【解説】スーダン・日本人退避オペレーションの「裏側」 戦闘下の「長距離避難」…なぜ退避は“成功”したのか
岸田首相は、情勢が悪化しているアフリカ・スーダンの首都ハルツームから、希望していた全ての日本人の退避が完了したと明らかにしました。戦闘が発生し“突如孤立”した日本人を、政府はどのように救出したのか。緊迫の”退避オペレーション”の裏側が取材で明らかになってきました。
■最大の困難は?「首都の空港、戦闘で近づけず」
ある外務省幹部は25日、「ようやくオペレーションが終わった」と安堵(あんど)の表情を浮かべました。今回のミッションの最大の壁は、戦闘が激しく自衛隊機も入れない首都ハルツームから、自衛隊の輸送機が入れる東部の拠点まで、どうやって日本人を安全に移動させるかでした。首都から東部の拠点までは直線距離で約700キロあり、今回の移動時間は実に30時間以上に及んだといいます。そこには3つの困難がありました。
■首都ハルツーム「脱出」の3つの困難とは
【困難1】…「避難バス」への移動
最初の難関は、どうやって「避難バス」に乗せるかでした。松野官房長官は、ハルツーム市内の緊迫した情勢について「現地では、市街戦が行われているため、外出は一切できない」と述べていました。日本政府は「日本人を、現地の日本大使館など1か所に集めることは危険」との判断から、近隣の2~3軒でまとまってもらい、国連の避難バスでピックアップしていく戦略をとったといいます。
【困難2】…「長時間移動」の安全確保
次の課題は、バスに乗った日本人の「長時間移動」の安全確保でした。戦闘下の長距離移動が“無事完了”した背景には、国連とアラブ首長国連邦、韓国などの協力がありました。およそ40人の日本人が国連の用意した避難バスに乗ったほか、数人がアラブ首長国連邦と韓国の車両で東部の拠点まで移動しました。それぞれの車両にはセキュリティーガードが付いていて、安全を確保したというのです。
【困難3】…“孤立した”日本人の救出劇
戦闘が激化する中、迎えの「避難バス」に乗れなかった日本人も発生しました。政府関係者によりますと「危険で家から出られず孤立している日本人がいた」といいます。「避難バス」に乗れず、“孤立”した数人の日本人は現地の大使館員が個別に自宅まで迎えに行って救出したといいます。
では、今回のオペレーションがうまくいった要因は何だったのでしょうか?
■オペレーションを“成功”に導いた2つの要因
【成功の要因1】…周辺国に「自衛隊拠点」があった
ある政府関係者は、オペレーション成功の要因として「自衛隊の拠点がスーダンの周辺国であるジブチにあり、ジブチを拠点として対応が出来た事が大きい」と振り返りました。
今回、自衛隊の輸送機が使用したスーダン東部の拠点には、各国の退避希望者が集まっていました。空港は各国の“退避オペレーション”で混雑し、当初2機の自衛隊の輸送機で退避希望者を迎える予定が、1機しか着陸できず、1機は急遽ジブチに引き返すなど、オペレーションの変更にも迫られたといいます。ある政府関係者は「周辺に自衛隊の拠点があったことによって、現地の状況に合わせて機動的に動けた」と評価しました。
【成功の要因2】…初動対応の早さ
今回のオペレーションをめぐって、政府は、2年前のアフガニスタンで実施した日本人の輸送で「対応が後手後手に回った」と批判を受けた苦い経験への反省をいかしました。ある防衛省関係者は、今回は「先遣隊による情報収集や輸送機の派遣などの初動の対応が早かった」と振り返りました。
元自衛隊統合幕僚長・河野克俊氏も「ジブチに拠点があったことはものすごく大きな利点だったが、とにかく早めに自衛隊をジブチまで前進させて、タイミングをはかっていたことをみても、アフガニスタンの教訓がいかされている」と評価しました。
■「海外で軍事的な情報を取る能力がない」という課題
一方、笹川平和財団の小原凡司上席フェローは「日本はアメリカやイギリスなどよりワンテンポ遅れた」と指摘。その要因として「日本の自衛隊は、海外に出て活動することが想定されていないため、『海外で軍事的な情報を取る能力』を持っていないことが影響したのでは」と話しています。その上で、今回のオペレーションについて「どのタイミング、どのルートで移動した方が良いなどの軍事的情報を日本が単独で得ることは難しかったのでは」と指摘しました。
松野官房長官によりますと、スーダンには、南部の国境エリアに退避を希望している日本人があとひとり残っているほか、退避を希望していない日本人が数人いるといいます。政府は、ジブチに臨時事務所を開設し対応にあたるということです。