上皇さま90歳 「平成のお言葉」を振り返る~被災者、平和、社会問題、家庭への思い【皇室 a Moment】
■上皇さま「平成のお言葉」 象徴として“国民と苦楽を共に”
――井上さん、こちらは上皇さまのビデオメッセージですね。
はい。2011年の東日本大震災の5日後、上皇さまは国民に向けて語りかけられました。
上皇さま:「この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています」「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」
メッセージはおよそ5分、収録から1時間半後にテレビ各局で放送されました。天皇が災害に際して思いを映像を通して語るのは初めてのことでした。
――震災直後の不安な中で、このお言葉に励まされたという方も多いのではないでしょうか。
その上皇さまは、先月23日、卒寿、90歳の誕生日を迎えられました。きょうは卒寿を記念し、改めて上皇さまの「平成のお言葉」を振り返ります。
――井上さん、上皇さまは様々な場面でお言葉を述べられてきましたね。
はい、記者会見や行事でさまざまなメッセージを発し、国民と苦楽を共にされてきました。まずは、「象徴天皇の在り方」について語られた場面から振り返ります。
●1990(平成2)年 即位礼正殿の儀
上皇さま:「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い……」
●1999(平成11)年 即位10年に際しての記者会見
上皇さま:「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めであると……」
●2005(平成17)年 天皇誕生日会見
上皇さま:「天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが、皇室の在り方として望ましいということであり……」
●2011(平成23)年 東日本大震災に際してのビデオメッセージ
上皇さま:「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」
●2016(平成28)年 “退位をめぐるお気持ち”表明
上皇さま:「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
――井上さん、印象に残っているお言葉はありますか?
「国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく」というお言葉です。被災地のお見舞いは「平成流」と言われますが、それは“現地に入る現場主義”と言っていいかもしれません。その底流にあるのが「国民と苦楽を共にする」というお気持ちだと思います。
平成最初の大災害は、雲仙・普賢岳の噴火災害でしたが、現地で目に焼き付いているのは、上皇さまが、被災者の中に入られる時は背広を脱いで、ワイシャツを腕まくりして、靴下のまま避難所を回り、膝を折って励まされたシーンでした。
東日本大震災の時は、7週連続のお見舞いが続き、膝をついて被災者を励まされました。そのお見舞いのスタートが、冒頭にご紹介したビデオメッセージです。
――このように国民の中に入ってお見舞いをされるということには非常に驚きましたが、被災された方もその方を支援する方にまで心を寄せられる姿というのが印象的ですよね。
■平和への強い思い サイパン、パラオも慰霊
また、上皇さまは、平和の大切さもたびたび口にされてきました。
●1999(平成11)年 即位10年に際しての記者会見
上皇さま:「私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました」
●1993(平成5)年 60歳 誕生日会見
上皇さま:「日光の疎開先から焼野原の中にトタンの家の建つ東京に戻ってみた状況は、現在の東京からは、とても考えられないものでした」
●1993(平成5)年4月 天皇としての沖縄初訪問時のお言葉
上皇さま:「沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲となったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます」
●1995(平成7)年 戦後50年の誕生日会見
上皇さま:「戦争の惨禍については、今後とも若い世代に語り継がれていかなければならないと思います」
●2015(平成27)年 誕生日会見
上皇さま:「軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります」「輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」
●2018(平成30)年 最後の誕生日会見
上皇さま:「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
――こうした中で、戦没者の慰霊で各地を回られたことも記憶に残っていますね。
疎開先から戻った上皇さまの原風景は、東京の一面の焼け野原です。それだけに平和への思いが強いのだろうと思います。戦後の節目での広島、長崎、沖縄などへの訪問や、サイパン、パラオ訪問などは、戦争で犠牲になった人たちを慰霊するためでした。
初の外国での慰霊となったサイパンは、私も同行しておりましたが、多くの日本人が身を投げたバンザイクリフで、強い風の中、海に向かって深々と慰霊される姿に、強い思いが伝わってきました。
――日本や海外など多くの場所に足を運ばれることに、平和への思いの強さを感じますね。
■上皇さま 猛暑、高齢者の雪下ろし、公害に心痛め……
上皇さまは時々の「社会問題」「環境問題」についても思いを語られてきました。
●2010(平成22)年 誕生日一般参賀
上皇さま:「今年は経済情勢が厳しい中、多くの地域で猛暑が続きました。苦労の多い日々を過ごした人も多いのではないかと案じています」
●2014(平成26)年 誕生日会見
上皇さま:「常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります」「私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています」
●2010(平成22)年 誕生日会見
