外交記録文書 北方領土“2島プラスα論”
外務省は19日、外交記録文書を公開した。日本とロシアの北方領土問題の解決策として取り沙汰される「2島プラスアルファ」論が1960年頃にも日本国内にあったことがわかった。
これは、1960年1月、当時の岸信介首相がアメリカのアイゼンハワー大統領との会談に臨むにあたって、外務省が作成した資料に含まれていたもの。
北方領土問題をめぐり平和条約交渉が行き詰まる中、「最近わが国内に歯舞、色丹、プラスアルファをもって本問題を解決し、平和条約を締結すべきであるとの議論が一部にみられる」と記載されている。
「2島プラスアルファ」論の代表例として、北海道根室市の漁業者の声を踏まえた水産業団体の政府への要望を挙げ、要望の真意は「ソ連側にわが国の国後、択捉に対する潜在主義を認めさせ、あるいは近海安全操業に対する保障をとりつければ歯舞、色丹の返還をもって手を打つことにあるとみられる」と分析している。
また、外交文書では安倍首相の祖父にあたる岸信介首相が1957年5月にマッカーサー駐日米国大使に対し、「自分は憲法改正に努力する覚悟を有する」と述べ、安倍首相と同じく憲法改正への意欲を示していたことも明らかになった。