自宅戻れず11年「人生を失った」 「福島第一原発事故」国の責任は?あす最高裁が初判断
多くの人々のふるさとを奪った福島第一原発の事故に、国の責任はあるのでしょうか。住民らが損害賠償を求めた4つの裁判で、最高裁は16日、国の責任について初めて判断を示します。11年たった今も自宅に戻れない女性を取材しました。失ったものは、自宅だけではありませんでした。
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5月29日、私たちが向かったのは、福島県の「帰還困難区域」です。道路脇には、除染作業によって生まれた放射性物質を含む廃棄物の山がありました。いまだに住民の帰還が許されていないエリアです。
車を走らせると見えてきたのは、1軒の美容室です。看板は剝がれ落ち、室内は屋根が崩れ落ちてしまっています。
震災前、この美容室を切り盛りしていたのは、深谷敬子さん(77)です。子育てが落ち着いた時、夢だった自分の美容室を自宅の横に建てました。
深谷敬子さん(77)
「みんな思い出深いですよ。結構、お客さんいたんですよ。楽しくわいわいやってたんですよね」
しかし、2011年3月に発生した原発事故で、人生が一変。美容室も自宅も、戻ることができない場所になってしまいました。
深谷敬子さん(77)
「今まで生きてきた証しね。そういうのは全部なくなりました」
5月29日、私たちは許可を得て、福島県富岡町にある深谷さんの自宅を訪ねました。
記者
「中が荒らされたようになっていますね」
タンスは倒れ、床には土や動物のふんがありました。
記者
「台所ですかね。物が散乱したままになっています」
避難した後に数回自宅に戻ったという深谷さんが目にしたのは――
深谷敬子さん(77)
「店のなかを見ても、うちのなかを見ても、あんな愛着をもって、ほっとしたものが、何もそういうのがないんですよ。なんていうのかな、もう絶望でしたね」
引き出しは開けられ、夫の仏壇がずらされているなど、泥棒に入られたような形跡もあったといいます。
深谷敬子さん(77)
「見たときに、仏壇の前で、わーわー泣きました、私。老後死ぬまで暮らすつもりだったのが、なんで、こんな狂っちゃったんだろうって」
帰る場所だけでなく、思い出や地域のつながりも失ったという深谷さん。「自分と同じ思いをする人を二度と出したくない」との思いで、国と東電の責任を問う裁判に参加しました。
1審・2審は共に国と東電に賠償を命じる判決を言い渡し、東電の責任は既に確定しました。
国の責任をめぐり、最終的な判断の場は最高裁に移りました。今年4月には最高裁の法廷で、深谷さんは3500人あまりの原告を代表して、11年間のやりきれない思いを訴えました。
いよいよ17日に判決が言い渡されます。原発事故に、国の責任は認められるのか。判決は、全国の他の避難者の裁判にも大きな影響を及ぼす可能性があります。
深谷敬子さん(77)
「国の責任認めてもらって、そうですよねって言ってもらえれば、違った気持ちになるかなと思うんですけど。我々の人生は取り戻すことができないんですよね。人生そのものだと思います。失ったものは」