倉本聰氏語る 人生の終わりとの向き合い方
ニュースのポイントをコンパクトにまとめた「深層NEWS ここにフォーカス」。脚本家の倉本聰さんに、人生の終わりとの向き合い方について聞いた。
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一番、理想は(自宅の)裏が山ですから、森の中で朽ちて死んで、肉をクマとかキツネとかに食われて骨を微生物が食っていって、完全に骨が土に戻った時が自分の本当に死んだ時という考え方です。
昔は自分の葬式の一部始終を天井裏の節穴から覗(のぞ)きたいという、はかない夢があった。誰がいくら香典を包んだとか、誰がウソ泣きしたとか、全部わかるじゃないですか。それで自分の価値を見極め、往生しようと思っていた。
だけどある日ふと考えたのは、僕を憎んでいると思っているやつが来て、本当に泣いてくれた。それを見て心揺すられて、「あいつが来て泣いてるよ」「本当だね」と言ってくれる人がここにいればいい。だけどそれがいない状態、たったひとりで。それが何とむなしいものだろうと思った。
生きている間は(他の人と)結び付くべき。農村の“結”という形を含めて、みんな共同体だから。
だけど死ぬ時は結局ひとりなんじゃない。死ぬ時の苦しみを「ちょっと分けて」と言えない。「半分受け持って」というわけにいかない。死ぬのは、苦しむのは、ひとりだから。