道。93歳のラガーマン、最後のワンプレーです。

ラグビーを続けて80年…目標に向かうチーム最高齢として練習の日々

40歳以上のラグビー愛好家でつくる「愛媛思惑クラブ」。チームの最高齢は、93歳の中野安博さんです。

中野さん:
「足が動かん」
メンバー:
「大丈夫ですか」
中野さん:
「大丈夫なんやけど。足が動かん」

松山工業高校でラグビーに出会った中野さん。国体代表も含めて80年近くラグビーを続けてきました。

中野さん:
「みんなああやって走りよるのを見たら、うらやましい」

シニアラグビーでは年代ごとにパンツの色が決まっています。

“黄金のパンツ”は、90歳以上だけが履くことのできる幻のパンツ。

中野さん:
「『黄金のパンツ』は少ないね。おらんね」

1971年に中野さんらが立ち上げた「思惑クラブ」も、今では大所帯となりました。

Q.元日本代表なんですか?
メンバー:
「はい、一応」
コーチ:
「現日本代表なら大ごとですよ」

メンバーたち:
「先輩に対して言う言葉遣いか」
「わはは」
「それも先輩が立って、座った人間が『違うけー』って」
コーチ:
「こんな感じで和気あいあいと練習中もきつければ自由に座ってもらって」

実は、中野さんら思惑クラブは“ある目標”に向かって追い込みの練習をしていました。

愛媛で開催されるシニアスポーツの祭典「ねんりんピック」です。

コーチ:
「チームの平均年齢がだいたい同じところと試合をするイメージで、愛媛県は2試合。言おうか?メンバー。1本目はね、中野さん」
中野さん:
「はい!」

出場メンバーに選ばれた中野さんですが…。

中野さん:
「あかん、あかん。もう。よいしょ」

足の状態を気にして、途中で練習を切り上げる場面が増えたのです。

お国のために戦った飛行兵時代…その後「チームのため」に戦うラグビーの虜に

中野さん:
「今晩は北海道シチューをやろうと思って玉ねぎ、ジャガイモを夕べ揃えといたんじゃ」

西条市の一軒家に1人暮らしの中野さん。

高校時代は相撲部でした。

中野さん:
「相撲のような一発勝負よりも、負けても転がされてもやり直せる競技をと言った時に、ちょうど先生がラグビーやらんかと言ってね、それっと相撲部の連中がラグビーやり始めた」

以来、人生をかけて熱中したのはラグビーとカメラでした。

中野さん:
「高等学校のころから好きで、一生懸命撮ったのが2000枚か3000枚あるんじゃないかと思う。ここにあるのが全部写真です」

写真の整理など、“終活”の準備をする…のですが。

「なかなかね、私自身はよう捨てんわけですよね。いったんこれもと思って捨てようと思っても、やっぱりまた戻すのがある」

中野さんが唯一肌身離さず持ち歩いている写真があります。

「飛行兵時代の写真はね無いんですよ。家に送っとった2、3枚は残っとるけどね。向こうで持っとった写真は全部焼かされたんですよ、帰るときに。これが当時の写真、飛行兵時代の」

少年飛行兵だった中野さん。特攻で散った先輩や仲間もいました。

Q.帰ってこないという覚悟も?
中野さん:
「一生ね。お国のためって教育されとったから。私らその気持ちが今もあるんよね。ラグビーも自分だけじゃなくて、チームのためっていうのがあるでしょう。そういうことでラグビーが好きになったんかも」

ラグビーを80年近く続けてきた原動力は。

中野さん:
「やっぱり好きじゃったから。それだけじゃ。別にこれでどうしようも、ラグビーを利用しようというのもないわな。好きでやったいうだけや」

地元開催の「ねんりんピック」で“引退”を決意 県選手団最高齢選手として

実は中野さん、地元開催の「ねんりんピック」で引退を考えています。

中野さん:
「ラグビー一緒にやった人とか、自分が指導した工業学校の先生とか、全部先に死んでしもうてね。もう話しに行くやつがおらんなった。だから長生きしすぎたなと思って。ちょうど幕引きにええ時じゃ思って」
Q.後悔はないですか?
「ない。もう十分やりました」

ねんりんピック開会の選手宣誓:
「ここ愛媛から高らかに宣言します」

先月28日に開幕した「ねんりんピック」

アナウンス:
「中野さんは愛媛県選手団最高齢選手」

中野さんは愛媛県選手団を代表して炬火ランナーも務めました。

「ラグビーは人生そのもの」最後のワンプレーで見せたのは“大切にしてきた信条”

最後の試合に臨む中野さん:
「ちょっとみんなと走らせてもらったらそれでええ。大それたことは考えてません」

背番号は「思惑クラブ」に入った順番。

中野さんは14番、3ケタの背番号の選手たちと最後のゲームに臨みます。

“黄金のパンツ”の選手へのタックルは禁止というシニアラグビー。

中野さんにボールが。

「いけーいけー!」

その時!自らボールを落として仲間に譲ったのです。

その理由には、中野さんが大切にしてきた人生の信条があると言います。

「年をとったら出しゃばらず、憎まれ言に泣き言に他人のことを褒めなされ」

出場時間はおよそ5分。

「大丈夫ですか?お疲れでした」
中野さん:
「ありがとう」

最後のワンプレーが終わりました。

中野さん:
「(トライを)やらせてもらうつもりやったらしいんやけど、私がボール置いたけん。あれが限界ですよ。はい。ありがとう」

戦後、1人の元飛行隊の少年をとりこにしたラグビー。

ただひたすら続けることで、それが人生そのものになったと言います。

93歳の中野さんが後輩に贈る最後のメッセージは。

中野さん:
「つらいことがあっても続けてほしいと。それだけですね。続けてほしいだけ」

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