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“復興五輪”とは…福島・高校球児の思い

2019年3月12日 21:19
“復興五輪”とは…福島・高校球児の思い

来年にせまった東京オリンピックの開会式まで、12日で500日となった。東日本大震災からの“復興五輪”と位置づけられた今回の東京オリンピック・パラリンピック。被災地の人たちは、どのように受け止めているのか。

12日、都内で披露されたのは、東京オリンピック・パラリンピックのマスコットキャラクターが描かれたバス。

大会の機運を高めようと、東日本大震災で被災した福島、宮城、岩手の3県をまわる。“復興五輪”をテーマの1つに掲げている今回の東京オリンピック。福島第一原発の事故で被災した福島県では、野球・ソフトボールの予選を行うことが追加で決まっている。

その福島で、オリンピックを待ち望む高校球児がいた。福島商業高校2年生の大内良真さん。最速143キロのストレートを武器に、チームのエースとして甲子園を目指している。

福島商業高校2年、大内良真さん「飯舘村のことをもっと知ってもらいたい」

福島県飯舘村で生まれ育った良真さん。8年前の2011年5月。私たちは良真さんを取材していた。このとき、飯舘村は原発事故で計画的避難区域に指定され、全村避難を余儀なくされた。

大内良真さん(当時9歳)「ここで9年くらいいたから、思い出いっぱいあるし、離れたくないんだけど」

良真さん一家も福島市に避難した。あれから8年。村の大部分は避難指示が解除された。しかし、良真さんは今も福島市で暮らしている。避難した福島市で、野球をする環境に恵まれたからだという。

去年11月、福島を訪れたIOC(=国際オリンピック委員会)のバッハ会長と面会した際には。

良真さん「(大地震は)悪いことばかりじゃなくて、良いこともあったし、こっちに来て野球を続けられることに感謝している」

良真さん「人々に感動を与えられるようなスポーツにはそういう力があると思う。日本でオリンピックをやるというのは、福島だけじゃなくて日本全体にとって良いことなのかなと思います」

オリンピックに大きな期待を寄せる良真さん。一方、父の和夫さんはオリンピックを歓迎しつつも、“復興”という言葉に複雑な思いを抱いていた。

父・和夫さん「(復興五輪というのは)住民の人がそういう気にまだなれないのかなと、周りもいないと自分たちだけいて、復興しようと思っても何もできない」

今も仮設住宅で暮らす人の思いは、さらに複雑。

飯舘村から避難(89)「オリンピックとしては私らは関係ないです。何も復興してないもの」

飯舘村から避難(71)「私らには(オリンピックは)良いとも思えない。プラスでもマイナスでもどっちでもねぇな」

政府は、被災地の復興の姿を発信し、復興を後押しすることが「復興五輪」の理念だと説明している。しかし、被災自治体からは、住民の思いとのギャップを指摘する声もある。

宮城・南三陸町、佐藤仁町長「復興五輪といっても『こういう取り組みをしますよ』と言っても、全体を見ると漠然として分からないところがあって、すとんと気持ちが落ちない(住民の)方々も出てきているのが現実」

様々な思いが行き交う“復興五輪”という言葉。

良真さん「復興とかに関しては、やっぱり福島で(競技を)やるだけですごいことだと思う。それ以上は高望みしてないです。飯舘村というのは全国のみなさんに忘れてほしくない。飯舘村からプロに行って活躍して、飯舘村の発信源になれればと思って、今頑張って野球をやっている」