上皇さま:「加齢のことですが、耳がやや遠くなり、周囲の人には私に話をするときには少し大きな声で話してくれるように頼んでいます」「高齢化が進む今日の社会において、高齢者への理解がますます進み、高齢者へ十分配慮した建物や町が整備されていくことを切に願っています」
●1994(平成6)年 誕生日会見
上皇さま:「一時は東京の空が黒ずみ、公害に弱い木は枯れていきました。しかし、ある時期から空はかなり澄むようになり、庭の弱っていたアカマツも立ち直り、また、キンモクセイの花も咲くようになりました」
――高齢者の問題については、ご自身の実感も織り交ぜながらお話しをされていまして、さまざまな分野にご関心があるのが分かりますね。
科学者の視点で環境問題や気候変動に目を向け、国民生活を案じられてきたことを改めて感じます。
■スポーツや科学技術の快挙に……
一方、嬉しいニュースを一緒に喜び、ねぎらおうとされる姿もありました。
●2001(平成13)年 誕生日会見
上皇さま:「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」
●2012(平成24)年 誕生日会見
上皇さま:「明るいニュースとしてはロンドンパラリンピックでの日本選手の活躍が挙げられます」「脊髄損傷者の治療として英国で始められた身体障害者スポーツが、今日ではすっかりスポーツとして認められるようになったことに感慨を覚えます」
上皇さま:「山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞受賞も誠にうれしいニュースでした。特に再生医療に結び付く大きな成果は、今後多くの人々に幸せをもたらすものとなることと期待しています」
●2010(平成22)年 誕生日会見
上皇さま:「小惑星探査機『はやぶさ』が小惑星『イトカワ』に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした」
上皇さま:「この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います」
――「さかなクン」の名前が会見で出たんですね。
さかなクンのことは、魚類学会で会われていて、かねてご存じでした。会見の直前、田沢湖で絶滅したとみられていた「クニマス」が山梨の西湖で生息していたことが再発見され、「さかなクン」が大きく貢献していたことが報じられたんですね。
――さかなクンも驚いたでしょうね。
“ギョギョギョ”ですね(笑)。当時、側近から聞いた話では、主催者側はさかなクンの帽子が失礼にならないか心配したそうですが、上皇さまは“帽子はさかなクンの一部”と意に介されなかったそうです。
――上皇さまの懐の深さも感じられますね。
■家庭と上皇后さまへの“感謝”
家庭、そして上皇后さまについて語られたお言葉も多くありました。
●1984(昭和59)年 “銀婚式”会見
上皇さま:「点をつけると言うことは難しいけれども、うん、まあ努力賞というようなことにしようかと思ってます」
上皇后さま:「私も、もし差し上げるとしたら、お点ではなくて感謝状を」
●2009(平成21)年 “金婚式”会見
上皇さま:「結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこの度も『努力賞がいい』としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました」
●2013(平成25)年 80歳誕生日会見
上皇さま:「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」
●2005(平成17)年 誕生日会見
(長女・黒田清子さんの結婚について)上皇さま:「(清子さんの結婚で)皇后はさぞ寂しく感じていることと思いますが、今までにも増して私のことを気遣ってくれています。ただこれまでおかしいことで3人が笑うとき、ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを二人で話し合っています」
●2012(平成24)年 誕生日会見
(心臓冠動脈手術を終えて)上皇さま:「入院中、皇后は毎日病院に見舞いに来てくれ、本当に心強く、慰めになりました。病室の近くの廊下を一緒に歩く時にはいろいろな音楽をかけてくれ、自分も楽しそうに歩いていました」
●2018(平成30)年 最後の誕生日会見
「天皇としての旅を終えようとしている今、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」
――ご家族への愛情や感謝の気持ちが感じられて、胸に迫るものがありますね。
上皇后さまの存在は、とてもとても大きかったと思います。上皇さまはかつて「家庭という身近なものを十分に理解して、はじめて遠いところにある国民の気持ちを理解できる」と話されています。
ご結婚のパレードは、沿道で約60万人が祝福しましたが、その日から上皇后さまの「国民への献身」が始まったと思うと、祝福の中で上皇后さまが背負われたものの“重さ”“大きさ”を思います。
――上皇さまと共に歩まれてきた上皇后さまの存在の大きさというのを改めて感じました。
■“国民への深い信頼と敬愛”
そして次が平成の最後のお言葉となりました。
●2019(平成31)年 退位礼正殿の儀
上皇さま:「今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました」「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」
――「幸せなことでした」というお言葉が印象的ですが、令和はもう6年になりますから早いものですね。
そうですね。
上皇さまは、皇太子時代に「言ったことは必ず実行する。実行しないことを言うのは嫌いです」と話されていますから、発言の一つ一つは、ご自身に対する厳しさ、責任に裏打ちされていると思います。
象徴天皇として即位した初めての天皇として、30年にわたる歩みは“海図なき航海”と言われましたが、数々のお言葉はその“航跡”ですので、胸に改めて迫ってきます。
今の天皇陛下はその背中を皇太子として見てこられましたから、上皇さまをお手本に公務に当たられていくと思っています。「象徴」としての旅を終えた上皇さま、そして一緒に旅をしてきた上皇后さまには、お元気でお過ごしいただきたいと願っています。
――今回、折々の言葉に触れて、困難な時に思いを寄せて、国民と共に歩んで来て下さったのだなというのを改めて感じました。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)