天皇陛下の青春の地 英オックスフォード留学【皇室a Moment】
■オックスフォードの学生になったと認められた自転車
――1つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。きょうの瞬間はこちらです。
――天皇陛下が自転車に乗られていますね。珍しい場面ですね。
イギリスのオックスフォード大学に留学中の1シーンです。陛下は当時25歳。「浩宮」と呼ばれていました。オックスフォードでは自転車が必需品で、陛下が初めて乗られた時は「君もこれで本当のオックスフォードの学生になったね」と友人から言われたそうです。
――陛下が颯爽と自転車で駆け抜けられる姿というのは、なかなか見られないですね。そのイギリスへ、天皇皇后両陛下が訪問されるんですね。
はい。訪問は6月下旬、およそ1週間の日程で準備が進められています。
オックスフォードは、陛下だけでなく皇后さまも留学された“思い出の地”で、日英親善にとって“象徴的な街”と言えます。このオックスフォードへの訪問も検討されています。
――きょうは天皇陛下の青春の地、オックスフォードへの留学を振り返ります。
■陛下の青春記『テムズとともに』
――陛下は本を出されているんですか?
はい。将来の天皇が“1人称”で体験を書かれた珍しい本です。青春のみずみずしい体験が、落ち着いたタッチで、ユーモラスに書かれています。
――「青春の体験」ということは、いつごろ留学されていたんですか?
こちらは入学式の映像です。陛下は1983(昭和58)年6月から2年4か月、23歳から25歳にかけてイギリスに留学されました。学習院大学を卒業し、大学院に進んで1年後でした。オックスフォード大学で学んだのは2年間ですが、入学前に英語研修のためのホームステイが3か月ほどあり、全体で2年4か月になっています。
――留学の狙いはどんなところにあったのでしょうか?
出発前の記者会見で次のように話されています。
天皇陛下:「広く世界に学ぶということに大きな意義を見出しています。英国修学中は、英国はもとよりヨーロッパの各地を旅行して多くの方々と多くの場を通じて接触して、ヨーロッパの歴史、文化に触れ、あわせてヨーロッパという離れたところから日本を見つめてみたいと思っています」
日本を外から見ること、イギリスやヨーロッパの王室メンバーと交流して将来の参考にという“狙い”もありました。
■女優のポスターも張った寮の自室
――内からも外からも見るということは大切ですね。オックスフォードでは、どのような暮らしをされていたんですか?
陛下が窓から顔を出されているのが入学された「マートン・コレッジ」の寮です。陛下の部屋は3階の正面、“とんがり屋根”の下です。8畳ほどの書斎と寝室、そして専用の浴室がありました。「コレッジ」は様々な専攻の学生たちが生活を共にします。当時、オックスフォードには35のコレッジがあり、それらの集まりがオックスフォード大学です。
部屋には、陛下が留学中の旅行で求めたお土産のスプーンがたくさん飾られ、好きだったアメリカの名女優ジェーン・フォンダなどのポスターも張られていました。
――女優さんのポスターですか?
