3・11大震災シリーズ 悔い~震災12年 あなたを想うとき②~
12年前、家族3人を津波でなくした岩手県大槌町の男性。あの日、家族になぜ、「早く逃げろ」と強く言わなかったのか…。今でも心に残る“悔い”。再建した家には妻が大好きだった「わすれな草」のステンドグラス。そして、思い出のひな人形に妻の面影を重ねながら、いまを生きる。
煙山佳成さん
「『お前たちは逃げろよ』っていう、その一声がでなかったっていうのは、悔やまれるもんね」
家族3人を津波でなくした、煙山佳成さん(84)。独り暮らしにも随分、慣れました。
煙山佳成さん
「いただきます」
夕食の時間、仏間の障子を開けるようにしています。家族と食卓を囲んでいる気分になれるから。
煙山佳成さん
「何も音がないところで食べているっていうのは、本当にむなしいような感じがするな。家族がいるってことは本当に大事なことですね。11年、続けてきたんだもんな…」
岩手県大槌町。当時の町民の約1割にあたる1200人あまりが津波の犠牲になりました。かさ上げ地に再建した家で暮らし始めてもうじき5年。この家の自慢は、吹き抜けの2階部分にしつらえたステンドグラス。妻・昌子さん(当時73)が大好きだった「わすれな草」をあしらいました。
煙山佳成さん
「『あー、これ見せたら喜ぶだろうな』って」
いつもスケッチブックを傍らに置き、絵を描いていた妻。優しい性格の息子・隆之さん(当時40)は、寝たきりになったばあちゃん・タマさん(当時92)の世話を、熱心にしてくれました。
震災前、こんな夢を見ました。
煙山佳成さん
「前の年の10月ごろから2月くらいにかけて、同じ夢を3回見たのね。それは湾内の水が無くなるくらいの、要するに津波なんですよ。人が小さく、こう遠くにね、走ってるとかさ。それを、上から見てる夢なんですよね。なんで、それを家族に伝えなかったか…」
いまでも心に残る悔い。
震災から2年がたった2013年3月11日。
「黙とう」
遺族代表として、追悼の言葉を述べました。
煙山佳成さん
「『早く行って』。それが、妻からの最後の言葉となりました。身支度をして『頼むぞ』と言い残した先に、寝たきりのばあちゃんに寄り添いながら、うなずく長男の姿がありました。走りながら避難する住民たちを横目に、後悔の念が押し寄せる。なぜ、『津波が来る』『早く逃げろ』と強く言ってこなかったのか。戻るべきだったのか。今でも悔いが残ります」
消防団長だった煙山さん。消防団の仲間14人も津波の犠牲に…。
煙山佳成さん
「車の中でね、大声を張り上げて騒いだことあるよ。その悔しさとね、残念っていうかね、『なんでそうなるのか』ってことで。張り上げて(車で)走ったことがあったよな。うん。まぁ、それが本心かもしれないな…。すみません…。」
仮設の公民館には、妻が幼い頃、おばから譲り受け、大事にしていた古いひな人形。その写真が飾られていました。震災前、1体1体、カメラで撮っていた「ひな人形」。
煙山佳成さん
「たまたま色々なものを探しながら行ってて。ちょうど何気なしに止まって、足元を見たら袋があったの。『なんの袋かな』と思ったら、これが入ってたの。これは、ちょっとびっくりした。もう、『そこに行け』って言われたようなもんだもの。これは、今でも不思議でなんねえ。まさに"導かれた"っていうことがあるねえ」
切れ長の目が、ありし日の妻に重なります。
煙山佳成さん
「自分をうんと責めている訳じゃないんだけども、なんか、そういう『ごめんね』っていうか、そういうのが中々、抜けないんですよね。一生抜けないんでないですか。それは」
いまもあなたを想う…
2023年3月5日放送 NNNドキュメント’23『3・11大震災シリーズ(102) 悔い~震災12年 あなたを想うとき~』をダイジェスト版にしました。
煙山佳成さん
「『お前たちは逃げろよ』っていう、その一声がでなかったっていうのは、悔やまれるもんね」
家族3人を津波でなくした、煙山佳成さん(84)。独り暮らしにも随分、慣れました。
煙山佳成さん
「いただきます」
夕食の時間、仏間の障子を開けるようにしています。家族と食卓を囲んでいる気分になれるから。
煙山佳成さん
「何も音がないところで食べているっていうのは、本当にむなしいような感じがするな。家族がいるってことは本当に大事なことですね。11年、続けてきたんだもんな…」
岩手県大槌町。当時の町民の約1割にあたる1200人あまりが津波の犠牲になりました。かさ上げ地に再建した家で暮らし始めてもうじき5年。この家の自慢は、吹き抜けの2階部分にしつらえたステンドグラス。妻・昌子さん(当時73)が大好きだった「わすれな草」をあしらいました。
煙山佳成さん
「『あー、これ見せたら喜ぶだろうな』って」
いつもスケッチブックを傍らに置き、絵を描いていた妻。優しい性格の息子・隆之さん(当時40)は、寝たきりになったばあちゃん・タマさん(当時92)の世話を、熱心にしてくれました。
震災前、こんな夢を見ました。
煙山佳成さん
「前の年の10月ごろから2月くらいにかけて、同じ夢を3回見たのね。それは湾内の水が無くなるくらいの、要するに津波なんですよ。人が小さく、こう遠くにね、走ってるとかさ。それを、上から見てる夢なんですよね。なんで、それを家族に伝えなかったか…」
いまでも心に残る悔い。
震災から2年がたった2013年3月11日。
「黙とう」
遺族代表として、追悼の言葉を述べました。
煙山佳成さん
「『早く行って』。それが、妻からの最後の言葉となりました。身支度をして『頼むぞ』と言い残した先に、寝たきりのばあちゃんに寄り添いながら、うなずく長男の姿がありました。走りながら避難する住民たちを横目に、後悔の念が押し寄せる。なぜ、『津波が来る』『早く逃げろ』と強く言ってこなかったのか。戻るべきだったのか。今でも悔いが残ります」
消防団長だった煙山さん。消防団の仲間14人も津波の犠牲に…。
煙山佳成さん
「車の中でね、大声を張り上げて騒いだことあるよ。その悔しさとね、残念っていうかね、『なんでそうなるのか』ってことで。張り上げて(車で)走ったことがあったよな。うん。まぁ、それが本心かもしれないな…。すみません…。」
仮設の公民館には、妻が幼い頃、おばから譲り受け、大事にしていた古いひな人形。その写真が飾られていました。震災前、1体1体、カメラで撮っていた「ひな人形」。
煙山佳成さん
「たまたま色々なものを探しながら行ってて。ちょうど何気なしに止まって、足元を見たら袋があったの。『なんの袋かな』と思ったら、これが入ってたの。これは、ちょっとびっくりした。もう、『そこに行け』って言われたようなもんだもの。これは、今でも不思議でなんねえ。まさに"導かれた"っていうことがあるねえ」
切れ長の目が、ありし日の妻に重なります。
煙山佳成さん
「自分をうんと責めている訳じゃないんだけども、なんか、そういう『ごめんね』っていうか、そういうのが中々、抜けないんですよね。一生抜けないんでないですか。それは」
いまもあなたを想う…
2023年3月5日放送 NNNドキュメント’23『3・11大震災シリーズ(102) 悔い~震災12年 あなたを想うとき~』をダイジェスト版にしました。