普天間返還 日米合意20年も道筋見えず…
沖縄のアメリカ軍普天間基地の全面返還に日米が合意してから20年となった。基地の移設先をめぐって政府と沖縄県の溝は埋まらず、普天間返還への道筋は不透明なままとなっている。
20年前の4月12日、当時の橋本首相とモンデール駐日大使が、普天間基地の全面返還に合意した。しかし、この時につけられた「沖縄県内への移設」という条件が、結果としてこの20年、普天間返還の実現を阻んできた。
県民の反発は根強く、辺野古移設反対を掲げる翁長知事が2014年に就任して以降は、移設工事をめぐって国と県が裁判で争う状況になった。裁判は先月、和解したが、辺野古移設断念を求める沖縄県と辺野古が唯一の解決策だとする政府との対立は続いている。
翁長知事(8日)「政府へは普天間飛行場の固定化を絶対に避け、積極的に県外移設に取り組むよう強く要望いたします」
菅官房長官(12日)「日米同盟の抑止力維持と普天間飛行場の危険除去をあわせた時に辺野古移設が唯一の解決策だと考えている」
返還合意から20年。騒音や危険と隣り合わせの住民の生活を置き去りにして、時間だけが過ぎていく状況を見直すべき時に来ている。