はい。分かりにくいんですがその上にブルック・シールズのポスターも見えます。
――このコルクボードの右側でしょうか? 他にもいろんなものを陛下は飾られていたんですね。スプーンの数もすごくたくさんありますね。
当時、スプーンは海外旅行のお土産の定番で、ロンドンとかマドリードとか銘板が貼られていて記念の品だったんです。それを飾って、思い出を大切にされていたと思います。
――いろんなところに回られたというのが、この数から分かりますね。
写真が画びょうで丁寧に張られていて、陛下のご性格もにじんでいると思います。
――確かにとても几帳面に。スプーンもとても丁寧に並べられていますし。画びょうもコルクボードをしっかりはさんで張っているというのは、次に使われる方への配慮も感じます。
そうですね。このポスターについて陛下はご自身で語られています。
記者:「あれはジェーン・フォンダとブルック・シールズ?」
陛下:「はい、そうです。入りましたときは、まったく壁に何もかけてなかったわけですから、自分で絵を買ってきたりとか、花を植物を買ってきたりとか、そういうことで自分の部屋を装飾するという、そういう楽しみもこの寮生活の中にはありました。(ジェーン・フォンダは)こちらに来てから映画を見まして、とてもいいと思いました」
――陛下はご自身の好きなものに囲まれて学生生活を送られていたんですね。
◾️学生たちが親密、食事がおいしい――マートンが選ばれた4つの理由
留学の準備については、当時、駐英大使だった平原毅さんが著書に書いています。1年ほど前から準備が進められ、留学先をオックスフォード大学に決めたものの、どこのコレッジにするかはイギリスの外務大臣に相談したそうです。外務大臣は「将来の天皇になる方の勉学の地に英国を選んでくださったことに感謝する」と喜んで引き受け、マートン・コレッジが推薦されました。その理由が4つあったそうです。
①13世紀に開設された最も古いコレッジのひとつであること
②寝泊まりする学生が150人ほどと小ぶりで、学生や教授との関係が親密であること
③日本人学生が入寮したことがないこと
④これが最も大事と思いますが、「まずい」と言われるイギリスの食事にあって、学生街は特に「まずい」そうで、マートンの食堂は「おいしい」と言われていること
この4つが理由だったそうです。
――さまざまな観点から、陛下が充実した生活を送られるように考えられたんですね。
こちらが、そのマートン・コレッジの食堂です。
――歴史が感じられる建物で、少し「ハリー・ポッター」のような世界観もありますね。
実際、映画はオックスフォードの別のコレッジの食堂がモデルになっています。陛下はマートンの食堂を毎日のように利用し、本に「おいしいと思う」と書かれています。
――良かったですね。お口にも合ったと知って安心しました。
推薦の理由、まさにその通りということですね。
――そして、学生生活にとって大事な勉強は、どのようにされたのでしょうか?
指導教授から、毎週のように小論文が課され、週に3冊、専門書の論文を読んでまとめ、1対1で指導教授からいろいろ指摘を受け、次の宿題が出て、また論文を読んでまとめて、という日々でした。講義もあって、最初は英語がなかなか理解できず、録音して復習されていたそうです。研究テーマは「18世紀のテムズ川の物流」。どのような物資が船で行き来していたかの考察で、各地の図書館や公文書館などで史料を集められました。
映像にカードが映っていますが、古い史料はコピーが許されず、ほこりにまみれながらカードに書き写す地道な作業だったようです。
■洗濯機をあふれさせ……寮生活での陛下の“失敗談”
――本当に地道な努力を重ねられたんですね。失敗などもあったんでしょうか?
それもご自分で話されています。
天皇陛下:「オックスフォードに来まして、生まれて初めて寮生活をしてみたわけです。最初慣れなかったものですから、いろいろ失敗したこともありましたけれども、洗濯機の中にものを多く入れ過ぎてそれがあふれてしまったこと、いろいろ寮生活については思い出が尽きないわけですけれども」
――洗濯機があふれたというのはどういうことですか?
