被爆者サーロー節子さん(91)「核なき世界への歩みを」…“被爆地サミット”首脳への期待
19日から始まる広島サミット。その広島に、世界で核廃絶を訴えてきたカナダ在住の被爆者・サーロー節子さん(91)が里帰りしています。14日には、各国の首脳も訪れる予定の原爆資料館を訪れました。首脳に寄せる期待、そして若者に伝えたい思いとは。
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G7サミットの準備が進む広島市。先週金曜日、カナダ在住の被爆者サーロー節子さんが里帰りしました。
――お帰りなさいませ
サーロー節子さん(91)
「センキュー。(車いすを押しているのは)息子です、二男です」
付き添いは息子のアンドリューさん(61)。
サーロー節子さん(91)
「この辺りは変わってますね」
78年前のあの日、サーローさんは広島駅のすぐ近くにいました。
サーロー節子さん(91)
「アンディ、私はあの丘に逃げ込んだの」
サーローさんの二男 アンドリューさん(61)
「そうなの?」
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当時サーローさんは13歳。学徒動員のため、同級生約30人と陸軍の建物にいたところ被爆しました。
母校の広島女学院大学で、その体験を語りました。
サーロー節子さん(91)
「原子爆弾の閃光(せんこう)を目にし、爆風で体が空中に舞い上がったのを記憶しております。崩壊した建物の下敷きになり、身動きのできない状態にあることがわかりましたが、軍人さんの声に導かれて、隙間から差し込む日の光に向け て、ガレキの中からはい出ることができました」
九死に一生を得たサーローさん。しかし級友のほとんどは、下敷きのまま火災で焼かれ、姉や幼い甥がひどいヤケドで苦しみ亡くなるのを目の当たりにしました。それ以来、サーローさんは「なぜ自分が生き残ったのか」を考え続けました。
戦後、サーローさんはアメリカの大学に留学。結婚しカナダに移り住みますが、核兵器に対する関心の低さに驚き、生き残った自分がなすべき事に気がついたといいます。
サーロー節子さん(91)
「われわれ(被爆者は)生き続けなきゃいけないんだ、生かされたんだと。正直にね、体験したことを皆さんとね、共有すべきだって。『語り続けるんだ』そういう信念に到着したわけですね」
亡くなった人たちの声なき声を伝える。
サーロー節子さん(91)
「核戦争が起きれば、何百万人の命が奪われるのです」
様々な場所で核兵器廃絶を訴えました。2017年には国連で「核兵器禁止条約」が採択され、長年の活動が実を結びました。
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しかし国際情勢は今、混迷を極め、核兵器廃絶への道のりは見通しのきかない状況に陥っています。
こうしたなか日本が初めて被爆地で開催する「G7サミット」。岸田総理はサミットに合わせ、各国の首脳を原爆資料館に案内する予定です。
14日、サーローさんは初めてアンドリューさんと一緒に資料館を訪れました。様々な資料が伝える被爆者の苦痛や絶望。
サーロー節子さんが涙をぬぐう姿も見られました。見終わったサーローさんは…
サーロー節子さん(91)
「深呼吸しなきゃいけないほど(つらい)」
――(首脳たちは)この展示を見ると思うんですけど、何を感じて欲しいですか?
サーロー節子さん(91)
「人間が苦しんで亡くなったかっていうことを実感してもらいたいわね。あれを目に焼き付けて持って帰ってほしいわ。やはり我々みんな人間ですもの。政治的な決断をする時とか、こういう感情的なもの非常に大切だと思うんですね」
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現在91歳のサーローさん。母校での講演の最後、集まった人たちにこう呼びかけました。
サーロー節子さん(91)
「被爆者に会い、その記憶と思いを受け継いでください。何年にわたって、核の被害者は『非核による平和』というトーチを掲げてきました。このトーチを受け継ぎ、全世界でトーチの光が見えるよう、高く掲げて欲しいと思います」
サーローさんは「思いを受け継ぎ、核なき世界への歩みを進めてほしい」と願っています。