コインランドリーに洗濯物を詰め込み過ぎ、取りに行ってみると泡があふれ出していて、床が泡まみれになっていたという失敗です。
アイロンかけも自分でされていました。
こちらは洋服を買いに行かれる場面です。日常生活に必要なノートや飲み物、ワインなどは自ら買い出しに行かれていました。財布を持ち、支払いにはクレジットカードも使われました。フィルムの現像をよく頼んだ写真店に顔を覚えられ、お茶会に飛び入りで参加したこともあったそうです。
――いろんなことをご自身でされて、私たちとかなり近い生活だったんですね。
自分で出来ることは何でもするという、そういう気構えでいらっしゃったようですね。
さらにパブをはしごしてビールを楽しむイギリスならではの文化も堪能されました。初めてディスコに行ったり、映画館で「007」を観たり。友だちを部屋に招いて、日本酒をコーヒーメーカーでお燗にしてもてなされたりもしています。
◾️“デンキ”と呼ばれたり、傘を盗まれたり……
ちょっと笑ってしまうのが、陛下が「しまったと思った時には後の祭り」だったと綴られているエピソードです。友人から「殿下」という敬称の「Your Highness」の日本語を聞かれて「殿下」と教えた時、天井の電灯を指して「これは“デンカ”ではなく、“デンキ”だから間違えないように」と伝えたところ、友人はおもしろがって陛下を“デンキ”と呼んだそうです。
――“デンキさん”と呼ばれてしまったんですね。
また、雨の日、図書館の傘立てで愛用の傘を盗まれ、激しい雨の中を10分近くずぶ濡れになって走って帰り、風呂に直行されたこともあったそうです。
――日本では陛下の傘が盗まれるということはまず起こらないことですよね。
傘立てにさすということが、まずないでしょう。
■カルテット、ボート、登山……様々なことに取り組んだ2年間
陛下は、留学生活をこう振り返られています。
天皇陛下:「私はオックスフォードでの学生生活を大いに楽しみました。オックスフォード大学が与えてくれた比類ない豊かな機会を、この先もずっと大事にしていきます」
陛下は日本からビオラを持参して仲間とカルテットを組んだり、オーケストラに参加されたりしました。
またテニスやスカッシュを友人と楽しみ、「テムズ川で漕ぎたい」と、ボート部の主将に頼んで漕がせてもらったこともありました。
さらにイギリス各地の名峰に登り、冬はスキーも楽しまれました。
『テムズとともに』には、「それにしても我ながらオックスフォード留学中、実に様々なことに取り組んだものである」と書かれていますが、本当に2年間でよくぞここまでいろんなことを、と驚くほどの体験をされています。
――本当に充実された学生生活で。はじめに「様々な国の文化を学びたい」とおっしゃってましたが、まさに有言実行ですね。
◾️いっそこのまま時間が止まってくれたら――赤裸々な胸の内も
『テムズとともに』には英国を離れる時の胸の内が赤裸々に書かれています。
――こちらです。
「再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう」
――本当に大切な時間だからこそ、過ぎていく切なさみたいなものも感じますね。
◾️留学で得た姿勢「自分で考え、決定し、行動に移す」
そうですね、「時間よとまれ」という切なさを感じますね。帰国後の記者会見でこのように話されています。
天皇陛下:「特にこれはオックスフォードの2年間のコレッジでの生活の結果だと思いますけれども、自分でものを考え自分で決定をし、そして自分で行動に移すというそういったことができるようになったんではないかなと、そういうふうに思います」
皇室のあり方を聞かれて「一番必要なことは、国民とともにある皇室、国民の中に入っていく皇室であることだと考えます」と明快に答えられたのもこの頃です。上皇さまは当時「深みを増した」と話されていますが、陛下は留学を通して大きく大きく成長されたのだと思います。
■“第2の故郷”お2人でオックスフォード訪問も
――陛下にとって青春の地イギリスがいかに特別な存在かということがわかりました。来月、オックスフォードを訪問されるとなると、留学以来になりますか?
いいえ。1986(昭和61)年、1991(平成3)年、2001(平成13)年に行かれています。それでも陛下にとっては23年ぶり、皇后さまと一緒は初めてになります。
こちらは1991年9月、日英交流行事の折にオックスフォード大学を再び訪問された時の様子です。
――黒の帽子に赤いガウン。珍しい装いですね。
この時、陛下はオックスフォード大学から名誉法学博士号を授与されました。
私も現地で取材していましたが、陛下がうれしさあふれる表情だったことをよく覚えています。その時に、オックスフォードは“日英友好の象徴”ではないかと思ったものです。
このイギリス訪問は、もともとは、留学中、温かな心配りをしてくれたエリザベス女王から即位後最初の公式訪問として招待されたものでした。
その女王が亡くなって葬儀に駆け付けられたあと、イギリスの代替わりの行事があってようやく実現します。
『テムズとともに』には「遠くない将来、同じオックスフォード大学で学んだ雅子とともに、イギリスの地を再び訪れることができることを願っている」という一節があります。
陛下が“第二の故郷”と言われるイギリス・オックスフォードですから、思い出の地への訪問がさらなる友好親善につながるといいなと思います。
――天皇皇后両陛下お二人でイギリスを訪問されるというのは、どんな様子が見られるのか、とても楽しみです。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)